魚島村
うおしまむら 魚島村 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
廃止日 | 2004年10月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 魚島村、弓削町、岩城村、生名村 → 上島町 | ||||
現在の自治体 | 上島町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 四国地方 | ||||
都道府県 | 愛媛県 | ||||
郡 | 越智郡 | ||||
市町村コード | 38349-0 | ||||
面積 | 3.17 km2 | ||||
総人口 |
334人 (2000年10月1日) | ||||
隣接自治体 |
越智郡弓削町・宮窪町 香川県観音寺市(すべて海上により隣接) | ||||
村の木 | ウバメガシ | ||||
村の花 | スイセン | ||||
町の魚・鳥 | 桜鯛、ウグイス | ||||
魚島村役場 | |||||
所在地 |
〒794-2540 愛媛県越智郡魚島村1番耕地1362番地の第1 | ||||
座標 | 北緯34度10分43秒 東経133度19分22秒 / 北緯34.17856度 東経133.32269度座標: 北緯34度10分43秒 東経133度19分22秒 / 北緯34.17856度 東経133.32269度 | ||||
ウィキプロジェクト |
魚島村(うおしまむら)は、かつて愛媛県の東予地方にあった村である。
1947年には人口1,700人を越えていたが、過疎化によって閉村直前には約290人にまで人口減少が進み、西日本一の小規模自治体となった。「学校は地域の灯台」の理念を掲げ、村民大募集により廃校の危機を乗り越え、下水道普及率100%達成、愛媛県内自治体初のケーブルテレビ (CATV) 導入など、離島で集落が小規模に凝縮された村だからこそ可能ともいえるユニークな施策を推進し、全国の小規模離島のモデルとして注目された村でもあった。
詳細は各島の記事を参照のこと。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1879年(明治12年) - 村制実施[1]。
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い弓削村に編入。
- 1895年(明治28年)9月12日 - 弓削村から分離し、再び魚島村となる[1]。
- 1995年(平成7年) - 村制100周年。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 上島諸島4か町村で合併、自治体としての魚島村の歴史を閉じる。
魚島村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 昭和28年1月1日 平成16年10月1日 佐島 ━━┓ 町制施行 上弓削 ━━╋━━━━━弓削村━┳━━━━━━━━弓削町━━━━┓ 下弓削 ━━┫ ┃ あ ┃ 新設合併 魚島 ━━┛ ┗━魚島村━━━━━━━━━━━╋━━━━上島町 生名村━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 岩城村━━━━━━━━━━━━━━━━┛ あ - 明治29年9月12日 分立 (注記)生名村以下の町村の合併以前の系譜はそれぞれの町・村の記事を参照のこと。
平成の大合併
[編集]平成の大合併に際しては、弓削町、岩城村、魚島村とともに広島県因島市との県境を越えた合併を目指して「因島・上島諸島連携交流協議会」が2000年5月に設置された[2]。また、愛媛県が2000年10月に示した合併の試案では、越智郡の16市町村(朝倉村、玉川町、波方町、大西町、菊間町、吉海町、宮窪町、伯方町、生名村、弓削町、岩城村、上浦町、大三島町、関前村)とともに今治市に合併する案とともに、弓削町、岩城村、生名村と合併する副案が示された[3]。また、2001年1月に県が明らかにした「基本パターン」では2000年の試案通りの今治市を核とした16市町村での合併、「参考パターン」では2000年の試案で副案として示された4町村での合併が合併推進綱領に盛り込まれることとなった[4]。2002年2月25日の第2回合併問題検討首長会で2001年に示された「参考パターン」の4町村で合併を目指すことが決まった[5]。なお、4町村での任意の合併協議会が発足してからも他島との架橋の見込みがないことから「合併か単独か確定していない」と態度が曖昧であり[6][7]、従来より広域行政や船便で他島と結ばれてきたことや、合併しなければ地方交付税が減らされることから合併に正式に参加することが20002年6月17日の合併推進協議会で示された[7]。2003年11月4日には、合併後の新町名が「上島」「愛北」「芸予上島」「伊予上島」の4候補から選定され、「上島」となることが決定された[8]。2004年2月26日に調印され、合併が成立した[9]。
行政
[編集]- 村長 - 佐伯真登(さいきまさと)
- 庁舎
4 - 6階建て。これは産業の頼みの因島にある因島市役所(現尾道市因島総合支所)より大きい構造である。
- 昭和の合併
- 離島であり、合併困難町村として経験していない。
- 平成の合併
産業
[編集]- 漁業
教育
[編集]小学校
[編集]中学校
[編集]交通
[編集]航路
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “5.愛媛県・魚島漁業者グループ”. 水産業・漁村活性化推進機構. 2022年11月22日閲覧。
- ^ “知事、「県境越え」容認 因島市、愛媛側と模索 市町村合併/広島”. 朝日新聞. (2000年11月21日)
- ^ “70市町村を13自治体に 県が合併試案、早期実現へ努力 /愛媛”. 朝日新聞. (2000年10月5日)
- ^ “基本パターンは11自治体 市町村合併、県が公表 /愛媛”. 朝日新聞. (2001年2月1日)
- ^ “合併「上島4町村で」 弓削町など意思表明 /愛媛”. 朝日新聞. (2002年2月26日)
- ^ “上島4町村、任意協設立(地域再編 市町村合併) /愛媛”. 朝日新聞. (2002年4月19日)
- ^ a b “「上島合併」参加へ正式表明 魚島村・佐伯村長 /愛媛”. 朝日新聞. (2002年6月18日)
- ^ “上島諸島4町村、新町名「上島」に 法定合併協で決定 /愛媛”. 朝日新聞. (2003年11月5日)
- ^ “「上島町」へ合併調印式 弓削町・岩城村・生名村・魚島村 /愛媛”. 朝日新聞. (2004年4月27日)