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日々のこと

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出産当日(12月14日)入院~出産まで

ちょうど夜中の1時頃に夫の車で病院へ到着。

病棟は二人の先生と一人助産師さんがいました。
内診の結果やはり破水ということでそのまま入院へ。 

次に超音波でもともとある筋腫をチェックされる。胎盤の上にあるため、出産後の弛緩出血を予測して危険に備えるとのこと。自己血はあらかじめ400CC取ってあるのでイザという時はそれを使うとのことでした。そのことは検診の時から聞いていたので特に今更不安にはならなかったし、「危険を予測しているとたいがい大丈夫なことが多いから」と言われていたのでさほど心配もせず。

この時診てもらった先生の声の聞こえにくさったらなかった。ボソボソ~と喋るので私に話しているのかさえ分からないほど。唯一まだハッキリ聞こえたのは「背も高いのでポロッと生まれたらいいね」と言われたことくらい。”やっぱり背の高さってお産に関係あるの?”と思ったけどそんなこと聞くような気持ち的余裕はなかった。

陣痛室に案内され、入院着に着替えたりモニターを付けられたり、入院の書類を書いたりしているうちに20代前半くらいの担当の助産師さんが挨拶に来てくれる。

夫と陣痛室で過ごしていると当直の助産師さんがモニターをチェックして、いきなり走って出て行ってしまった。私達は”何???”と理由が分からずどきどき。すると先生二人が駆けつけてきて、助産師さんが急いで私に装着すべく酸素マスクの袋をやぶりかけた時、先生が何やらチェックして「うん、大丈夫」と。

先生は「赤ちゃんの心拍が下がりかけたけど、赤ちゃんが動いたせいだと思います。でもこれが繰り返されると危険なので自然分娩以外の方法を取るかもしれない。帝王切開だと麻酔をするので念のため食べ物は食べないでください。水分も口を湿らす程度で。そんな不安がらなくても大丈夫ですよ。僕達は念には念を入れるので、万一に備えてということで」と言われました。

陣痛中にエネルギー補給をと考えて持ってきた飲み物や食べ物はしょっぱなから必要なくなってしまったのでした。夜ご飯は食べたけど”出産まで体力持つだろうか?”と少し不安に・・。

夜明けとともにだんだん増していく痛み。担当の助産師さんは「すごい順調ですよ!」と何度か声をかけてくれました。そうかそうか、、嬉しい。このまま順調に赤ちゃん誕生までいってくれれば。。
「初産だしお昼までに生まれたら安産かな?」と言われる。

お腹が痛いうちはまだ余裕でしたが、痛みがだんだん骨盤やお尻に下がっていくにつれて、痛みに耐えるため体に力が入ってしまう。呼吸も順調にできていたのに、やがて「ふーぅぅ・・・」と声を出してしまうように。そばにあるモニターで赤ちゃんの心拍を気にしながら見ていた余裕もなくなっていきました。

夫にずっと腰やらお尻やらをさすってもらっていましたが、助産師さんがかわって指圧してくれると不思議に痛みが和らいで呼吸がスムーズにできました。
すごい~すごい~! 助産師さんってやっぱりすごい!
「痛い~~」とうめくと「痛いねぇ・・」と優しく声をかけてくれ、私はずっと助産師さんにそばにいてもらいたいくらいでした。

一方、夫は私が息を吐く時に声を出してしまうため、指圧してくれる度に「呼吸!」「声出さない」とか短く言われるのが命令されているようでだんだん腹が立ってきました(笑)でも毒付くエネルギーがもったいないと思い、極力黙って聞いていましたが一言「分かってるわ!」と言ったのだけは覚えています。

陣痛のさなかでも”オリバー鳴いてないかな?”とオリバーのことが気になる。
何時頃か分からないけどすっかり夜が明けて、私がもうベッドの手すりにしがみついていないと耐えられなくなった頃、夫が「なんか腰がさっきと違う感じがする」と言っていたのと同時くらいかしばらく経ってからか体が勝手に軽くいきんでしまう感覚が。「いきみたい」と思ってしばらく経った後、「内診しますねー」と先生と助産師さん4人ほどがベッドを囲む。ちょうど朝の勤務交代時間でスタッフも増えてきた頃でした。

看護師さんに「仰向けになってください~」と言われて「イヤや~!」と返してしまう・・。こんなに痛いのに体勢を変えろとは。「痛いのは分かるけど」とか「これから歩いて分娩室にも行かないといけないよ」とか諭されつつ、自分で痛みが引くタイミングを見て辛すぎる仰向け姿勢に。

子宮口は8~9センチとのこと。”まだ5センチ”とか言われると気が遠くなりそうだけど、「あと少しで全開だ」と思えるところまで来ていたので痛みに耐えながらホッとしたような気がします。助産師さんが不意に私の股にクッションをはさむ。”そっか、股を開いていると赤ちゃんが下りてきやすいんやったな”と両親学級で知ったことを思い出しながら”まだコレ以上に痛くなるのかな”と怖くなる。助産師さんも「これから痛みが増すにつれて息がしにくくなると思うけど・・」みたいなことを言うし、まだ未体験の痛みが襲ってくるのか・・・。

助産師さんに「分娩の準備してきますねー」と言われ、”もうすぐ産むんだ、この痛みが終わるんだ”という気持ちと”まだ痛くなるのか・・”という恐怖とが入り交じっていました。
ほどなく分娩の準備が整う。

隣の分娩室までは20歩も歩かないけど、それがツライ!案内される時にも私は「イヤだ」とか何か言ったような気がするような・・。夫によると私は支えられながら分娩室に向かったようだけどなぜかこの時の記憶だけ飛んでいます。

分娩台にあがる直前にぐぉーーーっと痛みに襲われ「待ってー待ってー」と分娩台に上がらせようとする助産師さんを制すところから記憶が再開。

やっとこさで分娩台に上がったけど、究極に痛いと思っていた時よりもまだ強い痛みが襲ってくると同時にものすごいいきみ感が。体が勝手にいきんでしまう。

「いきんでいい?」と聞くと「いいよ」と言われたので仰向けになった私は体に力が入るままいきむ。「目を閉じないで!」と言われるけど、まぁーそれが辛い!「波が来たら2回深呼吸して。大きく息を吸っていちばん強い痛みのところで息んで」と言われ、そのとおりにしようとしていたけど、深呼吸している段階でマックスな痛みが来る感じでどうもワンテンポほどタイミングが合わなかったような気がします(笑)

「わぁーん!痛い~ 怖いよ~」とか声を出していました。立会い出産希望だったので夫も分娩室に入っていたようでしたが、もはや夫の存在は完全にフェードアウト・・・。

産むまで私は耐えられるのか? そう思うと怖くなりましたが、今ここで心が折れたらいったい何もかもがどうなるんだろう?耐える以外にないんだと思いました。
そしてこんな状況でもオリバーが朝ごはんを食べたのかを考える冷静な部分もあり・・・。後から考えると可笑しい。

程なく男の先生が来て私の足元には助産師さん含め3人がいた。
「足もっと開いて!赤ちゃんが通りやすいように」
「一回の陣痛で二回息んでね」など色々言われました。

どのくらいいきんだのか「吸引!」と言われて”赤ちゃん、吸引されるん?”と思ったような・・。いつのまにか私のお腹を知らない先生がグイグイ押していた。

「あと何回~?」「赤ちゃん下りてきてるん?」助産師さんに質問する私。「あと少しだよ」「赤ちゃん下りてるよ」と優しく答えてくれる助産師さん。

下りてきてるという感覚が全くなくてまたもやゴールが見えない気がして不安になる。
早くゴールが見たいーーーー。

何回か息んで私の右側にまたいつのまにか立っていた助産師さんに「次産むよ」と言われて私は必死な中でも少し嬉しくなって「次産む~?」と蚊の泣くような声で再度聞いた。「うん、産むよ」と助産師さん。

もう泣くに泣けないこの状況の下で、お腹を押していた物静かそうな先生が私の目を見て「頑張れ!”私”が産むんや。頑張れ!」と言ってくれた。その言葉もそうだけど、先生の真剣な目を見て少し我を取り戻した気がする。今でもその時の先生の目が印象に残っています。

最後のいきみで踏ん張っていると助産師さんが「見といてよ」と言ったので目を向けると赤ちゃんが出てきた!顔の右半分に血の付いた赤ちゃん・・・泣いてる。
感動というよりも安堵感・・?というより、痛みに必死に耐えるのといきむのに無我夢中なのとがバッサリ切られたように終わり、眼の前に赤ちゃんが見えても脳が素早く反応しない感じでした。
半分真っ白な状態というのでしょうか。

あ・・・夫は?
私の右上にいました・・。ようやく私は手を差し出し、夫と握り合いました。
その後は赤ちゃんとの対面も束の間に、私の手術が待っていたのでした。
# by kmy520konio | 2012-01-28 02:21

出産記録(出産前日)

2011年12月14日 朝9時50分に女の子誕生。
最初で最後かも知れない出産の様子を記録として書いておこうと思います。

**********

出産前日(12月13日)

臨月に入った検診日のこの日、”もうすぐ生まれますよ”って言われるか?と密かにドキドキしながら病院へ。

この日は代診の先生でした。超音波では「いつくらいに生まれるかなんとも言えないけど来週あたりに生まれたらいいね」と言われ、次に内診。・・・・・なにやらものすごく痛い。
これって子宮口を刺激されてるのか???「もう生まれてもいい状態になったら子宮口を刺激して陣痛を起こさせるっていうあれ?」と思いつつもとにかくグリグリとされたので「痛い~」と言ってしまうほどでした。

「おしるしがあるし、子宮口も少し開いてるよ」とのこと。そして私が「痛い」と言ったからか「そんな手荒なことはしてないよ」と付け加えられた・・・。

「今日は出血があるかもしれないけど心配しないでね。何か変わったことがあればすぐ連絡下さい」と言われました。

”刺激されたんだったらイヤだなあ・・。まだ体重も2800グラムまでだし赤ちゃんが自分で出てこようと決めた時まで待っててあげたいのに・・”と思いつつ帰宅。

姉に”こんなことされた、痛かった!”とメールすると「今日中に来るかもよー。早めにお風呂入って寝たら?」と返事が。

昼ごはんが遅かったので夜は先にお風呂に入り、晩ごはんを作って食べる。

夫が11時過ぎに帰宅。なんだか生理痛の軽~い感じでお腹が痛むけど気にならない程度といえばそんな程度・・。

11時半すぎくらいに何やらジョワーッと温かい水がナプキンに流れ出るのが分かり、ドキドキしてトイレへ。おしるしの出血と混じっていてそのジョワーっと出たものが血なのか羊水なのか分からな
い・・・。とりあえずトイレから出るも、またもや勝手に出るおしっこのような”ジョワーッ”が。
その間、お腹も軽く痛む。

おしるしか?破水か?破水ってもっとバッシャーンと出るものだと思っていたし、おしるしにしては量が多すぎるし・・・。夫に「病院に聞いてみたら?」と言われて夜中12時過ぎくらいに病棟へ電話。助産師さんに状況を話すと「とりあえず診察してみないと分からないので、入院の準備を一応整えて来て下さい」と言われ、電話を切ってからはもう何やら気持ちがアタフタ状態。
夫も「いよいよかぁー」と言いつつ、病院へ向かう準備をお互い部屋を右往左往しながらやっていました。お腹も痛いけど余裕で動ける程度な割には、間隔が短いし5分とか10分とか不規則な間隔で来ていました。

自分ではおしるしが来て、軽い規則的な陣痛から始まり10分間隔になったら病院へ電話、という図を想像していたのですが、実際は”破水したのか?そうじゃないのか?どっちなんだろう??””入院なのか帰されるのか?どっちだろう~~??”という状況。

でも出産が本当に近いのは間違いない。お産に対する恐怖感よりもこの時にはすでに出陣態勢に切り替わっていました。



 
# by kmy520konio | 2012-01-02 19:05 | その他

産後のこと・・・

早くも妊娠8ヶ月に入ります。
衝撃の妊娠発覚から今まであっという間でした。お腹の張り、筋腫の炎症など色々ありましたが、赤ちゃんは順調に育ってくれてあと2ヶ月ちょっとで予定日を迎えます。


今、悩んでいるのが産後に実家に帰るかどうか。
実家には先月101歳を迎えた祖母がいますが、両親は祖母の面倒やら甥っ子の預かりやらで大変。祖母は夏以来、歩くことができず張って移動するようになってしまい・・・・と思いきや先日衝撃の事実が(笑)


私「おばあちゃん、最近ずっと張ってトイレ行ってるけどもう体力戻らないのかな」

姉「え?知らんの? おばあちゃん、私らが見てないとこではスタスタ歩いてるんやで。歩いて私と◯◯(姪っ子)がいる部屋、ふすまの隙間からのぞきにくるもん」

私「えーーー!?」

・・・・・・・演技??・・・何?(笑)

というかふすまの隙間から覗いてるのコワイよー。


いやいや、ほんとに体力は徐々になくなっているのだと思いますが・・・。
張って歩くことによって”大事にしろよ~” ”弱ってるんだし優しくしろよ~”という無言のアピールでしょうか。すごいです。死ぬまで女の人ってしたたかなのかな、って思います。

時々もう仏さまのごとく毒が全く抜けたお年寄りを見かけますが、おじいちゃんに多い気がします。

話が脱線しましたが、そんなこんなで両親も本当は祖母が歩けるのを知っているので「・・・立てるやろ?」とすっかり冷めた感じです(苦笑)そりゃそうもなるでしょう。。

それでもトイレでちゃんと排泄できたか、ちゃんと薬は飲んでいるかなど確認しなければならないことも多いし、両親も年だと思うと今の状態だけでも負担だろうし。

度々排泄などがうまく出来ずに家の中が混乱状態になるし、おそらくお正月もはさむことになって親戚も来るので小さな実家で産後静かに暮らすことはあまり出来そうもありませんし、赤ちゃんが夜中に泣いて気を使うのもイヤだし・・・かといって家で無理して動いていると更年期に来ると言われているのでそれもどうかと。

母は「帰ってくるものだと思っていた」と言ってくれているので心づもりはしてくれているのでしょうが、悩みます。。。

でも、最近しみじみ思うのは「100年生きている」ってすごくないですか? 簡単に100歳と言うけど”100年”って言うとものすごく長いなって感じます。
東京大空襲も経験し、原爆投下の年に祖母はすでに今の私と同い年だったのを思うと激動の時代を生き抜いた人ってやっぱり違うなと思います。
# by kmy520konio | 2011-10-05 21:06 | その他

美味しいパン屋さんと最近のオリバー

先日、美味しいパン屋さん「サースフェー」を発見。家から歩いても割と近い距離にあります。

左はオレンジピールとくるみのパン、右はライ麦?のパンです。
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どちらも皮がサクッとして生地も本当に美味しい。粉がきめ細かいというか”バターなんかいらない。味わって噛んでいたい”って思います。私のボキャブラリーではうまく表現できないのがもどかしい。

今まで食べたパンの中でもトップ3に入るくらいお気に入りになりました。菓子パンよりもこういう雑穀やフランス系パンがおすすめ。
朝7時から空いているので、土日の朝に買いに行くのがしばらく続きそうです。家族経営のほんとに小さなお店が、正直まさかここまで美味しいとは嬉しい驚きです。



           最近のオリバーさん
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食欲も運動も満たされて昼寝。玄関は適度に風が入ってきて夏は気持ちいいようです     

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 なんか力が抜けきって”おじいちゃん犬”みたいだな。  
# by kmy520konio | 2011-09-06 00:51 | その他

ネパールのカレー

おととい高校時代の友人が遊びに来てくれました。晩ごはんに最近妙に私がハマっている”本格カレー”を食べようということになり、瀬田のネパール料理店にテイクアウトの注文の電話をしました。
店の存在は知っていたものの食べたことはなく、でもきっと美味しいだろうと確信しながら・・。

すると電話を出た店員さんは日本語が不自由な様子。
ゆっくり喋っても困った感じでネパール語か何語かでモニョモニョ言ってる(笑)
やがて「Excuse me? ah・・・エイゴデェ~オネガイシマス」


急に「英語」とな?!一応喋れていた時期はとっくの昔。いきなりことで焦り「あっ、、と、、I want to have・・」とか初歩の英語しか出てこなく途中でつまずく自分が情けない。とりあえずホームページに書かれていた「take out set」という文字をそのまま言ってみましたが理解されず(涙)店員さんは「two minutes,please」と言って、他の店員さん(同じくネパール人)にバトンタッチしました。

「アー、モシモスィ?」
日本語、一応話せる人だと思って今度もゆっくり喋ってみたところ通じ合った!
「ナンジニクル?」「カラサ、ドウスル?」・・・・たどたどしい日本語で注文を細かく聴いてくれました。電話を切る時の挨拶は自信満々な感じで「アリガトーゴザイマッス!」(笑)
友人は電話のそばでウケていました。


6時にお店に取りに行ったら二人のネパール人の店員さんがいました。
先にテイクアウトのお客さんがいて、会計途中でしたがどうやらお釣りに出すお札が足りなかったようで、ちょうど私は5千円札をすでに財布から出して、店員さんがお釣りが足りなくて困っているとは知らずに自分のお会計を待っていました。

すると私の手元に会計をしていた店員さんの目が。
「アー・・コレ、イイ?」と突然手を伸ばしながら言われて「え?あぁ、はい、、(私の会計??)」と5千円札を差し伸ばす・・。

直後にその5千円がすぐに先のお客さんのもとへ。”あ、そういうことか”と事情が分かりました。
釣り銭が足りないというのもアバウトだな~(笑)レストランなのに。

私の番がきて、紙袋に目一杯詰めたカレーセットを「コレ、サラダ。コレ、ツツンデアルノ、ナンネ。コレガカレーネ」と説明を受け、お会計をして「ナマステ!」と見送られました。

チキンカレー、ナン、タンドリーチキン、サラダ、どれもとっても美味しくて二人ともお腹いっぱいになりました。

妊娠してからカレールーで作ったカレーが胃に来るようになり、家でカレーを作ることがグッと減ってしまったので本格的なカレーが尚の事美味しく更にハマッてしまいそうです。

そんな彼らも異国で頑張ることがどれほど大変か体験してきたのだろうけどあのマイペースさ。何だかもう短時間なのにネパール空間に招かれた気分でした。

どうやら日本語のできる店長は今ネパールに帰国中らしく、残された店員さんで留守を預っているみたいです。

しかし電話が鳴る度に「ドウシヨウ!」ってドキドキするんだろうな(笑)
私も昔「いきなり英語で喋りまくられたらどうしよう」って気持ちで電話を受けたことは何度も何度もあるので、その気持ちが妙に解ります(笑)

近所なのでまた美味しいカレー食べに行ってネパールを堪能してきます。
# by kmy520konio | 2011-08-26 21:14 | その他