絶倫ファクトリー

生産性が高い

ニコニコ動画とこれからのインターネットと

党首討論をニコニコ動画で見た。これが日本のインターネットのターニングポイントだ!とは言わないが、もし将来歴史の教科書にインターネットの歴史が載るとすれば、その中に刻まれるであろう出来事なのかなと思う。テレビが持つ公共性は凋落の一途をたどっている。リビングでテレビを見る中学生より、親のお古のスマホからwi-fiでニコニコを見る中学生の方が多いかもしれない。そういう意味で、今回の試みは後々に参照されるべき事例なのだろうと思う。

政治はその性格上、公共性を無理やり作り出す。公共的なものが政治なのではなく政治の足あとが公共なのだ。自民党と民主党のニコニコ動画をめぐるプロレスがこういう形で決着したということは、ネットの政治解禁は加速度的に進んでいくのだろう。どういう道筋になるかは別として。

ネットのこれから

インターネットの世界が変わろうとしている。Web2.0以降、ネットの世界がやってきたことは煎じ詰めればコミュニケーションだった。アテンションエコノミーという言葉もあったが、結局コミュニケーションの形式(作法)と内容(ネタ)が異常な早さで使い捨てられていったのがこの10年だったと言える。

切込隊長ことやまもといちろう氏と、楠正憲氏の対談を読んだ。面白かった。

やまもといちろう×楠正憲「ネット業界“ソーシャルの次”を本気で考える」(前編)~楽しさだけを突き詰めても先はない - エンジニアtype

欲求とリスクを知って壁を越えろ~やまもといちろう×楠正憲「ネット業界“ソーシャルの次”を本気で考える」(後編)

「楽しさ」だけでやっていたときは、良くも悪くも世間はネットに注目しなかった。せいぜい暇つぶしニュースのネタにする程度。そうこうしているうちにソシャゲ(というかガチャ)がPCからガラケーに持ち込まれ、ソーシャルゲーム業界が外の「社会」と無理やり繋がらざるを得なくなってしまった。ところがプレイヤーが圧倒的に若い。端的に言えば政治的な力を持たない。楽しさベースで、社会的なポジションを拡大せぬうちに、鬼子が外に出されてしまった。

個人的にはここにきてやはり日本語というのが壁になっているのだなあという実感がある。上の記事にもプラットフォームという言葉がよく出てくるが、結局プラットフォームを目指すのであれば英語圏のサービスが最も有利だ。LINEもアジアでは強いと言われるが、アジアでNo.1のメッセージングアプリはWhatsAppだ。LINEではない。VCから資金調達をする仕組みが整い、マーケティングの手法もほぼ大筋は固まり始めてきた状態で、あとはどれだけグローバルに展開してユーザーを捕まえられるかになる。やまもといちろう氏が「LINEみたいのはもう出てこない」といっていたが、他にもAngry Birdsなどもそうしたプラットフォームの普及期のスキマを縫って勝ち名乗りを上げたアプリの一つだ。すでに勝負は巨人と巨人の戦いになりつつある。

プラットフォームの取り合いは非常に厳しい。だったらその上に育つ文化の方に目を向けたほうがいいんじゃないか、というのが素朴な今の想いだったりする。ニコニコ動画はドメスティックな文化のプラットフォームになろうとし、なったという点でその先鞭をつけたが、もうそろそろ嫌儲という概念も薄れてきたはずなので、そろそろネット上で文化とお金が回る仕組みがもっと整ってもいい頃なのではないかなと思っている。

で……例によって

毎度毎度宣伝で申し訳ないのですが、↑のようなことを「文化先行型」というタームでくくって、僕やねとぽよ実質編集長稲葉ほたてが『ねとぽよ 女の子ウェブ号』で議論をしています。ぜひ。

『ねとぽよ 女の子ウェブ号』紹介ページ

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