黒澤映画(の著作権)は永遠に不滅です!

昨年取り上げた故・黒澤明監督の映画DVDをめぐる訴訟だが*1、まだ続きはあったようで、新たに松竹株式会社を原告とする訴訟の判決(被告は、東宝、角川事件などと同じ株式会社コスモ・コーディネート)がアップされている。

東京地判平成20年1月28日(H19(ワ)第16775号)*2

本件で紛争の対象になっている劇場用映画は、

「醜聞(スキャンダル)」(1950年公開)
「白痴」(1951年公開)

の2本。


本件も昨年の二事件同様、黒澤明監督個人が「著作者」であるという原告側*3の主張が認められ、

「本件両作品の著作権の存続期間は平成48年(2036年)12月31日までと認められるから、いずれも著作権の存続期間は満了していない。」(19頁)

という結論に至ったものであり*4、その点に関しては真新しさはない。


むしろ本件で注目すべきは、これまでの訴訟にはなかった、次の争点をめぐる攻防である。

争点2「原告は本件両作品の頒布権を有するか」

被告側の主張は概ね次のようなもの。

旧著作権法の下では、映画はあくまでも映画館で映写して観客に見せるために製作されるもので、現在のように映画をビデオやDVDに複製して頒布することは考慮されていなかった。
原告が著作権を原始的に取得したのであればともかく、著作者から映画会社が著作権の譲渡を受けた、という構成をとる本件においては、当該頒布権は譲渡の対象とならないと解される。

この種の論点は、いわゆる「未知の利用方法」の問題として取り上げられることが多いものであるが、答えを出す上での明確な準則はいまだ示されておらず、あくまで著作権の譲渡当事者の意思解釈の問題として処理されることが多い。


となれば、原告の側としては、60年近く前の「譲渡」時点での当事者意思を主張立証するか、あるいは、それを飛び越えるだけの解釈論を持ち出さないといけなくなるはずで、“牽制球”としては、なかなか洒落たものだといえるだろう。


裁判所が、

「原告が,黒澤から本件両作品の著作権を承継したとしても,頒布権については,現行著作権法において初めて権利として認められた(26条)ものであるから,現行著作権法施行前に著作権の譲渡が行われた場合に,当該著作物の頒布権についてどのように考えるべきかが問題となる。」(14頁)

とこの争点を正面から取り上げる姿勢を示しつつも、

「この点、現行著作権法附則9条は、「この法律の施行前にした旧法の著作権の譲渡その他の処分は,附則第15条第1項の規定に該当する場合を除き,これに相当する新法の著作権の譲渡その他の処分とみなす。」と規定しているが,その趣旨は,旧著作権法に基づく著作権と,現行著作権法に基づく著作権とでは,その種類及び内容に差異が存在することから,法により内容が規定されるという著作権の性質上,権利内容が拡大した部分についても処分の対象となっていたものとして扱うものとすることと解される。」
「そうすると,旧著作権法下において著作権を全部譲渡した場合には,特段の事情のない限り,現行著作権法により権利内容が拡大された著作権の全部を譲渡したとみなされるというべきである。」
(14-15頁)

と、附則の経過規定を援用して、形式的に、「頒布権」が譲渡内容に含まれるというあっさりした判断を下してしまったために、結果として判決自体の面白みはなくなってしまったのだが、旧法下で明確に「存在した」といえる利用方法に係る権利であればともかく、旧法下で想定されていなかった利用態様に係る権利までもが、経過規定の解釈で「(当然)処分対象となっていた」と解する本判決の論旨は、少し強引過ぎるようにも思われ、被告側がこのあたりをもっとガリガリと突いていけば、(結論は揺るがないにしても)今後より奥の深い判示が引き出されるのではないだろうか。


先のエントリーでも述べたように、「著作者」としての監督の存在を強調することは、(たとえ著作権の存続期間満了を阻止する、という背に腹変えられぬ事情があるのだとしても)それなりのリスクを伴う主張であり、代理人を付けずに戦っているDVD販売業者でさえ*5、上記の程度の立論はなしうるのであるから、今後、仮に旧法下の「著作者」が映画会社に反旗を翻して本格的に争うようになった時のことを考えると、なかなか末恐ろしいものがある。


映画会社サイドで、前門の廉価DVD販売業者にばかり目を取られて、後門の「著作者」へのケアを怠るようなことがあれば、またしても“立法者意思”に頼らざるを得なくなってしまうのではないか・・・(笑)*6。


おそらくは杞憂だと思われるが、一応心配しておくこととしたい(老婆心)。


(補足)
なお、判決文においては、「(2)平成15年改正法による改正前の著作権法による本件両作品の著作権存続期間」だけでなく、「(3)平成15年改正法による改正後の著作権法による本件両作品の著作権存続期間」についても「公表後70年」で計算した上で黒澤監督の死後38年基準と対比しているのだが、これは明らかに蛇足というべきだろう(「公表後70年」の規定を適用する余地が元々ない以上、それに基づく保護期間の算定をする必要もないはずである)。


まさか、東京地裁知財部の裁判官がシェーンやローマの休日事件の判決を知らないわけはないと思うのだが・・・・。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20071001/1191176360

*2:第29部・清水節裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080128174124.pdf

*3:代理人は三宅坂総合法律事務所の野間自子、中島健太郎、江端重信の三弁護士。

*4:存続期間の起算点は黒澤明監督が死去した1998年(正確には翌1999年1月1日)で、そこから旧法下の38年間の保護期間を享受しうる、ということになっている。

*5:その割には判決文に現れる主張は十分に組み立てられたものになっているから、おそらくどこかしらかで“軍師の知恵”は借りているのだろうが。

*6:本件被告の主張の中でも出てくるように、従来文化庁所管の審議会等では、映画の著作物が団体名義で公表された著作物であって、公開年から存続期間が起算される、という前提の下で保護期間延長の話が進められていたものであり、監督等のスタッフが「著作者」となり、その死が保護期間の起算点となる、という発想には立脚していなかったように思われるから、そこから遡って旧法下の立法者意思を推測することもできなくはないだろう(もちろん、これまでのDVD業者との訴訟における主張とは矛盾することになるが(笑))。

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