木走日記

場末の時事評論

朝鮮学校無償化は日本人の度量の問題(朝日社説)なのか?

 1日付け毎日新聞記事から。

高校無償化:朝鮮学校無償化、専修学校基準で−−文科省

 文部科学省は31日、朝鮮学校を高校授業料無償化法の対象にするかどうかの客観的な基準を検討してきた教育専門家会議の報告書を公表した。4月の施行時から無償化の対象になっている専修学校高等課程の設置基準を基本としつつ、高校に求められる教育活動の水準も含めた基準となっている。これに当てはめると朝鮮学校は全10校とも無償化の対象になる見込みだ。

 今後、民主党政調会での検討を踏まえて文科相が基準を決定し告示する。基準は、教育課程、教員資格、施設・設備、情報提供の4項目。体育、芸術などを含む高度な普通教育の科目や教員として必要な専門的教育を受けていることなどが専修学校基準に上乗せする形で示された。【本橋和夫】

http://mainichi.jp/life/edu/news/20100901ddm041100074000c.html

 うむ、文部科学省が教育専門家会議の報告書を公表しました、記事によればこの報告書の基準に従えば「朝鮮学校は全10校とも無償化の対象になる見込み」だということです。

 ただ8月中に決定を見るとしていた従来の日程は、「今後、民主党政調会での検討を踏まえて文科相が基準を決定し告示」と決定を9月以降に先延ばししたのは、民主党内の意見の集約がなされていないことを踏まえた菅首相の意向によるものと思われます。

 報告書は文部科学省によりネットでPDFファイルとして公開されております。

高等学校の課程に類する課程を置く
外国人学校の指定に関する基準等
について
(報告)
平成22年8月30日
高等学校等就学支援金の支給に関する検討会議
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/08/__icsFiles/afieldfile/2010/09/02/1297232_4_1.pdf

 報告書の詳細は是非読んでいただくとして私が興味深かったのはこのレポートの結びの文章です。

おわりに
○ 高等学校の課程に類する課程を置く外国人学校の指定については、外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが法案審議の過程で明らかとされた政府の統一見解であり、本報告においては、このことに留意しつつ、専門的な見地から、「高等学校の課程に類する課程」として満たすべき「基準」や「手続」、「高等学校の課程に類する課程」を審査する体制や方法等について、報告を行った。今後、文部科学大臣において、その権限と責任に基づき、基準等の決定、学校の指定が行われることを期待する。
○ 「はじめに」において述べたとおり、公立高等学校の授業料無償化・高等学校等就学支援金制度は、すべての意志ある者が安心して勉学に打ちこみ、自らの無限の可能性を開花させることのできる社会の実現に向けた新たなる一歩を踏み出すものである。
○ 本会議としても、この制度の対象となる高等学校等で学ぶ子どもたちが、自分たちの学びが社会全体により支えられ、応援されていることを自覚しながら、安心して勉学に打ち込み、将来、我が国社会や国際社会の担い手として広く活躍されることを強く期待している。

 うむ、「この制度の対象となる高等学校等で学ぶ子どもたちが、自分たちの学びが社会全体により支えられ、応援されていることを自覚しながら、安心して勉学に打ち込み、将来、我が国社会や国際社会の担い手として広く活躍されることを強く期待」するのはまさに「高等学校等就学支援金制度」の崇高な理念として賛同するものであります。

 が、まさにこの「将来、我が国社会や国際社会の担い手として広く活躍される」ことが期待できる内容の教育が、朝鮮高級学校においてはたして施されているのか、この一点でこの問題は極めてナイーブな政治的色彩を帯びており、このレポートにおいても執筆者も会議の構成員すら秘匿されており、結論が出るまで議事録すら公開しないという秘密主義で守られてるわけです。

 ・・・

 この報告書を受けてのメディア社説の先陣を切ったのは3日付け読売社説でした。

朝鮮学校無償化 財務の透明化が欠かせない(9月3日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100902-OYT1T01148.htm

 読売社説は朝鮮学校と朝鮮総連との関係を危惧します。

 朝鮮学校は、国際社会に背を向ける北朝鮮の指導下にある在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と強い結びつきがある。

 無償化の資金が万が一にも北朝鮮に不正送金されるような事態はあってはなるまい。

 またその教材の内容にも問題があると指摘します、そして各朝鮮学校がこれに適合するかどうかは厳格な審査が必要であると結んでいます。

 一方、専門家会議の報告書は「具体的な教育内容は判断基準にしない」としている。

 ただ、朝鮮学校で使われる教材に、大韓航空機爆破事件は韓国のでっちあげであるといった、明らかに客観的事実と異なる記述があるとされるのは問題だ。

 こうした内容をまったく問わないとするならば、無償化に国民の理解は得られないだろう。

 文科省では、判断基準が正式決定されれば、各朝鮮学校がこれに適合するかどうかの審査を行うことになる。その際には書面審査だけではなく、学校に出向いて直接説明を受けるなど、厳格に審査する必要がある。

 一日おいて5日付け朝日新聞社説は「日本社会の度量を示そう」と掲げます。

朝鮮学校―日本社会の度量を示そう
http://www.asahi.com/paper/editorial20100905.html

 「結論を先延ばし」せずに「4月にさかのぼっての無償化を速やかに実施すべき」と主張します。

 朝鮮高級学校をめぐり、文部科学省の専門家会議が、授業料無償化の学校にふくめるかどうか判断するための基準をつくった。高校の無償化は4月に始まったが、朝鮮学校は「日本の高校課程に類する」ことを確認できないとして、先送りになった。

 示された案は、授業時数や教員について専修学校なみの水準を求め、支援金がすべて授業料減額に使われるよう財務の透明化の注文もつけた。他の外国人学校とともに、文科省が定期的にチェックする仕組みもとり入れる。

 一方で、個々の具体的な教育内容は判断の基準にしない、とした。日本の学校とは異なる方針の下で教育を行うことを、認めようという考え方だ。

 時間がかかりすぎたとはいえ、学校制度の外に置かれてきた外国人学校をきちんと位置づけ、多文化の学びを国が支援してゆくための、客観的で公正なモノサシができたと言える。これを使い、4月にさかのぼっての無償化を速やかに実施すべきだ。

 ところが文科省は民主党内の意見を聞くとして、またも結論を先延ばしにした。菅直人首相の指示だという。

 民主党内の反対意見や拉致被害者家族からの反対意見に「先送りは、こうした意見にも配慮したのだろう」と述べたうえで、「子どもの学びへの支援と、拉致問題への対応とを、同じ線上で論じるのはおかしい」と断じます。

 党内には、経済制裁を続けているのに、その北朝鮮の影響を受ける学校を支援すべきでないとの意見がある。拉致被害者家族からも「対北朝鮮で日本が軟化したと取られる危険が大きい」と反対がある。先送りは、こうした意見にも配慮したのだろう。

 しかし、子どもの学びへの支援と、拉致問題への対応とを、同じ線上で論じるのはおかしい。高校無償化の支援対象は学校ではなく、生徒一人一人だ。「外交上の配慮で判断すべきでない」というのは、国会審議の中で示された政府の統一見解でもある。

 「金正日体制への礼賛は、私たちの民主主義とは相いれない」ながらも「ここは日本社会の度量を示そう」と主張、朝鮮学校の教育内容は「彼ら自身に考えてもらうべきこと」と結んでいます。

 教育内容を問うべきだとの指摘もある。確かに金正日体制への礼賛は、私たちの民主主義とは相いれない。

 だが、同じ町で暮らす朝鮮学校生に目を転じてみよう。スポーツでは地域の強豪校でもある。北朝鮮の思想を授業で学びながらも、生徒や親の考えは一色でない。バイリンガルの能力を生かすなど、様々な分野の担い手として活躍する卒業生もたくさんいる。

 ここは日本社会の度量を示そう。

 多くの朝鮮人が住み、北朝鮮を支持する人がいるのは、歴史的な経緯があってのことだ。祖国を大事にする価値観を尊重し、同じ社会の一員として学ぶ権利を保障する。そうしてこそ、北朝鮮の現状に疑念を持つ人との対話も広がり、互いの理解が進むだろう。

 そのうえで、日本で生きる朝鮮人としてどんな教育がよいか、今の朝鮮学校でよいかどうかは、彼ら自身に考えてもらうべきことだ。

 朝日の社説掲載を待っていたのかと穿ちますが6日付け産経新聞社説は「朝鮮学校無償化 なぜ教育内容不問なのか」と掲げて猛烈に報告書の内容を批判しています。

【主張】朝鮮学校無償化 なぜ教育内容不問なのか
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100906/edc1009060230000-n1.htm

 社説は冒頭から今回の報告書の基準は「極めて問題が多く、看過できない」と断じます。

 文部科学省の専門家会議が公表した朝鮮学校に対する高校授業料無償化適用基準は極めて問題が多く、看過できない。
 民主党政調会で適用の判断を検討する。問題は「具体的な教育内容については基準としない」として事実上、適用を認める内容だ。朝鮮学校が北朝鮮や朝鮮総連の政治的影響力を受けている問題を全く考慮していない。「教育内容不問」のまま公金を投入することに国民の理解は得られない。文科省は基準を根底から練り直すべきだ。

 やはり報告書にある「わが国社会や国際社会の担い手として活躍できる人材の育成」にふれ、朝鮮学校の歴史教科書などで独裁者を絶対化、礼賛する記述などが目立つ点を指摘します。

 公表された基準は、授業時間数や施設など外形的条件が専修学校高等課程相当であれば無償化を適用するとしている。一方で適用後の「留意事項」として「わが国社会や国際社会の担い手として活躍できる人材の育成」を挙げた。
 しかし、朝鮮学校では故金日成主席、金正日総書記父子の肖像画が教室に掲げられ、歴史教科書などで独裁者を絶対化、礼賛する記述などが目立つ。「日本当局は『拉致問題』を極大化し」などと反日的で拉致事件の反省がみられない記述も懸念材料だ。
 国際社会の担い手の育成にふさわしい内容とは到底いえず、認められない。「人材育成」にかかわる教育内容の問題こそ、適用基準で明確に示すべきである。

 朝鮮学校の情報開示や経理上の問題点も列挙します。

 留意事項は、ほかに学校情報を積極的に提供することや教員の質の確保、経理の透明化を挙げている。朝鮮学校はこのいずれの点についても重大な疑念がある。
 朝鮮学校では学費納入時に朝鮮総連の傘下団体の活動費を徴収していた問題や、総連が学校行事の寄付名目で資金集めをしていた事実が明らかになっている。
 文科省が朝鮮学校を視察した際には、問題となった歴史授業をはずす時間割改竄(かいざん)なども起きた。教員についても、教員免許はなく思想教育が必修だという。

 拉致被害者の家族会の反対意見を「当然である」と賛同したうえで、社説は「安易な公金投入は国益を害する」と結んでいます。

 留意事項は「努力義務」というが、文科省の踏み込んだ調査は期待できない。適用後に守らせることができるかも疑問だ。
 拉致被害者の家族会と救う会は「北朝鮮に対し、拉致問題で軟化したという間違ったメッセージになる」と適用反対の要請を文科省に行った。当然である。
 日本の主権と日本人の人権を侵害した拉致事件を曲解して教えるような教育内容を「不問」とする基準はおかしい。安易な公金投入は国益を害するものだ。

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 メディアの論説も割れています。

 本件に関しては読売社説は財務の透明化など厳格な審査を求めています、教科書の内容を「こうした内容をまったく問わないとするならば、無償化に国民の理解は得られないだろう」と安易な認定には否定的です。

 一方朝日社説は「結論を先延ばし」せずに「4月にさかのぼっての無償化を速やかに実施すべき」と主張します。

 いくつか問題はあるがここは「日本社会の度量を示そう」とうながします。

 対して産経社説は「極めて問題が多く、看過できない」、「安易な公金投入は国益を害する」と朝鮮学校無償化には完全に反対しています。

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 私は工学系専門校で20年教鞭をとっておりますが、国家は学校教育に過度に干渉すべきではないと思っております、特に思想教育などの国家による強制はもってのほかであり、公的教育は現場にまかせ国家としては「金は出すが口は出さない」が一番だと考えています。

 朝鮮高等学校が民族教育をするのも母語教育をするのもそれはその人々の教育の自由でありますし、それを縛ることは認められないことでしょう。

 教室内に将軍様の御写真が掲げられていたり歴史教育が反日的でおかしな内容になっているのは問題でしょうが、まあ日本は広く自由と平等が認められている民主主義国であります。

 さて朝鮮高等学校ですが、現状でも東京都などの各地自治体が補助金を出しております。

 この事実は重要です、この補助金を認めた上でですが、加えて新たに国からの高等学校等就学支援金を朝鮮高等学校に付与することには私は反対です。

 産経は「拉致被害」と絡めての反対論を展開していますが、私はこの論法は話を混乱させるだけだと考えています。

 たとえ「拉致被害」事件がなかったとしても、あるいは、解決したと仮定しても就学支援金を朝鮮高等学校に付与することには反対なのです。

 現在の朝鮮高等学校に修学している生徒達は、親の意思も含めてではありますが完全に自らの自由意思による選択で選んだわけです。

 その国の公立学校への入学資格が与えられているにもかかわらず、あえてその国の言語以外の外国語で教育を受けたい生徒のための学校であります。

 つまり公立学校とは異なる理念での教育を求める人のための学校です。

 それをも公費で賄う義務が日本国にはあると思えません。

 今まで同様、彼らの教育選択の自由はしっかりと守られるべきです。

 また民族のアイデンティティや母国語と母国文化の継承なども尊重されてよろしいでしょう。

 しかしそれと公費で賄うかどうかは同列で議論できないと思っています。

 私の主張はもちろん、朝鮮学校だけではなく日本の一条校認定校以外の外国人学校全般をターゲットしています。

 これは何も日本が例外ではないです、例えば逆のケースで海外の日本語学校の場合ですが、ヨーロッパなどで現地の自治体が日本の東京都などが朝鮮学校にしているように補助金を出しているケースはあるようですが、国として支援金を日本語学校の生徒に拠出しているという事例は聞いたことはありません。

 海外赴任されて日本語学校にお子さんを預けられた方ならばご承知でしょうが、一般に現地の学校よりも日本語学校の教育費は高く付きます。

 これは当然ですし、あえてその国の言語以外の外国語で教育を受けることは当然それなりの費用が発生すると考えていいでしょう。

 ちなみに、アメリカでヒスパニック系移民が急増しているカリフォルニアで、公立学校の教師は、英語とスペイン語のバイリンガルであることを条件とする、という法案が持ち上がりましたとき、今回の日本と同様の論争が起こりました。

 議会は当然のように棄却しました。

 アメリカで国の援助で教育を受けるならば、将来アメリカ国民として望ましい人材を育てるべく母国語(=英語)を習得してくださいということだったのだと思います。

 母国語を英語と公式に規定する州が増えている中で、しかしアメリカの懐が大きいのは、例えばニューメキシコ州では、子どもたちに特殊な能力をつけるプログラムという趣旨で、バイリンガル教育が続けられています。

 スペイン語を母語とするヒスパニックの子どもたち、民族の言葉を失った先住民の子どもたち、公教育の中でプログラムをいくつか組んでいます。自分たちのルーツを大切にしようというのが目的です。

 しかしこれらはあくまでも英語を母語とした母語教育の中での、一部の取り組みでありプログラムであります。

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 もし朝鮮学校にも無条件で公的支援金を付与するならば、これはおそらく世界の先駆けとなることでしょう。

 しかし私は税金の使途として問題であると思っています。

 公立学校への入学資格が与えられているにもかかわらず、あえて外国人学校を選択するのならば、もちろん教育選択の自由は認めた上でですが、自治体などの補助金はともかく、このような国による支援金制度の対象にはすべきでないと考えます。

 もしこれを認めたら、朝日新聞じゃないですがそれこそ日本社会の度量の広さを世界に先駆けて示すことになるのでしょうが・・・

 度量の問題ではなく私は反対なのです。



(木走まさみず)