鎌田弥彦
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鎌田 弥彦 | |
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生誕 |
1877年4月1日 大日本帝国 鹿児島県 |
死没 | 1966年6月15日(89歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1898年 - 1933年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
墓所 | 多磨霊園 |
鎌田 弥彦(かまだ やひこ、1877年4月1日 - 1966年6月15日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]鹿児島県出身。1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉任官。
1920年(大正9年)8月、北京駐屯歩兵隊長に就任。1921年(大正10年)7月、歩兵大佐に昇進し神戸連隊区司令官となる。1923年(大正12年)8月、歩兵第39連隊長に異動。1926年(大正15年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第32旅団長に就任。
1927年(昭和2年)7月、第11師団司令部付となり、1930年(昭和5年)8月、台湾守備隊司令官に移るが、セデック族の反乱(霧社事件を指す)を鎮圧した。1931年(昭和6年)3月、陸軍中将に進み、1932年(昭和7年)2月、近衛師団長に親補された。1933年(昭和8年)8月に待命となり予備役編入となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。