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青柳信正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青柳信正
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文14年(1543年[1]
死没 寛永3年10月29日1626年12月17日[1]
別名 正信[1]
戒名 清月[1]
官位 内匠助[2]
幕府 江戸幕府 代官
主君 武田勝頼徳川家康
氏族 南部氏流波木井氏族
父母 父:青柳正久[1]
志村貞盈の娘[1]
信次貞利今井信盛の妻、女子[1]
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青柳 信正(あおやぎ のぶまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将

略歴

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家伝によれば青柳氏は甲斐源氏南部氏の一族で、日蓮宗初期の檀家としても知られる波木井氏の末裔である。武田氏に従い、信正の祖父の代に信濃国筑摩郡青柳を与えられて名字の地としたという[注釈 1]。信正も武田勝頼に仕えたが、天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると徳川家康に従う[注釈 2]。天正18年(1590年徳川氏関東に移封されると武蔵国多摩郡内に70石を与えられて代官頭大久保長安の配下となり、後には代官を務めた。寛永3年(1626年)84歳で死去[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 青柳は現在の長野県筑北村坂北の地名。同地の青柳氏は信濃守護小笠原氏被官だったとされる[3]
  2. ^ 天正壬午起請文」では青沼助兵衛尉衆として名がみえる[4]

出典

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参考文献

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  • 一志茂樹 編『長野県の地名』平凡社日本歴史地名大系〉、1979年。ISBN 978-4-582-91035-3 
  • 甲斐志料集成刊行会 編『甲斐志料集成』 4巻、歴史図書社、1981年。 
  • 『新訂 寛政重修諸家譜』 18巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1966年。ISBN 978-4-7971-0222-2