【日本橋】神田方面に向かう~日本橋室町・本町・本石町散策(最終回):長崎屋跡/与謝蕪村住居跡/今川橋
- 2023/11/20
- 08:55
前回の「【日本橋】金融と薬の中心地を歩く~日本橋室町・本町・本石町散策(3)」では、日本銀行、製薬会社を訪れました。
今回は、3年7カ月に及んだ「日本橋散策シリーズ」の最終回として、日本橋室町から神田方面に歩きながら様々な史跡を探訪します。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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(参考:今までの日本橋散策記事)
日本橋散策については、今まで、以下のような10のサブシリーズと1つの番外編を掲載してきました。
①「日本橋堀留町・小舟町散策サブシリーズ」:江戸時代に大変賑わい、浅草寺の大提灯にその名を今でも残している「日本橋堀留町・小舟町」散策(3回にわたり掲載)、
②「日本橋人形町二丁目・富沢町散策サブシリーズ」:花街や遊郭の名残を残す「日本橋人形町二丁目・富沢町」散策(3回にわたり掲載)
③「日本橋蛎殻町サブシリーズ」:水天宮や、東京シティエアーターミナルがある「日本橋蛎殻町」散策(2回にわたり掲載)
④「橋梁としての日本橋サブシリーズ」:橋としての日本橋を様々な視点から見た散策(3回にわたり掲載)
⑤(番外編)「見どころの多い中央区新川散策シリーズ」:日本橋と比べると存在感の少ない新川地区ですが、散策すると多くの見どころを見つけることができる新川地区を散策した番外編(6回にわたり掲載)
⑥「日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋散策サブシリーズ」:伝馬町牢屋敷跡、浜町川跡の暗渠散策、東日本橋界隈を散策(3回にわたり掲載)
⑦「日本橋小網町・人形町1丁目を散策サブシリーズ」:人形町にあった「元吉原」に通じる橋である「親父橋跡」、西郷隆盛屋敷跡などを散策しながらレストラン・カフェ巡り(2回にわたり掲載)
⑧「日本橋浜町→深川散策サブシリーズ」:日本橋浜町の散策と隅田川を渡って江東区深川を散策(3回にわたり掲載)
⑨「日本橋兜町・茅場町散策サブシリーズ」:東京証券取引所があり、日本の金融界の中心地である日本橋兜町・茅場町界隈を散策(3回にわたり掲載)
⑩「日本橋1・2・3丁目・八重洲散策サブシリーズ」:江戸時代から続く老舗店が多くある日本橋1・2・3丁目、江戸時代から続く町人(庶民)の街・八重洲地区を散策(4回にわたり掲載)。
⑪「日本橋室町・本町・本石町散策サブシリーズ」:最終回のサブシリーズとして、日本橋の中で最も華やかな地区である日本橋室町・本町界隈を散策します(4回にわたり掲載)。
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(日本橋は思ったよりも神田に近い)
日本橋からJR神田駅は意外と近距離にあります。
下の写真は、前回の記事で訪れた「艶出専科」近くから、神田駅方向を見たものですが、近い位置にあることがわかると思います。
それでは、ここから、中央通りに沿って、神田駅方向に向かいます。
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(長崎屋跡)
「江戸通り」を渡ると、
「長崎屋跡」の解説板があります。
解説板には次のような説明が書かれています。
「江戸時代、ここは長崎屋という薬種屋があり、長崎に駐在したオランダ商館長の江戸登城、将軍拝謁の際の定宿になりました。(中略)長崎からの随行の人々は、商館長の他、通訳、学者などが賑やかに行列して江戸に来ました。(中略)
商館長に随行したオランダ人の中には、ツンベルクやシーボルトなどの一流の医学者がいたので、蘭学に興味を持つ桂川甫周や平賀源内はじめ日本人の医者、蘭学者が訪問し、長崎以外における外国文化の交流の場として、あるいは、先進的な外国の知識を吸収していた場として有名になりました。」
下の写真は、解説板にある浮世絵の拡大部分で、江戸庶民がオランダ人を興味深げに眺めているところを描いたものです。
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(石町の鐘)(与謝蕪村住居跡)
少し先には、「時の鐘通り」があり、
そこに、「石町時の鐘 鐘撞堂跡」、「与謝蕪村住居跡」の2つの解説板が並んで立っています。
「石町時の鐘」については、
「吉田松陰が投獄された小伝馬町牢屋敷~日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋散策(1)」で、十思公園に移設された「時の鐘」について書きましたが、移設前はこの付近にありました。
下の写真は、十思公園に移設された「石町時の鐘」。
参考記事:新宿の天龍寺にある時の鐘については「新宿駅の喧騒を離れた静寂に浸る~新宿で渋谷川の上流を歩く(1)」を参照。
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(本銀通り)
さらに進むと、「本銀通り」(ほんしろがねとおり)があります。
江戸時代、このあたりには「本銀町」と呼ばれていた町がありました。町名は銀細工師が集住していたことに由来します。
下の写真は、「熈代勝覧」に描かれた「本銀町」界隈。
(出典:本銀通りに置かれた解説版)
参考記事:江戸の時代の庶民の生活がアリアリと観察できる絵巻である「熈代勝覧」いついては、「【日本橋】日本橋の老舗店巡り~日本橋室町・本町・本石町散策(2)」を参照ください。
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(今川橋跡)
「本銀通り」の少し先には、「今川橋跡」の碑があります。
「今川橋」は日本橋と神田地区を隔てる重要な橋でしたので、今でも中央区と千代田区の区境になっています。
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他にも「今川橋跡」の碑と解説板が2つあります。
一つは、中央通りを隔てた「本間ゴルフ」脇に置かれた碑と解説板、
もう一つは、中央通り沿いに置かれた「今川橋由来碑」です。
今川橋は、「浜町川跡を暗渠散策~~日本橋小伝馬町・浜町川跡・東日本橋散策(2)」で書いた「竜閑川」(りゅうかんがわ)に架けられた橋で、日本橋川との合流点には、竜閑橋が残っています(下の写真)。
その解説版です。
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(竜閑川の護岸跡?)
最初に見た「今川橋跡」の近くに、年代を経た非常に古い石があります。
私は、竜閑川の護岸跡ではないかと思っているのですが、付近には何の説明もありませんでした。
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(今川橋交差点)(山梨中央銀行)
この「今川橋跡」が日本橋の最北端ですので、「日本橋散策」はこれで終わりますが、少し先に行ってみます。
少し先には、「今川橋交差点」がありますが、ここに「今川橋」があったわけではありません。
この「今川橋交差点」の手前にレトロな建物の「山梨中央銀行」があります。
千代田区の「景観まちづくり重要物件」に指定されている建物です。
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今回で、令和2年(2020年4月)から始めた、「日本橋散策シリーズ」を終了します。
11のサブシリーズ(1つの番外編を含む)、掲載記事は36、掲載期間は3年7カ月に及んだ長いシリーズとなりました。
(※)地域別(東京23区+近隣県)に分類した散策記事の一覧表として「【保存版】地域別(東京23区+近隣県)散策記事一覧」をご活用ください。
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