ココロ社

主著は『モテる小説』『忍耐力養成ドリル』『マイナス思考法講座』です。連絡先はkokoroshaアットマークkitty.jp

障害者の芸術作品展が最高にエキサイティング!!!

「土曜から美術展があるから見に行こう!障害者の芸術作品っていうくくりの美術展で、最高にエキサイティングなんだ!」


「うーん……そんなに行きたいんだ。障害を持っている人も快適に過ごせる世の中を目指す、っていうことと、障害を持っている人が作ったものを見て、『いきいきとした、優しさにあふれた世界がナントカカントカ……』とか……」


「―とか、『わたしたちが忘れてしまった純粋な世界をウンタラカンタラ……』とか、そういう言葉で稚拙な芸術作品を底上げして評価するっていうのは違うんじゃないか―って言いたいんでしょ?もっと言うと、そもそも人は何も忘れてはいないはずなのに、なぜこういうときだけ健忘症を装ったあと思い出したふりをするプレイにいそしむのかしら、もし本当に忘れているのであれば、さっさと病院に行けばいいと思うし、仕事が忙しくて通院する暇がないのなら、手帳の見返しに『純粋な世界』とでも、利き手じゃない方の手で書いておけばそれっぽい感じになるし、絶対に忘れないんじゃないかしら―と言いたいんだよね?」


「や、そこまでは思ってなかったけど……」


―ということで、このブログを読んでしまうほどに趣味のよいみなさまも、やはりそこまでは思っていないにしても、「障害者の芸術作品展」というくくりで紹介されている美術展があったら、あいだみつを的なものを想像してしまい、4月9日から5月15日まで、埼玉の北浦和で、全国障害者芸術・文化祭埼玉大会の企画として、『アール・ブリュット・ジャポネ展』が開催されているということにも興味を持つことはないのかもしれません。でもそれはとっても残念なことであると思ったので、今回は『アール・ブリュット・ジャポネ展』の見どころについて紹介したいと思います。
なお、作者名をクリックすると、どんな作品なのかがわかるようにしておきましたのでご活用いただければ幸いです。作者の存在抜きで楽しみたい方にとっては、最初に作者の紹介があるところがアレやけれども……。


◆平岡伸太
一見すると小学生が作った壁新聞風なのですが、よく見てみると大胆にも「日本経済新聞」などと書いてあり、中の記事は「住専住金専門会社で、あの初登場じゃ、機関事故で今、あの犯人でございます」などと稚拙な字で書いてあって、まるで人力でコラージュをしているようです。無意味ながら、「新聞の意味を解体する」みたいな仰々しいムードは皆無で、意味不明なんだけどほのぼのしていて、見ていると無根拠に気分が落ち着いてしまうという快作。人物の顔のイラストがどれも同じ顔に見えるのですが、コミカルなタッチが実に可愛らしい。こんな可愛らしい人物画を描くテクニックを我がものにしたいと思うはずです。


◆久保田洋子
女性の絵を描いているのですが、まず脳にあたる部分がごっそりと欠落していて人間に見えないし動物にも見えなません。目の周りに圧倒的な密度で毛が生えていて、まるで虫のようであり、女性のまつ毛に潜むエロティシズムを強調しすぎたためにかえって台無しになっているさまに脱力します。しかもこれだけでは許してくれず、鼻と口の間の皺が、ないはずのものまで描かれていて、「性的なファンタジーを1ミリシーベルとも発生させないようにするためには、あえてリアリズムも乗り越えてみせる!」といわんばかりの、誰をモデルにしても絶対安全なたたずまいは崩れることはなく、複数の作品を交互に見るうち、笑いが止まらなくなります。


◆秦野良夫
高校の夏休みの写実スケッチ風でほのぼのしているのですが、よく見るとまったく用途不明の機械が置いてあり、明らかにリアリズムを志向しているタッチであるがゆえに、あたりまえのように置かれているその用途不明の機械たちが気になって気になって仕方ない。魂を救済する装置のようにも見えますし、単なる空き箱のようにも見えますが、見れば見るほど首が傾いてしまいます。


◆山崎健一
幾何学的でありながら、一ミリも理性が介在していないように見えるところが画期的。色も無茶苦茶で機械を描いているのに均整という概念が皆無です。
機械をリアルに表現するために方眼紙の上に描かれていますが、無駄に幾何学的で、見る者の集中力を浪費させるところがすばらしいです。


◆岩崎司
この作品群が、もっとも心に傷を残したというか勇気づけられました。遠目に見ると、短歌と絵の融合に見えます。その筆遣いは尖りに尖っていて、読む者の心臓を突き刺します……が、しかし、近づいて、筆跡をたどってみると、「断腸の想ひは無し乎嗚呼あるよ 緒方竹虎何故天に逝く 司詠」など、気持ちの昂りは感じられるものの、何が言いたいのだか、いまいちよくつかめません…「大事なメッセージだから絶対に伝えたい!!!」という強靭な意志が空転するさまを見せつけられて呆然自失してしまいます。こんなに唖然とさせられる作品は見たことないです。
これ、ショップで絵ハガキになっているのですが、家に帰ってから何度も凝視して驚きに浸っています。最高!!!!


◆下田賢宗
イクラなどをモチーフにパジャマや下着を作っています。衣服のモチーフとしてイクラが向くとか向かないなどというのは本当にどうでもよいことだったんだ、と感激しました。好きなものを着たい、というのを突き詰めていくとこうなるんだなぁ…と思います。
また、『はだいろおちんちんのパジャマ』は、男性器の陰毛を網目で表現している点が画期的です。

この展覧会の要点は、新しい様式美を体験することなのではないかと思います。

これを見る前に、岡本太郎展に行って、『太陽の塔』のドキュメンタリーなどは感動的だったのですが、絵については、腑に落ちすぎるところにガッカリしてしまった(「この絵のこの部分は岡本太郎の心象風景を表していて…」的な)のですが、この『アール・ブリュット・ジャポネ展』は、比較にならないほど驚きに満ちあふれた作品展だと思いました。
ただ、一般的に言われる「アール・ブリュット(あるいはアウトサイダーアート)=自由な芸術」という考え方はダサさを3段階、大ダサ中ダサ小ダサで表すと中ダサくらいです。なぜかというと、「障害者は純粋である」という、ある意味差別的な観念と大差なくて、あいだみつを的だからです。(言わずもがなですが、この展覧会の「パリで12万人が見た展覧会が日本に凱旋」という触れこみも、お客さんを増やすためにはやむをえないにしても、ちょっと頬を赤らめてしまいますよね。パリっちゅうとこがね、お墨付き的なね、イチロー的なね。「じゃあ桃谷で1万人が見たらアカンのか」と言いたくなります)
平均的な人類と感受性などの作りが違うのかもしれないですが、アウトサイダーはアウトサイダーなりに、厳然たる固有の様式を備えていて、ときには囚われていて、複数の作品を見ていくと様式美が感じられます。わたしたちが普通、「遠くのものは小さく描かねばならない」などの絵のルールに沿って、絵を見たり描いたりすると思うのですが、上記に挙げた作品たちは、まったく別の独自ルールを厳密に守っているのですが、平均的な感性の持ち主が作品と向き合うと、そのルールに一切共感できないため、ルールが厳密であればあるほど、困惑するほかないのです。


ただ、それはそれで別の問題があって、自分が既成概念にとらわれないというか、既成概念をトレースするのに失敗して、独自の概念に沿った作品を作ろうと思うのであれば、「インパクトが強すぎて、個々の作品に差異が見出せない」という問題が絶対発生するので、そこをどう乗り越え、鑑賞に耐えうる作品を作るかということについて、われわれは考えなくてはなりません。われわれ、というか、ぼくは考えているところです。


念のため書き添えておきますと、この記事のタイトルに、「障害者の芸術作品展」と書きましたが、わたしは、「作者がどんな人物であるかについての話をすることは、エビフライを食べたときに尻尾だけ残すのと同じくらい下品なことである」と思っていて、まったく書きたくはなかったのですが、多くの人はジャケットにミュージシャンの写真が載っているようなCDをお求めになり、裏表紙に著者近影が載っているような本をお求めになっているはずで、そのような社会現象―「作者大好き症候群」とぼくは呼んでいて、回を改めてお話ししようかとは思っておりますが―を踏まえると、「読んでもらうためにはこうせなあかん」と思って恥をしのんで書かせていただいたという次第です。
展示の解説や図録の中でも、作者の姿について言及するものがあり、たとえば、お母さんの絵を何枚も描き続けていた作者が、入所している施設の男性に恋をしてから、自発的に絵を描くことはなくなった、などという話が書いてあったら、それはそれで、作者の生きざまに興味がわいてきたりもするのですが、それはまた別の話で。作者の生きざまをサブテキストとして補強しなければ成り立たないような脆弱な作品は一点たりとも展示されてはおりませんので、上品なみなさまも安心してエンジョイしてくださいませ。


展覧会へのリンクはここ。7月からは新潟でも見られる!
行けない人はパンフレットだけでもかなり楽しいです。アマゾンでは売ってないみたいで、版元ドットコムならありました。