集団防衛
集団防衛(しゅうだんぼうえい、英: collective defense、「集団的防衛」とも訳される)とは、特定の敵対国や脅威に対して複数の国家が共同で防衛にあたり、相互の平和と独立と地域的に安全保障を図る、2か国または複数国間の合意または協力の枠組みを指す。この協力は通常、軍事同盟、連合、または相互援助協定に基づき、1か国では対抗できない脅威国を複数で協力することで抑止力を担保することを目的としている[1][2]。
集団安全保障と集団防衛
[編集]集団防衛の具体的な例としては、大きくわけて日米同盟などの二国間の軍事同盟を締結する場合、NATOのような複数国で集団防衛機構を構成する場合とがある。これら集団防衛の同盟や機構は、時として国連に代表される集団安全保障のシステムと混同して理解されることもあるが、確かに、集団防衛も集団安全保障も、諸国間協力により侵略を抑止し、抑止に失敗すれば武力行使をするという点においては共通しているものの、いくつかの点で制度的な相違を有している[3]。
第一に集団防衛が敵対国とほぼ同等の防衛力でパワーバランスを維持し、相互に武力攻撃できない状態を作ることで安全保障を確保するのに対して集団安全保障は圧倒的優位により、平和破壊活動を抑止・制裁するという点が挙げられる。第二には、集団防衛が同盟の体制外への脅威に対抗するのに対して、集団安全保障はほぼ体制内の脅威に対処する枠組みであることである[4]。
集団安全保障を重視する側からは、集団安全保障の方が集団防衛よりも破壊行為を効果的に抑止し、コストも低いと評価する一方、否定的な側からは、集団安全保障の枠組に自国防衛を委ねることになれば、集団安全保障システムの構成国は防衛コストを最小化していく政策をとるようになり、集団安全保障システムの安定の根底にある「圧倒的な優位」が崩れていくという見方がなされている。または集団安全保障を肯定する側からは、集団防衛が対立と緊張を助長する要因を孕んでいると指摘するのに対し、否定論者からは集団安全保障システムは構成国への拘束が強く、体制内に共通の脅威がなくなった場合の体制維持が困難であり、また、システムに非協力的な国が登場したり、システムに反発する国が暴走するフリーライダーと化した場合、システムが機能する可能性が著しく低下するという指摘がされている[5]。
具体的には国際社会で武力紛争が発生した場合、国連安保理の常任理事国のうちの1ヶ国でも拒否権を行使・発動した場合、抑止と制裁が機能しなくなるという危惧はその代表的な例であり、故に国連においても、国連憲章第51条にて「個別的または集団的自衛の権利」を定め、加盟国が軍事同盟を締結し、集団防衛を図ることを容認している。結果として日米同盟を初め様々な集団防衛の枠組みが国連の集団安全保障システムと並立・並存している状況にある[6]。
集団安全保障 | 集団防衛 | |
---|---|---|
抑止と制裁の力学 | 力の優位 | 力の均衡 |
脅威の所在 | 体制内 | 体制外 |
脅威の性質 | 不特定 | 特定 |
脅威の内容 | 侵略的意図 | 増強する能力 |
評価(長所) | 安全保障のジレンマを緩和 | 高い実効性 |
評価(短所) | 低い実効性 | 安全保障ジレンマを助長 |
制度的枠組 |
国際連合 / 国際連盟 |
北大西洋条約機構 |
二国間同盟の事例
[編集]米国中心の二国間同盟
[編集]太平洋集団安全保障構想が実現できなかったため東アジア地域では二国間同盟が維持された[8]。
根拠法 | 締結期間 | 駐留米軍使用面積(エーカー) | 施設価値(100万ドル) | 人員 | |
---|---|---|---|---|---|
日本 | 日米安全保障条約 | 1951年~ | 127,696 | 44,248 | 76,122 |
大韓民国 | 米韓相互防衛条約 | 1953年~ | 55,976 | 12,597 | 67,732 |
フィリピン | 米比相互防衛条約 米比基地協定破棄 米比訪問軍隊協定 |
1951年~ 1991年 1999年~ |
- | - | - |
タイ | 東南アジア集団防衛条約 タナット=ラスク共同声明 |
1951年~ 1962年~ |
- | - | - |
中華民国 (台湾) |
米華相互防衛条約 米国台湾関係法 |
1954年~1979年 1979年~ |
- | - | - |
オーストラリア・ニュージーランド(三国) | 太平洋安全保障条約 (ANZUS) |
1951年~ | 18,099 | 323 | 51 |
集団防衛機構の事例
[編集]米国を中心とした集団防衛機構
[編集]名称 | 締結期間 | 加盟国 | 準加盟・オブザーバー | 備考 |
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北大西洋条約機構 NATO: North Atlantic Treaty Organization |
1949年~ | 原加盟(12ヶ国)![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 後に加盟(冷戦中・4ヶ国) ![]() ![]() ![]() ![]() 後に加盟(冷戦後・13ヶ国) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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冷戦時代、米国を中心に西側諸国12か国で創設。 冷戦凍結後、段階的に東欧諸国を加えた。 |
中東条約機構 METO: Middle East Treaty Organization |
1950年~1959年3月24日 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
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1955年にイラク、トルコ、パキスタン、イラン、イギリスがバグダッド条約を調印し発足。 ソ連との冷戦期に入っていた米国が中東諸国を取り込むために組織し、経済援助等を行った。 1959年3月24日、イラクが革命のため、中東条約機構より脱退し、終焉。 |
中央条約機構 CENTO: Central Treaty Organization |
1959年3月24日~1979年 | ![]() ![]() ![]() |
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中東条約機構よりイラクが脱退したため、機構の機能をトルコのアンカラに移し、中央条約機構として再構成。 印パ戦争や中東戦争に介入せず、あまり有効に機能しなかった。 1979年のイラン革命を契機に解散。 |
東南アジア条約機構 SEATO: The Southeast Asia Treaty Organization |
1954年9月8日~1979年6月30日 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
第二次世界大戦後、仏領インドシナからフランスが撤退した後、共産主義勢力の東南アジアへの影響力拡大を阻止すべく創設。 1973年のベトナム戦争終結後その存在意義が問われ、同年パキスタン脱退。 翌1974年にフランスが脱退。 1977年6月30日に解散した。 | |
(北東アジア条約機構) (NEATO: The North East Asia Treaty Organization) 構想で頓挫 |
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1954年、アメリカは日本、韓国、中華民国(台湾)による太平洋集団安全保障構想を提唱したが、韓国が反日感情のため日本の参加に反対し実現できなかった[8]。なお韓国は当時、日本を除く集団安全保障構想を独自に提唱したが実現できなかった[8]。 →詳細は「太平洋集団安全保障構想」を参照
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(太平洋アジア条約機構) (PATO: Pacific Asia Treaty Organization) 構想で頓挫 |
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ベトナム戦争後、リチャード・ニクソン大統領の構想ニクソン・ドクトリンの中で描かれたアジア太平洋地域における集団防衛機構の案。 | |
米英豪合意 (AUKUS:Australia United Kingdom and United States) |
2021年9月15日~ | (![]() ![]() ![]() |
存在感を増す中国に対抗する為に結成された。 |
旧ソ連・ロシアを中心とした集団防衛機構
[編集]名称 | 締結期間 | 構成国 | 備考 |
---|---|---|---|
ワルシャワ条約機構 WTO: Warsaw Treaty Organization/Warsaw Pact |
1955年~1991年7月1日 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
ワルシャワ条約に基づきソビエト社会主義共和国連邦を盟主とした東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟。 1989年の冷戦終結に伴って東欧革命が始まり、1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散。 |
独立国家共同体・集団安全保障条約機構 CIS: Commonwealth of Independent States |
1991年12月8日~ | 1991年発足時![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1993年加盟 ![]() ![]() |
1991年12月8日、ロシアのボリス・エリツィン大統領、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ最高会議議長はベラルーシのベロヴェーシの森で、ソビエト社会主義共和国連邦の消滅と独立国家共同体 (CIS) の創立を宣言した(ベロヴェーシ合意)。 |
脚注
[編集]- ^ カピー & エバンス 2002, p. 129
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, p. 333.
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, p. 288.
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, pp. 288–289
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, pp. 289–290.
- ^ カピー & エバンス 2002, p. 129.
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, p. 288より転載。ただし表枠組を一部改編。
- ^ a b c 松田春香「東アジア「前哨国家」による集団安全保障体制構想とアメリカの対応 : 「太平洋同盟」と「アジア民族反共連盟」を中心に」『アメリカ太平洋研究』第5巻、東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター、2005年3月、135-152頁、doi:10.15083/00037251、hdl:2261/33814、ISSN 13462989。
- ^ 防衛大学校安全保障学研究会 2007, p. 279より転載。ただし表枠組を一部改編。
- ^ アメリカ国防総省 2005
- ^ リチャード・ハロラン著「PATO-太平洋アジア条約機構 ミクロネシア防衛線への後退」『世界週報』(時事通信社、1970年8月18日・51巻33号)16-26頁、アジア駐在特派員著「ハロラン論文とかんけいこくの表情 PATO結成は覚束ない」『世界週報』(時事通信社、1970年8月18日・51巻37号)24-33頁、及び カピー & エバンス 2002, p. 282
参考文献
[編集]- カピーデービッド; エバンスポール『レキシコンアジア太平洋安全保障対話』福島安紀子(訳)、日本経済評論社、2002年。ISBN 978-4818814516。
- 防衛大学校安全保障学研究会 編『安全保障のポイントがよくわかる本』亜紀書房、2007年。ISBN 978-4750507057。
- アメリカ国防総省『Base Structure Report 2005』2005年。
- 時事通信社 編『世界週報』1970年8月18日・51巻33号。
- 時事通信社 編『世界週報』1970年9月15日・51巻37号。