日々楽しく、自由きままに!

気まぐれおやじの日々の出来事や趣味の旅行記を綴っています

喜びも悲しみも二人で分かち合い・・・

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皆さんこんにちは、こんばんは!

本日も気まぐれおやじのブログにご訪問ありがとうございます

おいらは今日も「日々楽しく、自由きままに!」

 

今日11月22日は「いい夫婦の日」だそうです

いい夫婦・・・ (_ _)

 

病めるときも

健やかなるときも

喜びのときも

悲しみのときも

富めるときも

貧しいときも・・・

 

その命ある限り

真心を尽くすことを

誓いますか?

 

誓います・・(^^)/

 

と、宣言して夫婦となったわけですが・・・

 

女にとって結婚はゴールだが、男にとって結婚はスタートだと、どこぞの誰かが申しておりました

事程左様に・・・

男と女では、そもそもその立ち位置も見え方も違うのです

それを「愛のちから」で、フゥフゥ言いながら築きあげていくのが「夫婦」ではないですかなぁ~!

 

「愛」は「合い」・・・ですから…

 

分かち合い

助け合い

励まし合い・・・

 

それが「愛」

 

 

昔から夫婦には「三年目の危機」と「七年目の危機」があると言われます

 

気まおやさんが思うに・・・

最初は男と女として結ばれますが、三年という時間は男女を通り越し、お互いが「ひとりの人間として信頼し愛せるか」を判断する時間なのかも知れません

 

次の七年までには、一般的に子供という家族が増え、夫婦間には「子育て」という新しい仕事が加わります

そこで今度は、「家族としての愛」が求められます

七年という時間は、それを判断する時間なのかも知れませんね

 

 

そしてその後は、「人間としての愛」

最終的には、「人としてどうなのか・・・」

が、末永く一緒に暮らしていける判断材料になるのではないですかね

 

いずれにしても夫婦に限らず、友達でも、同僚でも、互いに信じ信じられなければ、人は長くつき合うことは出来ません

 

人は感情の生き物で、その感情は理屈や計算では計れない

しかし、それを混ぜ合わせてマイルドにするのが「人間としての愛」だと思います

 

別な家で生まれ

別な環境で育った二人

同じ屋根の下で暮らすって言うのはそういうこと

結局のところ自分の感情以外に、「愛の証」としての夫婦生活は見つけられませんから・・・

 

だから・・・

その感情を成長させなければ、「夫婦であることの理由」は確信出来ないでしょうね

「心の成長」と「人としての愛」はリンクしているものだから…

 

そして・・・

自分の感情が成長して、相手がまだ同じ場所にとどまっていてくれれば、あなたの視線の先にはまた違った愛が見えてくるかも知れません

 

😎一句、  結び目が  多い我が家の  赤い糸

 

今回も最後まで読んで頂き

ありがとうございました

では、また。。。

 

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