Konifar's ZATSU

私はのび太の味方じゃないわ、悪の敵よ

マネージャーになる前にできるフィードバックの練習

マネージャーになると、1on1や評価のタイミングで期待を伝える一環として誰かにフィードバックする機会が増える。マネージャーになって初めて誰かに明確にフィードバックするという経験をする人は多いと思う。自分もそうだった。

今思うと、マネージャーになる前にフィードバックの練習をする機会は色々あったと感じる。自分がもっと意識してやっておけばよかったと思いつくものをざっと書き出してみる。

チームの振り返り

  • 対個人ではなくとも、自分がよかったと感じたこと、問題だと思っていることを言葉にして伝える練習になる
  • チームにもよるけれども、できるだけ積極的に意見を出し、伝え方のレパートリーも増やしていけるとよい

アンケート回答

  • 人事施策やイベントごとなどでアンケートを求められた時に、きっちり答えるようにするのもよい練習になる
  • よかったことや改善してほしいことを相手に伝わるように言葉にするのは、慣れないと難しい。何を期待していたか、何がギャップだったかといった自分の考えを整理する必要もある
  • 繰り返していくと、後でフィードバックをする前提で物事に取り組めるようになる

日報/週報

  • フィードバックは相手に合わせて伝えることが基本。相手の前に自分のことを知っておくとよい
  • 自分がやっていることや考えたことを文章で残すのはその練習になる。他者に読まれる場所に書くと、他者にどう受け取られるかも意識することになる

上長との1on1

  • 1on1をうまく使うと上長にどう動いてほしいかを伝える場にできる
  • フォーマットに沿って相談やお願いしたいことを毎回準備するようにしておくと、フィードバックを伝える練習にもなる
  • 参考: 上司に期待する振る舞いを伝える - Konifar's ZATSU

自己評価記入

  • 自分に対する評価をする方が簡単なので、まずは定期的な自己評価をしっかりやっておくとよい
  • 昔の自分は苦手だと言って全然真面目にやっていなかったが、他者にフィードバックする機会が増えてからは自己評価もやりやすくなった実感がある

ピアフィードバック

  • これはそのままフィードバックの実践。制度があるなら、業務として時間をかけて取り組んだ方がいい
  • なかなか難しいということを実感できるだけでも価値がある
  • 参考書籍をひとつ上げるとしたら フィードバック入門 がオススメ

自分が思いつく練習の機会を書き出してみただけなので、やっていないことや全く合わないものもあるだろうし強制もしない。他にもっとよい場もあるかもしれない。

他者へのフィードバックに限らず、マネジメントに関わることはマネージャーになってから学ぶのではなくマネージャーになる前から学んで少しずつ経験しておくとよいと思う。マネージャーのキャリアパスを描いていなかったとしても、マネジメントを学んでおくと問題解決の選択肢が広がるので意外と役立つことも多い。

経験を重ねて大きな成果を出そうとすると、マネージャーではなくとも一定のマネジメントスキルが必要になってくる。普段のちょっとした機会を練習にできないかと考えて取り組んでみると、後々よかったと思える日が来るかもしれない。

忙しさの中毒性

何事も忙しすぎるのはよくない。

心身への影響や属人化の進行といった問題はもちろんよくないのだけれど、忙しさにはある種の"中毒性"のようなものがあるのが厄介なところである。

忙しすぎる状況が続くと、次第に慣れて順応してしまう。さらには、無意識のうちに"心地よい"とさえ感じ始めることがある。キャパ溢れ気味の状態で何とかするのを自分の役割や使命のように感じてしまい、根本的な改善も進まなくなる。

症状のひとつとして、本来はきちんと物事を進められる人でも「できなくても仕方ない」というスタンスになってしまうこともある。言葉には出さないが、忙しいのだから優先順位の低いタスクは多少締切を守れなくても仕方ないと思い始めたりする。たとえば勤怠の提出や社内の申請などが遅れたりとか。仕方がないなんてことはないのだけれど、自分に対して逃げ道を作り言い訳をしやすい状態になる。

周りも気を遣って、怒ってくれないどころか「忙しいなか申し訳ない」みたいな感じで配慮し始める。全く健全じゃないのだけど、忙しすぎると是正する動きも取りにくい。

こういった"忙しさ中毒"から抜け出すにはどうすればいいのだろうか。真面目で頑張り屋な人ほど陥りがちだと思う。組織的に蔓延してしまっていることもある。当事者だけでは抜け出しにくいので周囲からの指摘とフォローが必要な気はする。まあ中毒症状が出る前に早めに対処できるようにしつつ、状況を俯瞰して指摘してくれる役割を置くのがいいのかもしれない。

できていなかったことを"忘れてた"と言わない

依頼された仕事の期日を忘れてできていなかった時に「すみません、失念していました」と伝えていたら、当時の先輩にしっかりめに叱られたことがある。もう10年以上昔のことだが、いまだに印象に残って意識しているのでよいフィードバックだったのだと思う。

叱られた内容を雑に書くとこんな感じだった。


できなくてもいいができるふりをするな。

「忘れてた」なんてことは依頼元には関係ない。「忘れてなければできる奴なんだな」なんて思われることもない。ただ「忘れてできなかった奴」と思われるだけだ。下手すると "言い訳をする奴" という印象を持たれて損をする。

できない奴と思われたくない気持ちはわかるが、すぐにバレる見栄を張るな。「忘れてた」と言う前に「できてなかった」なのかをよく考えろ。そうしないと相手にも失礼だ。

言葉選びだけの問題と思うかもしれないが、こういう細かいところが信用の積み上げになる。信用されることと自分をよく見せることを履き違えてはいけない。


当時はぐうの音も出なくて恥ずかしくてつらかったが、今思うと後輩にこれを言ってくれる先輩すごすぎる。今の俺にこんなフィードバックできるのかと考えてしまう。まあほんとに忘れてた時にはそう言ってもいいとは思うんだけど、スタンスを補正してもらった実感がある。

こういう振る舞いを続けていくと、次第に癖になってしまうのが怖いところである。"忘れてた"の例に限らず、人からの指摘に対して過度に敏感になって自分を守るための言葉を紡ぐようになる。なかなか直すのは難しいものなので若い時に叱ってもらえてよかったと思う。

次にやることを決めてから寝る

最近 就寝前に「次にやること」を洗い出して最初にやることを決めておくようにしている。

実は長らく朝漠然と不安だったり活動開始までに時間がかかったりする時期が続いていたのだけれど、この寝る前の"儀式"で脱することができた。

やることは簡単で、以下3つだけ。

  1. 終業前か就寝前に自分のタスクを洗い出す
  2. 特に重要なトップ3を選ぶ
  3. 朝最初に取り組む1つを選ぶ

1は、普段からタスク管理をしているなら眺めて追加修正するだけでもいい。 15分30分1時間以上 くらいでざっくり所要時間を分類しておくとよい。
2は、3つだけに絞るのが肝。"やらないこと"を決めるのは意外と難しいが、トップ3を決めるとやらないことを決めたのと同じような効果を得られる。
3は、必ずしも重要なタスクでなくてもよい。自分はあまり頭を使わなくてもできるルーチンタスクや楽しそうな自動化タスクを選んだりする。朝イチの着火剤として機能する。

タスク管理ツールを使わずとも、メモ帳や個人Slackチャネル、物理ノートに書くだけでもいいと思う!。これらを寝る前にやっておくと、起床後にダラダラせずに取り組めるようになった。

朝なんとなく不安になるのは、何をしなければならないか把握できてないからという要因が大きかったのだと思う。日曜のサザエさん症候群も同じ。まあそもそも働きたくないでござるって人も多いかもしれないけれど。

寝る前にやっておくというのがポイント。朝起きて何かを思い出すのは非常に億劫でハードルが高い。思い出すコストはとても高いし、朝からやるのはしんどい。「洗い出してみて自分の把握漏れがあったらやだな」とか思うとやりたくなくなってくる。朝に取り組めるならそれでもいいんだけれど、自分には"初動"が難しかった。

夜寝る前に次にやることを決めておくと、起床後に「やるかー」という気持ちになりやすい。夜にそんなことをすると不安で寝れなくなってしまう人とか、それができれば苦労はしねェって人もいると思う。わかる。こういうのは人によって最適なやり方は違うし、自分にとってベストなやり方を模索するのがよい。同じやり方を試すなら、就寝前ではなくて終業直前でもいいと思う。

朝の初動の負荷を極力下げるやり方は自分にとっては合っていたようで、今はすこぶる快適である。

正論を伝える時のお作法

正論は人を傷つける。いつだって──

正論を言われた方が傷つくのは想像しやすいかもしれないが、実は言う方もダメージを負ってしまうことがある。真面目な人ほど、正論を振りかざすだけになってしまうことを怖れている。

誰かに正論を伝える時に意識しておくとよいお作法みたいなものがいくつかあると思っていて、雑に書き出してみる。


1. 正論になっているかを確認する

  • 実は自分の情報が足りていなくて正論になっていないこともあるのでいったん疑ってみる
  • 「言っていることが全然的外れだったら教えてほしいんですが」のような感じで、認識が擦り合っているかをまず確認するとよい
  • 相手に敬意をはらい、「すでに色々検討された結果かもしれないですが」のような枕詞をつけるのも切り出しやすい
  • ここの認識が揃っていないまま話していくと、終わりのない議論が続いていきがちなので注意

2. 責める意図はないことを伝える

  • 正論を伝えることは批判ではないのだが、責められていると感じさせてしまいがち
  • 「今までではなくこれからの話をしたい」、「過去や誰かを責める意図はなく、一緒に考えていきたい」のような感じでスタンスを表明しておくとよい
  • 批判は絶対にしてはダメ。批判から展開される正論は感情で拒絶されてしまう

3. 相手のメンツを潰さない

  • 相手のメンツを潰さないように場所を選び、伝え方を変える
  • 人がたくさんいる場ではなくクローズドな場で伝えたほうがよいことも多い
  • "まずできていることを認めてから話す"などもそう。自分がまわりからどう映るかを意識して何かいいことを言ってやろうとしたり、相手に非を認めさせて打ち負かしてやろうとしたりしてはいけない
  • 正論を伝えるだけで前に進むことはないので、その先に一緒にやっていくことも想定して相手に拒絶されないようにすること

4. 沈黙になった時のまとめ方 / 引き方を想定する

  • 正論を伝えられると、「せやな」と「それができれば 苦労はしねェ!!!」という2つが入り混じった変な空気になることがよくある。言った側がダメージをくらうのはほとんどこのパターン
  • ギャグで滑った後の一言を考えておくような感じで、沈黙になった時にどう話を広げたりまとめたりするかを想定しておくとよい
  • たとえば、「このたたき台があったからこそ今こういう議論ができて非常によいと思ってます」、「ひとつの提案なんですが、次のアクションとしてこうするのはどうでしょう」といった感じで、感謝や提案を伝えて切り替えるのもひとつ

ex. 正論だけを言いっぱなしでいい場を作る

  • これまでの事情や現状は気にせずに正論だけを言える場があるとやりやすい
  • 「変な空気になるのが嫌だな」と気にしなくていいし、代替案や改善策が固まってないことに引け目を感じる必要もない。とにかく言いっぱなしでいいというルールを作るのが大事
  • 「そもそも会」、「今さら言いにくいことを言うチャネル」みたいな感じで、それっぽい名前をつけて運用するといいかもしれない

書きながら、正論ってなんだっけ?という気持ちになった。そもそも「これが正論だ」と100%自信を持っていたらそんなに困らないような気もする。正論かどうか自信がない中で意見を言うのが難しいのかもしれない。

この中だと 3. 相手のメンツを潰さない が一番大事だと思う。正論の伝え方に限らず、誰かと仕事をする時には常に意識した方がいい。一緒に何かを前に進めていくなら、相手より優位に立って勝とうとしないこと。もしも戦略的にやる場合、「メンツを潰すことをしている」とつよく自覚しておくならいいと思う。無意識にやってしまうのがよくない。

正論を言うのを遠慮するようになると、組織が理想から考えられなくなり意思決定の質も落ちてくる。正論を受け入れる側の工夫 ももちろん大事なのだけれど、言う側も工夫できる。繰り返しているうちにそんなに気を遣わなくてもお互いに率直な意見を交わせるようになっていくのが理想。決着がつかないときはナイフエッジ・デスマッチを提案できるくらいの関係性を目指そう。

自分の定型Xポストまとめ2024

これの2024年最新版を雑に書く。前回から3年半の間にTwitterはXになり、Tweetはポストになってしまった。

konifar-zatsu.hatenadiary.jp

俺が3人分になる

業務上3人分にならないとなあ〜と感じた時にポストしてる。今や何人かはもうわからなくなってしまった。

最近はこんな感じ

自分の生活リズムのログを1~2ヶ月ごとくらいでポストしてる。将来息子氏と一緒に眺めたい。

ハチャメチャが押し寄せてくる

主に業務でハチャメチャが押し寄せてきたなあ〜と感じた時にポストしてる。最近は少ないのは、このポストも忘れていたほどのハチャメチャだったからである。

歩いた

息子氏と遊びにいった時にポストしてる。自分にとっては、このポストまで含めてかなり大事な儀式的な時間になってる。

業務RT失礼します

業務としてたくさんリポストをしていく前にポストしてる。

雑にかいた + 自分の記事のリンク

zatsuブログを書いた時にポストしてる。

かいた + 自分の記事のリンク

zatsuじゃない方のブログを書いた時にポストしてる。

ちゃんとかいた + 自分の記事のリンク

社のブログを書いた時にポストしてる。

はい + 自分の記事のリンク

何か思うことがあった時に、自分の昔の記事を検索してみて関連する話を書いていた時にポストしてる。

誰かの記事のリンクのみ

素晴らしい内容だなと思ったり、あとでもう一度ちゃんと読もうと思ったりした時に備忘としてポストしてる。

cool + 誰かの記事のリンク

同僚や知人の記事を見て、すごくいいねと思ったり応援したくなったりした時にポストしてる。

まあまあ"月がきれい"でも観て落ち着けよ

インターネッツが怒りに満ちている時に、みんな 月がきれい を観れば落ち着くんじゃないかと感じた場合にポストしてる。

身体が軽い…こんな幸せな気持ちで闘うなんて初めて

登壇が終わった時など、何かが楽になって身体が軽くなった時にポストしてる。

相手の行いを "平均" せずに認める

誰かの何かの行いに対して、至らない点が気になってしまうことは誰でもある。

たとえば、ソフトウェアの不具合を報告してくれた時に、「正直もう少し事象を整理したり原因の切り分けをして伝えてほしいな」と感じてしまったとか。不具合を見つけいち早く報告してくれたこと自体は素晴らしくて感謝すべきなのに、至らなかった点の方が気になって指摘してしまったりする。

何かの提案の内容がそこまでよくなかった時なども同じ。"よくなかった" という結果に目が行ってしまって、たたき台を作って準備してくれたことや提案してくれたことに対するリアクションが希薄化してしまったりする。

相手の行いのよかったところとよくなかったところを無意識のうちに "平均" した印象で評価してしまいがちなのだと思う。よくなかったところは目立って印象に残りやすいので当然と言えば当然である。

先の例で言えば、まずは「報告してくれてありがとうございます」と報告自体は認めた上で感謝を伝える方がいい。そのうえで、伝える前にお願いしたいことや伝え方の話を別途フィードバックしていく。

慣れるまでは、「とにかく認めて感謝できるところを探す」くらいのスタンスでいるといいのかもしれない。「そんなこと続けてたらじわじわストレス溜まってしまうわ」と思われるかもしれないが、相手を認めて感謝を伝えていくと自然に自分の気持ちも前向きになっていく感じがする。もしかしたら人によるのかもしれないけれど。

特に職種や部署が違う人とコミュニケーションを取る時には、行いを "平均" した印象で接するのではなく、できているところを個別で認めて感謝を伝えるようにしたほうがお互いやりやすくなる。

これは仕事だけではなく夫婦生活などでも同じかもしれない。「洗い物も風呂の準備もしてくれていない」というマイナス点と「洗濯物は畳んでくれた」というプラス点の結果を平均してマイナスの評価として相手を認めないようなコミュニケーションを取ってしまうとあんまりよくない気がする。

相手がやってくれたことやできていたことはそれ単体で認めて、明確に感謝を示すこと。そして、次の曲が始まるのです。