梶ピエールのブログ

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文化大革命の「新常識」


 今年は文革50周年ということもあって、文革をテーマにしたシンポジウムや雑誌の特集、書籍など、地味ではあるが様々な再検証の試みが行われてきた。その中でも、12月23日にNHKBSで放送されたドキュメンタリー「文化大革命50年 知られざる“負の連鎖”〜語り始めた在米中国人」は画期的な内容だった。番組のベースになっているのは、徐友漁らアメリカ在住の「文革世代」のリベラル派知識人の証言と、スタンフォード大のアンドリュー・ウォルダー教授による、中国の地方誌に記された情報を丹念にデータベース化する中で得られた研究成果である。近年の文革研究は、明らかにアメリカを中心に進められてきた。彼ら在米の研究者たちによって、従来の常識を覆す新事実が次々に明らかにされてきたからである。日本でも、ウォルダー教授の研究チームに加わっていた神戸大学の谷川真一氏らが近年精力的に研究成果を発表しており、その内容は研究者の間では徐々に知られるようになっていた。とはいえ、当事者へのインタビューや豊富な映像によってそのような「文革の新常識」が視聴者に明快な形で視聴者に示されたことは大きい。

 では、その「文革の新常識」とはなにか。それについて説明するためには、文革に関する「旧来の常識」について確認しておく必要がある。これまでの日本社会における文革認識は、一言でいうと「『大地の子』バイアス」ともいうべき固定化されたイメージでとらえられてきたのではないだろうか。すなわち、毛沢東を熱烈に崇拝する年少の「紅衛兵」が、「ブルジョワ反動的」とレッテルを張られた官僚や知識人を暴力的手段をもって糾弾し、打倒したというイメージである。だが、それは文化大革命の悲劇の本の序幕であり、文革を通じて吹き荒れたすさまじい暴力の一部分でしかない。

 番組が説くところ―それはウォルダー教授の研究成果に負うところが大きいが―によれば、文革における死傷者を伴う「暴力」には三つの異なる種類のものが含まれる。一つは、1966年に始まった紅衛兵運動が「ブルジョア反動分子」を批判・打倒する際に行使された暴力である。前述の「『大地の子』バイアス」によって、日本ではこの腕章をつけ人民帽をかぶった紅衛兵が知識人をつるし上げるというイメージがほぼ「文革の暴力」とイコールで結びつけられる傾向がある。
 第二の「文革の暴力」が、1967年の毛沢東の講話に触発された、「造反派」による工場や官僚組織などの奪権闘争、およびその過程で起きた熾烈な主導権争いである。この「造反派」には、1966年の紅衛兵運動の中で「ブルジョア反動分子」として批判された資本家や地主の子弟など、「出身が悪い」とされ疎外されてきた若者たちがかなりの程度参加していた。
 造反派による奪権闘争が混乱を極めるなか、毛沢東ら党中央部は事態を収拾するために各地方に革命委員会を組織させ、党委員会に変わって行政を担わせることで事態の収拾を図った。その過程で第三の「文革の暴力」が生じる。混乱した事態の収束を図るという名目の下、革命委員会という武力を背景にした権力機関の手によって陰惨な粛清が行われたからである。番組で描かれたように、革命委員会は党と軍の幹部、そして造反派の一部によって形成された。しかし、そこに入り込めなかった造反派は、それまでの奪権運動による混乱の責任を一方的に負わされる形で次々と処刑されていった。ウォルダー教授は各地方の地方誌に記載された情報を丹念につなぎ合わせることによって、この「第三の暴力」すなわち革命委員会による粛清の犠牲者こそが、文革期を通じて桁外れに数が大きいことを明らかにした。

 つまり「文革の暴力」には、底辺に位置する者の造反=反逆という新左翼好みの図式で描かれる側面だけでなく、明らかに権力による白色テロという側面も存在しており、しかも後者の規模の方が遥かに大きかった。しかし、そのことはこれまで中国社会で公に語られることはほとんどなかった。その後文革を全否定した中国政府は、その罪をほとんど「造反派」に押し付けることで事態の収拾を図ったからである。こうした権力の暴力に焦点が当たるようになったのは、番組に登場した徐友漁氏など、自身が造反派として文革にコミットした人々が、―多くの場合天安門事件による海外亡命を期に―「中国の外」でこの問題を正面からとらえた発言を行うようになってからである。今後、この「新常識」を踏まえずして、文化大革命を論じることはできないだろう。