高錦昭應
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基礎情報 | ||||
四股名 | 荒木山 → 高錦 昭應 → 高錦 照雄 | |||
本名 | 荒木 昭應 | |||
生年月日 | 1934年2月12日(90歳) | |||
出身 | 熊本県飽託郡北部村(現在の熊本市北区) | |||
身長 | 168cm | |||
体重 | 152kg | |||
BMI | 53.85 | |||
所属部屋 | 高砂部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭11枚目 | |||
生涯戦歴 | 419勝418敗32休 (68場所) | |||
幕内戦歴 | 65勝70敗15休 (10場所) | |||
優勝 | 十両優勝2回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1949年5月場所 | |||
入幕 | 1957年1月場所 | |||
引退 | 1963年11月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月15日現在 |
高錦 昭應(たかにしき あきまさ、1934年2月12日 - )は、熊本県飽託郡北部村(※現役当時、現・同県熊本市北区)大字鹿子木出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は荒木 昭應(あらき あきまさ)。身長168cm、体重152kg。最高位は西前頭11枚目(1957年9月場所)。得意手は右四つ、寄り[1]。
来歴
[編集]地元の中学校を卒業後、高砂親方(横綱・前田山(※この当時は現役、引退後の1949年10月より親方業に専念))の勧誘を受けて高砂部屋に入門。1949年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。当初は「荒木山」と名乗ったが、「高錦」に改名すると才能が開花した[1]。
その後、1956年3月場所で新十両に昇進。同場所では12勝3敗という好成績を収め、十両優勝を果たしている。以降も勝ち越しを続け、翌年1月場所で新入幕を果たした。そして、この場所から3場所連続で幕内での勝ち越しを決めた[1]。
当時としては大柄の部類に入った150㎏台の体格を活かした寄りが武器であったが、脇の甘さや無欲な性格であった事が災いして大成できず、前頭1桁台への進出は叶わなかった[1]。
現役晩年は幕下44枚目まで番付を落とし、1963年11月場所後、29歳で廃業[1]。
廃業後は東京都内の企業に勤めていたが、やがて帰郷した。その後は熊本市で相撲料理店「ちゃんこ高錦」を経営していたが、2020年現在閉店している。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:419勝418敗32休 勝率.501
- 幕内成績:65勝70敗15休 勝率.481
- 現役在位:68場所
- 幕内在位:10場所
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1956年3月場所、1961年3月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1949年 (昭和24年) |
x | x | (前相撲) | x | 西序ノ口2枚目 8–7 |
x |
1950年 (昭和25年) |
西序二段10枚目 6–9 |
x | 東序二段11枚目 9–6 |
x | 西三段目32枚目 7–8 |
x |
1951年 (昭和26年) |
西三段目32枚目 7–8 |
x | 西三段目31枚目 7–8 |
x | 西三段目33枚目 8–7 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東三段目19枚目 5–3 |
x | 東三段目8枚目 3–5 |
x | 西三段目12枚目 5–3 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東三段目7枚目 6–2 |
東幕下30枚目 3–5 |
東幕下34枚目 5–3 |
x | 東幕下25枚目 5–3 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東幕下19枚目 5–3 |
東幕下9枚目 4–4 |
東幕下8枚目 3–5 |
x | 西幕下12枚目 4–4 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西幕下11枚目 4–4 |
西幕下10枚目 5–3 |
西幕下5枚目 5–3 |
x | 西幕下筆頭 3–5 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東幕下4枚目 6–2 |
東十両22枚目 優勝 12–3 |
西十両10枚目 10–5 |
x | 西十両3枚目 10–5 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西前頭20枚目 8–7 |
東前頭19枚目 8–7 |
東前頭15枚目 9–6 |
x | 西前頭11枚目 7–8 |
東前頭12枚目 休場[2] 0–0–15 |
1958年 (昭和33年) |
西前頭21枚目 9–6 |
西前頭17枚目 6–9 |
西前頭19枚目 7–8 |
東前頭20枚目 5–10 |
東十両2枚目 6–9 |
東十両8枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) |
東十両5枚目 8–7 |
東十両4枚目 10–5 |
西十両筆頭 10–5 |
東前頭16枚目 6–9 |
西十両筆頭 5–10 |
東十両7枚目 7–8 |
1960年 (昭和35年) |
東十両8枚目 8–7 |
西十両6枚目 8–7 |
西十両6枚目 4–11 |
西十両15枚目 9–6 |
東十両8枚目 7–8 |
東十両9枚目 8–7 |
1961年 (昭和36年) |
東十両7枚目 4–11 |
西十両13枚目 優勝 12–3 |
西十両3枚目 5–10 |
東十両9枚目 7–8 |
西十両9枚目 8–7 |
西十両6枚目 7–8 |
1962年 (昭和37年) |
西十両7枚目 8–7 |
東十両5枚目 7–8 |
東十両6枚目 5–10 |
西十両10枚目 10–5 |
東十両4枚目 6–9 |
西十両6枚目 4–7–4 |
1963年 (昭和38年) |
東十両14枚目 8–7 |
西十両9枚目 4–11 |
西十両16枚目 5–9–1 |
東幕下筆頭 1–6 |
東幕下14枚目 0–2–5 |
西幕下44枚目 引退 0–0–7 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青ノ里 | 1 | 0 | 東海 | 2 | 0 | 天津灘 | 1 | 1 | 泉洋 | 2 | 6 |
大瀬川 | 3 | 1 | 大起 | 2 | 0 | 大ノ浦 | 3 | 0 | 大晃 | 2 | 2 |
小城ノ花 | 1 | 4 | 小野錦 | 2 | 1 | 海山 | 0 | 2 | 金ノ花 | 1 | 2 |
神生山 | 1 | 1 | 神錦 | 2 | 0 | 起雲山 | 1 | 1 | 北ノ洋 | 0 | 1 |
清恵波 | 2 | 1 | 鬼竜川 | 2 | 2 | 鯉ノ勢 | 2 | 1 | 潮錦 | 4 | 0 |
信夫山 | 1 | 0 | 常錦 | 3 | 0 | 鶴ヶ嶺 | 0 | 1 | 出羽錦 | 1 | 0 |
出羽湊 | 0 | 1 | 時津山 | 0 | 2 | 時錦 | 3 | 1 | 鳴門海 | 3 | 1 |
成山 | 0 | 3 | 白龍山 | 1 | 1 | 羽嶋山 | 0 | 3 | 羽子錦 | 0 | 2 |
緋縅 | 1 | 0 | 平鹿川 | 1 | 0 | 広瀬川 | 2 | 2 | 福田山 | 0 | 1 |
福ノ海 | 3 | 4 | 福乃里 | 0 | 1 | 双ツ龍 | 2 | 0 | 星甲 | 1 | 3 |
三根山 | 0 | 1 | 明歩谷 | 0 | 1 | 八染 | 2 | 4 | 吉井山 | 0 | 1 |
芳野嶺 | 1 | 2 | 若杉山 | 0 | 1 | 若瀬川 | 0 | 2 | 若秩父 | 0 | 1 |
若ノ海 | 0 | 1 | 若葉山 | 5 | 2 |
改名歴
[編集]- 荒木山(あらきやま、1949年10月場所 - 1955年3月場所)
- 高錦 昭應(たかにしき あきまさ、1955年5月場所 - 1961年1月場所)
- 高錦 照雄(たかにしき てるお、1961年3月場所 - 1963年11月場所)
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年)p123-p128