チャットツールのDMで連絡がくることを嫌う人は一定いる。DMじゃなくてもよさそうな話がくると、「これってなんでDMなんですか?」とか、「この内容なら◯◯チャネルで話しませんか?」とかみたいな感じで公開チャネルでのやりとりに誘導している人もいると思う。
こういうDMへの "拒否反応" のような感覚は自分も少し持っているが、なぜなのかよくわかっていないので雑にまとめてみる。
考えてみると、この拒否反応は次の懸念からきていると思う。
1. 限定された人しか見れない場所で何かが進んだり決まったりしていくこと
頭出しでちょっと話すくらいなら問題ないんだけれど、なんとなく流れで色々話して実際にそこで結論が出てしまったりするのが嫌みたいな気持ちがあるのだと思う。
密室で物事が決まってもどこかで共有されれば何の問題もないんだけれど、共有が漏れることも往々にしてあるし、神経質になる気持ちもわかる。ある種の "高潔さ" と言ってもいいかもしれない。
2. 結局あとで必要な人に同じ話をする時に二度手間になってしまうこと
どうせ同じこと話したり他の人にも聞いたりするんだから、最初から公開された場所で話せばいいじゃんみたいな感覚があるのだと思う。何か補足や間違いがあったら指摘もしてもらえる。
正直たいした手間ではないんだけれど、無駄を嫌うみたいな感じ。同じような話ができるチャネルがあるのにDMでも話すと、どこで何を話すべきかわかりづらくなるというのもある。
3. DMのやりとりが蔓延すると組織全体として情報の透明性が失われていくように感じること
一度DMで話すようになると、ちょっとしたこともちょいちょいDMで話すようになりがち。
"あまり乱用しない" くらいのゆるいルールだとあっという間にDMだらけになって、色々なことがDMの中で決められて情報が見えにくくなるみたいな不安が湧いてくるという側面もある。
あるいは、そういうことを考えずにどんどんDMしてくる人のスキルレベルやマインドセットに対して少し怒ってしまうという人もいるかもしれない。
書き出してみると、乱用せずどこかで適切に共有されるのであれば DM 自体を過度に拒否する必要もない。
何でもかんでも「DMはダメ」と言って選択肢を減らすのもよくない。むしろシュッと話してすばやく物事を進められるのであればDMを使ってもいい。チャット全体のDM比率をトラッキングするみたいなのも本質的にはあまり意味はない。
これは個々人の話というよりも、組織全体のスタンスの話でもある。たとえばバリューに "オープンネス" みたいな話が明記してあるなら、全体として DM は非推奨にしてもいいと思う。
実はある程度のテキストコミュニケーションスキルがないと、公開チャネルで話すのは難しいという事情もある。 内容によっては "不特定多数に見られても曲解されないように伝えるスキル" が要求されるからである。もし DM を非推奨にするのであれば、こういったスキルのフォローアップもセットで考えた方がいいと思う。
また、何かを固めていくプロセスに対する考え方の違いも関係してそう。DM ではなく公開でのやりとりを好む人は、初期段階から皆でブラッシュアップしていく意識がつよいのかもしれない。たとえばエンジニアだと、仕様策定段階から関わった方が手戻りも少なくよいものを作りやすかったりする。それと同じように、何かの頭出しや相談も他の人が関われる状態にしておくべきという意識が少しあるのかもしれない。
逆に DM が使えないせいで相談されなかったりタイミングが遅れたりするとしたら元も子もない。拒否反応を示してもいいとは思うけれど、相手への伝え方には気をつけよう。 "DM警察" のような取り締まり方でピシャリと冷水を浴びせると、それはそれで結果として情報の透明性が失われていく要因になってしまう。