korenannan’s blog

関東地方某県に住んでいます。日々思ったことを書きます。時々放ったらかしにして期間が空くことがあります

進路は自分だけのことではないのかもしれない

 さらに寒い。研ぎ澄まされる感じ。

 

 冴えるとはこういうことだろうか。

 

 

 

 買い出しに行く。脳内BGMはシューベルトの「野ばら」、やっぱりテンションが変だ。

 

 どこもカップルだらけだ。やたら目につく。何かイベントでもあるのか。それくらいカップルだらけ。

 

 喫茶店で休憩。ここにも。いや、店長と従業員のようだ。面倒な話し合い中。

 

 

 受験シーズンなことや成人式が近いことで、ニュースでも若者をよく見る。

 

 それで自分も若かった時代を思い出している。

 

 思い出すと意外と発見がある。特に受験のこと。

 

 YouTubeで数学のチャンネルを観る。頭が痛くなる。ダメだこりゃ。身に危険を覚えた。

 

 ここまではっきりとダメだと思えたのははじめてだ。やっぱり自分は理系を選ぶべきではなかった。理系といっても工学系だけど。

 

 自分は人間の手触りがないものはダメだった。純粋な理論でできているようなもの。ロマンや憧れではどうにもならない。

 

 そういうものはメンタルを病んでしまう。そういえば数学者はメンタルに問題を抱えることも多いと聞く。

 

 それでもやっている人がいる。自分には何かにとりつかれているようにしか見えない。あくまで自分から見た話。

 

 大変に失礼なことを言っているけれど、とりつかれている、という言葉からみても自分だけの問題ではないのかもしれない。

 

 何かにつきうごかされているとでもいうのか。昔絵を描いている人に絵がうまくて羨ましいといったことがある。

 

 返ってきた答えは「そういうんじゃないんだ」だった。これもそういうことなのだろうか。好きでやっているわけではない? これこそ"そういうんじゃない"のかもしれないけれど。

 

 変なこと言っているけれど進路ってそういうことでもあるのかも。やりたいこととできること。それ以外に、何故かやってしまうこと。何故かやらざるをえなくなってしまうこと。それでボロボロになるにしても。

 

 

 こんなことを考えるようになったのも歳を取ったせいだろうか。自分の力だけではできないこと。そう見えるもの。

 

 日本風に言ったら縁だろうか。思っていたよりもずっと強力ではないか。縁を探す?

 

 

 自分がこんなことを考えるようになるとは思わなかった。買い物をして栄養をとって帰ろう。

 

 

 

 

 

受験シーズン。学習の意欲がまた湧いてきた。受験って大分理不尽だ

 寒い。去年言っていた暖冬とは何か? 無責任すぎないか。

 

 まあ、夏があれだけ暑かったらこんな冬が来るとは到底思えない。

 

 

 ニュースを観る。受験シーズンだ。いつも天気が荒れ模様なのは何故か。

 

 自分の頃(大昔)はセンター試験と言っていたやつの実施日はいつも荒れている記憶。毎年大変だと思う。何故か狙いすましたように雪が降る。

 

 

 久しぶりに大学時代を思い出す。

 

 大学に入ったが自分はボロボロだった。右も左も分からない若者。今はどうなのか知らないが入学するとあちこちで飲み会だらけだった。

 

 ・・ ・ちょっと待て、お酒は20歳からだろ。飲み会なんて当たり前に書いたけれどそこからおかしかった。

 

 そういう飲み会でバカ騒ぎの中にいた。自分は溶けこめなかった。今ならコミュ障と言われていただろう。

 

 手品の時にかかる音楽(昭和生まれにしかわからないか)を皆で歌ってはやしながら一気飲みさせたり、山盛りのパセリを食ったり。

 

 そういうのを見ていた記憶。今思えばまったく意味不明だ。狂っているとしか思えない。

 

 何であんなことに。今適当に(まったく個人の考えです)思ってみれば、あれは"出所祝い"だったのではないかと思う。受験という牢獄から出られたお祝い。

 

 「せっかく大学に入れたのだから、そんなことやっていないで勉強しようぜ」と今は思う。

 

 思えば受験勉強というのも不思議だ。何故あそこまで多岐に渡った教科をきっちりとやらなければいけなかったのか。そのせいで自分のやりたい勉強ができない。本末転倒だ。

 

 もうちょっと少なくてもよかったのでは。でもそうだとたぶん一年くらいで終わってしまうのかも。あとは何をするのか。それこそ部活などで自分の興味のあることを同じような興味を持つ人たちと集まって追求すればいいのでは。

 

 いや、皆やっていたのかな。あれだけ色んな課題を抱え込んで? 超人かよ。自分には無理だ。

 

 今は大学も就職予備校みたいになってきているという。もう訳がわからない。他人の都合が入ってきすぎる。

 

 

 そういう世の中や他人の都合の前にある、自分の興味を見つけることの困難さ。まったくどういうことだよ。

 

 そんなことを思った。今は少しずつ学習意欲が湧いている。新書を読むのが面白い。昔の自分ならそういうのをバカにしただろう。いわゆる表紙が白くて難しい本(みすず書房など)を読まなければダメだという風潮。そんなのに流されていた。

 

 でも読んで自分が理解できなければ何も積み上がらない。やっとそこに気づく。洗脳から抜け出せたということか。

 

 受験とかあの辺りのことって洗脳だったのかな。呪い? あくまで自分にとってだけど。一生懸命やればやるほどダメになってしまう。そこから抜け出せたから皆お祝いしていた? かなり皮肉な見方。

 

 

 「とにかく自由になれた。おめでとう」ということ。そういう洗脳は解けたがもうすっかりおっさんになってしまった。大学時代など遥か昔だ。だけど自分はああいう場所には向いていないだろう。それにも気づいた。

 

 

 なんだかなあ。

夢を見て凹んだ。色々進歩しても変わらないこと。人と同じようにとはいかない

 本当に寒い。

 

 

    夢を見た

 どこかの施設にいる。以前お世話になったデイケアらしい。

 

 自分はそことは相性が悪かったので大変に気まずい。具合も悪かったし。

 

 それどころか今も別のデイケアに通っていて、そことの交流会ということらしい。

 

 そういう施設とはとことん相性が悪くどちらの人間とも話が合わない。

 

 帰る。バスに乗る。遠回りして帰ろうと思い違う方向のバスに乗ったが、そこにもメンバーがいる。

 

 居心地が悪い(終わり)

 

 

    思ったこと

 目が覚める。かなり気分の悪い夢。色々思い出した。

 

 昔の記憶を整理している。こういうことは昔メンタルの調子を崩して通っていた精神科のデイケアではわりと嫌がられた。「そんなことしてどうするの?」と聞かれた。

 

 当時はそんなもんかと思った。けれどそれをしないとずっとトラブルが残り続ける。じわじわダメージが蓄積していく。当時はトラウマなんて考え方はそういうケアの場所ですらなかった。それでそういったかえって逆効果になるようなアドバイス?をされた。ただ面倒だったのかもしれない。スタッフは多すぎる仕事と多すぎるメンバーに疲弊しているように見えた。

 

 今はその頃に比べたらずっと良くなった。トラウマのケアができる人も少しづつだけど増えてきた。でも考えて整理することはひとりでやらなければいけない。自分は誰かと関わりながら整理するなんて器用なことはできない。他人といるとすぐに消耗するし。だから一人きりになる。

 

 

 そういえばあの頃も新しい技法や考え方をやろうとするスタッフはいたな。でも抵抗がすごかったみたいだ。あくまでスタッフを遠目から見た感想だけど。

 

 「日本の精神医療は海外に比べてずっと遅れている」と言っていたスタッフもいた。それを主治医に聞いてみたら「そんなわけないだろ」で終わってしまった。

 

 今みたいにネットが発達していたらそんなことはないのかもしれない。

 

 

 そんなことを思った。久しぶりに昔を思い出した。忘れたい記憶ではないけれど少し苦い話だ。その苦さの感覚。皆と同じようにできないという負い目のようなもの。

 

 ケアは同じというわけにはいかない。普通から弾き出されてしまい、症状や状況は人それぞれだ。それを画一的に扱おうとする(人手がなくて扱わざるを得ない)害。

世の中変わっていく。考え込む性分だと大変。システム更新の必要? 追記あり

 今年もよろしくお願いします。

 

 曇りがち。今年は(今のところ)大きな事件がなくてよかった。

 

 

   夢を見た

 室内。朝方か。祖母といる。実家か。

 

 また何かのゲームの中にいる。ホラーらしい。

 

 アイテムを拾う。ろうそくと焼きとうもろこし。次の部屋に移動。

 

 ろうそくで照らすと壁に模様が浮かぶ。そこで焼きとうもろこしを食べる。

 

 すると声がする。「人間は何々、○○は何々」と対応する神の名を読み上げられる。「さて何だ」と聞かれる。

 

 さっぱりわからない。適当に答えると、茶の缶が飛んでくる。間違える度に茶や海苔の缶が飛んでくるので、頭にきて「そういうとこだぞ」と言い返す(終わり)

 

 

 

   思ったこと

 目が覚める。また変な夢。意味不明というか不条理すぎる。リアルのゲームだったら「わかるか!」と切れてるかもしれない。

 

 でも何となくあの答えは"どの種族(の神)にも助けてもらえ"のような気がした。禅問答か。

 

 

 

 買い出しに行く。今日の脳内BGMは「戦場のメリークリスマス」

 

 どこもすいているが有名寺社の最寄駅だけ異様に混んでいて、そういう時期なのだと思う。

 

 

 家電量販店を覗く。スマートウォッチを見る。格好いいけど、こういうのは単体では意味がなく、スマホのアプリのサービスなどと連携しないといけないようだ

 

 こういう機器が便利になるにはかなりの準備が必要。システムを作り上げる。おっさん的には頭の中も一新して作り直す作業が必要か。

 

 音楽を聴くのだってカセットテープからCDへ、そしてデータ、ネットへ(MDは使わなかった)。そういう変化を経験してきた。

 

 今の若者なら音楽をネットで聴くのは当たり前か。こういうのは更新しなくても微妙に問題ないがそろそろきつい。

 

 ネットになってからは考え方そのものが変わったようだ。Spotifyとか。

 

 何てことないようだけど、おっさんはつまずきがち。おっさんというか私がか。

 

 ネットで音楽を聴くことに何となく後ろめたさがあるのは、過去にNapsterの騒動を見たからだろうか。それでネットイコール違法アップロードみたいなイメージがついてしまった。ただ面倒くさいだけかもしれないが。

 

 そっか、ゲームのルール自体が変わってしまったのか。大きな変化。新しく既得権を握る人間が出てきた?

 

 自分は考え込む方だからそういうのにいちいち引っ掛かって変化についていくのが大変になる。

 

 

 えーと、つまりどういうことだ。システム更新の時期? 頭の中とかツールとか?

 

 

 そんなことを考えた。とりあえずワイヤレス・ノイズキャンセルのイヤホンがほしい。何故かそう思った。

 

 

 追記:

 

 大きな道沿いを歩く。やたら混んでいると思ったら駅伝だった。現場に居合わせるのははじめてだ。選手はまだ来ない。

 

 現場を管理する警察官。運営の車両も多い。

 

 「神奈川県警の皆様ありがとうございました」と運営の車両がスピーカーで言っている。

 

 スポーツというよりも何かを迎える儀式のようだ。自分にとってはこちらのほうが興味深い。

 

 三々五々集まってくる観衆。近所の人たちが雑談している。楽しそう。

 

 やがてランナーがやって来た。ランナーというより正月の使者のよう。

 

 声援が飛ぶ。選手はあっという間にいなくなった。先頭は独走態勢なのか。

 

 

 それを見届けて帰る。正月が来た。年が明けた。そういう実感があった。


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写真を撮ったが、曇りで暗く、おまけに遠くて"ランナーを探せ"みたいになってしまった。

 

 

すでに答えを知っているという傲慢さ

 意外と暖かい。というかやっと寒さに慣れた。

 

 

   夢を見た

 また学校の教室にいる。試験結果を聞いているようだ。

 

 いわゆる文系科目は大丈夫のようだが、物理が不安だ。不思議なことにこの学校は小学生から物理を教えているらしい。その範囲すべてから出題されている。

 

 「私は物理はとってないから」と隣の生徒と話す。あきらめたというか、はじめから眼中にないよう。とはいえモヤモヤする。(終わり)

 

 

   思ったこと

 目が覚める。やっぱり理系は苦手だ。

 

 受験生が読んでいるかわからないけれど、就職に有利だからとか、やりたいけど不人気な学科は嫌だ、などの理由で進路を選ばないほうがいい。

 

 私はそれで進路を選んで見事に失敗した。そんなに甘くなかった。というか私はそんなに器用ではなかった。

 

 受験から何十年も経っても、そのことを夢に見てうなされる。それくらいのダメージが残った。

 

 

 こうすればこうなる。私はそれを知っている。そういう情報がある。絶対にその通りになる。そう思うことは大変な傲慢だった。やってみないとわからない。それに自分はかなりの変わり者のようなので、世間の正解は通用しなかった。

 

 経験したあとでないとそれがわからない。そういうジレンマ。

 

 今になってやっとそれがわかった。もういい歳したおっさんだ。

 

 

 

 今年はこれでおしまい。また来年。

 

  それではみなさんよいお年を