厚狭毛利家文書の地元移管

私の生まれ故郷・山口県厚狭周辺を給領地にしていた厚狭毛利家のことはこのブログで色々と触れて来た。

先日山口で行われた山口県地方史学会の70周年記念大会で「厚狭毛利家文書」と呼ばれる貴重な史料が、厚狭図書館に保管保存されるまでの経緯を書いたものが山口県文書館発行の古い「文書館ニュース」に載っていると教えて貰った。

「代官所日記」や「山陽町史」などこの文書に関連した資料にお世話になっている身として、是非目にしておかねばと思い、山口県文書館のホームページから苦心して探しだし読み終えることが出来た。

筆者・江沢能求(えざわのうきゅう)氏は厚狭毛利家菩提寺の洞玄寺(とうげんじ)元住職で「山陽町史」の編纂委員長でもあった。

「厚狭毛利家文書」は初代・毛利元康関連の「豊臣秀吉朱印状」「毛利輝元書状」や系図などと、藩政時代の行政関係資料「御用所日記」「代官所日記」「沙汰書」などが含まれる。

厚狭毛利家は第13代・一彦氏と弟宣男氏が戦死したことで断絶したが、書かれている内容は、当主・一彦氏に召集令状が降った昭和19年春から始まるが、内容の概略は以下の通り。

『彼がこの重要文書を友人に託して出征戦死したことで友人は思案曲折のうえ、山口県史編纂所に寄託された。その後県立図書館~県文書館の奥深く秘蔵された。

戦後当時存在し江沢氏などが参画した郷土史研究会グループがこれを地元に移管したいと願い構想を進めていたが、受け入れに足る施設が当時の厚狭になかった。

昭和46年町立図書館の新築完成と共にこの構想が動き始め、文書を託された友人、所有権者の一彦氏後室、行政機関、などとの折衝を繰り返し、遂に昭和51年11月1日文書は万全な輸送体制を組み山口県文書館から厚狭図書館へ運び入れられた。

また文書の管理を厳重にすべく昭和52年5月「厚狭毛利家文書保存会」第一回理事会が開かれた。』

🔘私がかねてよりレベルが高いと思っている、昭和59年発行の「山陽町史」の取りまとめの母体になっていた山陽町(厚狭)郷土史研究会が中心になって、貴重な厚狭毛利家文書が郷土に保存されるようになった経緯が充分理解できた。

尚、山陽町は平成17年隣接の小野田市と合併して山陽小野田市が発足、平成28年に「厚狭地区複合施設」が鴨庄に完成し、そのなかに山陽小野田市厚狭図書館も包含されてオープン、現在厚狭毛利家文書もここに保管されている。

図書館に保管されている文書の複製を出して貰った

🔘今日の一句

 

冬の須磨墨絵描きつ暮れてゆき

 

🔘施設介護棟屋上庭園、ビデンス

 

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