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陽徳郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平安南道 陽徳郡
位置
各種表記
チョソングル: 양덕군
漢字: 陽德郡
日本語読み仮名: ようとくぐん
片仮名転写: ヤンドク=クン
ローマ字転写 (MR): Yangtŏk kun
統計(2008年
面積: 772 km2
総人口: 61,355 人
人口密度: 79.48 人/km2
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
上位自治体: 平安南道
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陽徳郡(ヤンドクぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国平安南道に属する

地理

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隣接行政区

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行政区域

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1邑・18里を管轄する。

  • 陽徳邑(ヤンドグプ)
  • 巨上里(コサンニ)
  • 九龍里(クリョンニ)
  • 東陽里(トンヤンニ)
  • 龍巌里(リョンアムニ)
  • 龍坪里(リョンピョンニ)
  • 鳳渓里(ポンゲリ)
  • 士基里(サギリ)
  • 三渓里(サムゲリ)
  • 上城里(サンソンニ)
  • 上信里(サンシンニ)
  • 樹徳里(スドンニ)
  • 温井里(オンジョンニ)
  • 雲倉里(ウンチャンニ)
  • 隠下里(ウナリ)
  • 日巌里(イラムニ)
  • 楸馬里(チュマリ)
  • 太興里(テフンニ)
  • 通洞里(トンドンニ)

歴史

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前近代

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高麗時代の938年、陽巌鎮が設置された。983年には新たに樹徳鎮が置かれた。

朝鮮王朝初期の1396年、陽巌鎮と樹徳鎮を合わせて陽徳県が置かれ、西北面に属した。1413年以降平安道に属した。

近代

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1895年、平壌府所属の陽徳郡となり(二十三府制)、1896年に平安南道所属となった(十三道制)。1914年、大邱面を成川郡に移管し、9面からなる陽徳郡が編成された。1943年には陽徳面が陽徳邑に昇格した。

1945年8月15日の時点で、陽徳郡には1邑6面(陽徳邑、東陽面、大倫面、温泉面、双龍面、化村面、呉江面)が存在した。

第二次世界大戦後

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1952年12月、双龍面・化村面・呉江面が分割されて新陽郡が編成され、残る陽徳面・東陽面・大倫面・温泉面で陽徳郡が再編された(1邑22里)。

1967年には2里が新陽郡に編入された。

2003年時点で、1邑18里から構成される。

年表

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この節の出典[1]

  • 1914年4月1日 - 郡面併合により、平安南道陽徳郡の一部(大邱面)が成川郡に編入。陽徳郡に以下の面が成立。(9面)
    • 郡内面・大倫面・温泉面・九龍面・洛川面・下龍面・上龍面・化村面・呉江面
  • 1924年 - 郡内面が東陽面に改称。(9面)
  • 1929年4月1日 (7面)
    • 九龍面・洛川面が合併し、陽徳面が発足。
    • 下龍面および上龍面の一部が合併し、双龍面が発足。
    • 上龍面の残部が化村面に編入。
  • 1941年10月1日 - 陽徳面が陽徳邑に昇格。(1邑6面)
  • 1947年 - 陽徳邑が陽徳面に降格。(7面)
  • 1952年12月 - 郡面里統廃合により、平安南道陽徳郡陽徳面・大倫面・温泉面・東陽面をもって、陽徳郡を設置。陽徳郡に以下の邑・里が成立。(1邑22里)
    • 陽徳邑・龍渓一里・龍渓二里・太興里・樹徳里・平元里・松洞里・雲倉里・鳳渓里・温井里・日巌里・隠下里・巨上里・上信里・龍巌里・三渓里・上城里・東陽里・龍坪里・士基里・九龍里・通洞里・楸馬里
  • 1954年 (1邑20里)
    • 龍渓一里および龍渓二里の一部が陽徳邑に編入。
    • 龍渓二里の残部が上信里に編入。
  • 1967年 - 平元里・松洞里が新陽郡に編入。(1邑18里)
  • 1991年 - 太興里・樹徳里の各一部が陽徳邑に編入。(1邑18里)

陽徳温泉文化休養地

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陽徳温泉文化休養地(양덕온천문화휴양지)は北朝鮮が陽徳郡で開発したリゾート施設である。温泉施設・宿泊施設の他スキー場なども設けられている。金正恩を迎えて2019年12月7日に竣工式が行われた[2][3]。2020年1月10日に営業を始めるも新型コロナウイルス感染症対策のため2月25日から休業に入っている[4]

施設整備には2億ドル近くもの「革命資金」が投じられた[5]

交通

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脚注

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外部リンク

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