カナタガタリ

すごくダメな人がダメなすごい人になることを目指す軌跡

ブロクリ2024参加作品を読む:4日目(ツナ缶食べたいさん「Amaz❍nくんは俺のこと学校の先生だと思ってるっぽい。」)

余談

まさかの結騎さん参戦に慄き、思わず椅子から立ち上がり自室をうろうろとしていた筆者は続く知らせにそのまま床に直に座り込んでしまった。

ツナ缶食べたいさん(以下:ツナ兄(けい))の参戦である。

ツナ兄がブログクリーンアップ Advent Calendar 2024に参戦するタイムはわずか0.4833時間に過ぎない。では参戦プロセスをもう一度見てみよう。

迷いがなさすぎるだろ……。

ツナ兄をツナ兄たらしめてきたことの一つに、「速さ/早さ/疾さ」があることは余人に疑いがないだろう。誠に悲嘆ながらそのことが如実に表れたのが奇しくも当日のことであった。

note.com

ツナ兄のnoteに単独マガジンが存在し、22本もの記事がある「バーフバリ」。その主演俳優さんが様々な障壁を越えて来日されるが、なんとその日は出張だったのである。その日は氏の誕生日でもあるため、最高の誕生日プレゼントになることも期待されただけに残念だった。

「記憶がない」というオタクとしての心情、一方でその出来事でのジェットコースターのように乱高下する感情の冷静な俯瞰と記録をするブロガーとしての側面が端的にしかもその日のうちに纏まっており、出来事を受容する精神性、来日を寿ぐ姿勢などに氏のブロガーとしてのストロングポイントをバチバチに感じることが出来る。

筆者も含め、ブログを書く人間としてはエンタメを受容したら即時形に残したい、という欲求があるだろうが実際問題それは並大抵ではない。(そんなあなたのためのブロクリ2024!)

並大抵ではないことするとどうなるか。ツナ兄になれるのである。

自身のnoteのみならずムービナーズにもたびたび寄稿するエンタメアウトプッターとしてのパワーは圧倒され、1人の人というよりはコンテンツとして捉えてしまいそうになる。スペースを利用した鑑賞会を主催されることも幾度あり、別の世界線の自分から体力をリチャージしているのかとすら思う。

それだけでなく筆者のような末端のブログもチェック、拡散、コメントまで寄せてくださり、まさに平和の象徴鳩を思わせる成人しぐさも併せ持っている。

そんなツナ兄が18日を抑えてくれたことでいわば中盤の要が生まれ、結騎さんという豪華すぎる一番槍もあり、4日は何かしら自分で記事を成仏させようと筆者は安穏と眠りについたのだった。

翌日、業務がひと段落して自分のブログを開く。記事内にリンクしたブロクリ24のを見て驚く。

adventar.org

明日も!?

一人一回のレギュレーションのあるアドベントカレンダーもあるようだが、現状一人一人は一騎当千の猛者たちが集ってくださっているものの、密度としては我が地元のような開放感のあったブロクリ2024にとってこれは大変ありがたい展開であった。

読者諸賢においても筆者のTwitterアイコンで埋まるよりバラエティー豊かな方が色とりどりのオーナメントが飾られたクリスマスツリーのようで嬉しいことだろう。

そうして筆者は残業、会食とTwitterを確認できない時間が続いた。なので、筆者は氏からのリプライを確認できていなかったのである。

Q0K(急に0時に寄稿されたので)

そう思っていたが、氏は律義にも予告してくださっていたのである。当日朝寄稿を約束してくれて半日でゼロ打ち投稿が整ってるのどういうこと????

ちなみに筆者は23時前にようやく人心地つき、結騎さんの記事に圧倒されている最中であった。むさぼり読みながら、明日はツナ兄のおかげでブロクリ2024用の作業はしなくてよいのでこの感想を書いてブログの更新にしよう……と思ったのである。

↑何も知らず連携して遊ぶ筆者(この五分後駐車場のセンサーが故障して遅刻寸前に追い込まれる)

↑ギリギリ遅刻を免れたが朝一業務がツーマンセルで押し寄せたところをやっと昨日からのTLを遡り始めた筆者

恐ろしきはツナ兄のしごはやぶり、翌日感想というルールを筆者が脳内で定めた時、既にももう「投稿」は「終わって」いたということだ。電光石火……疾風迅雷……家内安全……無病息災……様々な思いが去来したがまず何よりも、

「思ったより早くツナ兄の新記事が読める! ヤッター!」

が先に来たことは疑いがない。

本題

余談が、ながくなった。

note.com

というわけで早速実食である。ツナ兄はツナ缶を食べたいかもしれないが、筆者は今からこの記事を存分に賞味させていただく、とその前に――。

今回のブロクリ2024、きっかけは12/2に友人と話した与太話である(12/2になってからアドカレ作ってんじゃねーよ)。が、その前にいわば伏線めいたものはいくつかあった。

note.com

例えばこの記事である。

拝読してそうだよなあ、どんどんやった方がいいよなあ、と思いつつも結局できていない、毎年毎年ブログ投稿数最低を更新し続けている、そんな事態に嫌気がさしていっそみんなも巻き込んでやってしまおうぜ、というのは発端の一つなのだ。

氏のnote記事には大きく二つ、コンテンツ語りとそうでないものがある。「じゃない方」というカテゴライズをご自身がされるように、メインコンテンツとしては映画や特撮、アニメなどのコンテンツレビューということに自他ともに感じてらっしゃることだろう。事実、筆者も何かしらのコンテンツを摂取した時は「ツナ兄は記事を書いていないだろうか……」とアクセスすること数えきれない。(大体あるのでスゴイ)

しかし筆者は逆張りでもなんでもなく「コンテンツ語りじゃないもの」がとっても好きなのである。今回の企画趣旨的に「同時期に摂取していたけど優先順位をつけてこっちは記事にしたけど、タイミングが合わなくて記事化しそびれた方のコンテンツ語り」が来るのでは……と考察()していたのだが、嬉しい裏切りであった。

「日記」が好きだ。ミステリ小説で読むとオッ叙述トリックがくるのか……? と身構えてしまうのだが、ネットにある純粋な日記はたまらない。ツナ兄の「じゃない方」、エッセイも筆者の大好物だ。

綿密な計算と攻勢に基づいた厚塗りの油絵のような「コンテンツ語り」に比べ、ススッとタッチ軽く描かれたデッサンのような一連の記事はしかし、そこに至るまでの気の遠くなるような研鑽を背景に感じる。その記事に対する適したボリュームというものをどの記事も兼ね備えている。

そして、視点だ。筆者も総務関係の仕事をしており、アスクルには頭が上がらないしAmazonで立替購入することもある。つまり、そこにおいては完全に同じ地平にいたというのにツナ兄はこのような記事を上梓し、筆者は「マンガのポイント大幅還元セールでついたポイントでマンガ買ってもそれにもまたポイントが大幅還元されるのアキレスと亀のパラドックスみたいで怖すぎ」と思うにとどまる。これはアルファブロガーとビルの谷間の雑文屋の決定的な違いである。同じようなものを見てもその感性は研ぎ澄まし続けてきた人とそうでない人間でここまで違う。視座が違うのである。

スクロールしてAmazon商品画像の枠が目に入るたびに二やついてしまうという今までにない体験を堪能した後は主宰である筆者より的確な趣旨説明と前日の結騎さんの記事紹介。その鮮やかさに筆者は心地よい敗北感を覚えるのだった。

結騎さんのあとという恐ろしいバトンを軽やかに繋いでくださってありがとうございました!

adventar.org

↑というわけでまだまだ募集中です。今のうちに終盤を登録しておいてじっくり仕上げるもよし、週末の自分を信じて7日、8日に登録してみるもよし、ご参加お待ちしています!