コンテンツ2.0=共有(≠所有)という概念再確認
Web 2.0時代におけるコンテンツ所有共有についての言及集。:-)
Web 2.0 の最大の特徴は何かと問われたら、私はウェブの情報の所有者をなくして平等にしたことと答えてます。
自分もこう思ってます。でもって、さらに掘り下げたときに、
「自分の持っている情報も自分のモノではない」と言えるんじゃないかなと思うんです。
自分で全てを完結しなくていい
Web 2.0 という永遠にβ版の世界の中では、まずアウトプットを出したら、それをみんなに育ててもらうという感覚がある。著作権と相性が悪いのも分かるよね。"私のもの"であることを放棄すればするほど、多くの人の手によってそれは育てられていく。対して、独占しようとすると嫌われてしまうのがこのウェブの世界。
Web上の知恵は誰のものではないのだから、どう使ってもいい。
これが共有から発生する考え方ではないしょうか。
環境社会学で古くから語られている「共有地(コモンズ)の悲劇」という言葉があります。この概念は環境問題において言われることですが、現在のWebにおいても言えることかもしれません。あらゆる資源が誰のものでもないとなると好き勝手に利用され、不公平不公正が生じるのではないでしょうか。
Web 2.0はユーザーの囲い込みを極度に嫌うし、また囲い込まれることを嫌うユーザーたちに支持されてここまで大きくなった。
ついにはこんなタイトルまで!見事釣られました。w
タイトルは盛大な釣りです。本当に(ry
ニコニコ動画成功の秘訣もここにあり。;-)
コンテンツはコミュニティが育てる。ここがキーか。
…2ちゃんねるでも元々あった文化で、人の著作物を勝手に改造して公開して、それをまた別の人が使うことを誰もとがめない。例えばアスキーアートって、原型を描いた人がいても、最終形はぜんぜん違う人が作っているとか、面白い文章のコピペをだんだん変えていったりとか。ニコニコ動画はその文化圏のルールでやってもいいんだ、とユーザーが思ったので起きている現象だと思います。
優先すべきはアウトプット。
その際、著作権は放棄する…と言い切ると大袈裟なので、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを付与して(決して囲い込まず)他人に自由に使ってもらう、という共有スタンスが大事。
アウトプットされたものが誰かの手により(ここは大袈裟に)世界をより良くするのならば、原型に拘らず変化することを楽しむ。
かくして「コンテンツ2.0」は所有物ではなく共有物となるのだ。