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鎌田弥彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鎌田 弥彦
生誕 1877年4月1日
大日本帝国の旗 大日本帝国 鹿児島県
死没 (1966-06-15) 1966年6月15日(89歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1898年 - 1933年
最終階級 陸軍中将
墓所 多磨霊園
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鎌田 弥彦(かまだ やひこ、1877年4月1日 - 1966年6月15日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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鹿児島県出身。1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉任官。

1920年(大正9年)8月、北京駐屯歩兵隊長に就任。1921年(大正10年)7月、歩兵大佐に昇進し神戸連隊区司令官となる。1923年(大正12年)8月、歩兵第39連隊長に異動。1926年(大正15年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第32旅団長に就任。

1927年(昭和2年)7月、第11師団司令部付となり、1930年(昭和5年)8月、台湾守備隊司令官に移るが、セデック族の反乱(霧社事件を指す)を鎮圧した。1931年(昭和6年)3月、陸軍中将に進み、1932年(昭和7年)2月、近衛師団長に親補された。1933年(昭和8年)8月に待命となり予備役編入となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。
  2. ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
  3. ^ 『官報』第2032号「叙任及辞令」1933年10月7日。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。