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野間 (給油艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野間
1920年1月(推定)、呉軍港[1]
1920年1月(推定)、呉軍港[1]
基本情報
建造所 ロバート・ダンカン社[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送船[2]
運送艦[3](給油艦[4])
母港[4][5]
艦歴
発注 1919年5月購入契約[6]
起工 1918年[6]
進水 1918年12月[7]、または 1919年1月29日[6]
竣工 1919年5月28日[1]
1919年8月6日[8][注釈 1]
除籍 1928年4月1日[9]
その後 1929年飯野商事に売却、日本丸と改名[1]
1933年5月28日座礁、沈没[1]
要目
基準排水量 10,890トン[10]
常備排水量 11,680トン[11][10][注釈 2]
満載排水量 15,000トン[4][注釈 3]
軽荷排水量 8,500トン[4]
全長 124.66m(409ft)[4][注釈 4]
垂線間長 121.92m(400ft)[4]
最大幅 15.86m(52ft 0in 1/2)[4][注釈 5]
吃水 計画満載 7.80m(25ft-7in)[12]
軽荷平均 5.33m(17ft-6in)[4]
満載平均 7.62m(25ft)[4]、または 7.81m(25ft-7in 1/2)[2]
ボイラー 円缶3基[2][注釈 6]
主機 直立3気筒3段レシプロ 1基[1]
推進 1軸[13]
出力 計画 3,000馬力[2]
実際 3,193.5馬力[14]
速力 12.613ノット[14][注釈 7]
経済速力 8ノット[14]
燃料 計画[12]
石炭 1,346トン(うち庫外498トン)
重油 790トン
1924年
石炭 1,530トン(うち庫外載炭量240トン)[13][注釈 8]
重油 790トン[13]
航続距離 7,029カイリ / 8ノット[14]
乗員 引渡時定員155名[15]
1920年 149名[2]
搭載能力 計画[12]
載貨重量 8,450トン
重油タンク: 7,290トン
バラスト水240トン
船艙2カ所
1924年
重油 6,930トン[16][注釈 9]
前部船艙容積630トン、同後部500トン[14]
獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[17]
兵装 50口径三年式14cm単装砲 2基[2]
40口径三年式8cm単装高角砲 2基[18][2]
(戦時のみ搭載)
搭載艇 1920年 4隻[2]
1924年 内火艇1隻、カッター3隻、通船1隻[4]
その他 0.8トン・デリック2本[17]
トンは船艙が容積トン(=40立方フィート)、他は英トン(=1,016kg)。
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野間(のま)は、大日本帝国海軍給油艦。艦名は、鹿児島県野間半島西端の野間岬から採られた[7]

計画

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日本海軍が大正8年度(1919年)に輸入する重油の輸送には既に竣工している3隻(志自岐洲埼剣埼)では足らず、建造契約の済んだ「能登呂」以下の給油船は早くても大正9年度(1920年)竣工の予定だった[19]。民間船の徴用も現状は困難であり、在英監督官から上申されたZ型給油船1隻の至急購入が同年4月1日に決裁された[19]。建造予定の給油船1隻の予算を8年度に繰り上げて流用、費用は回航費を含めて概算で245万円程度と計算された[19]。同年5月に購入契約を結び[6]、イギリスから第一次世界大戦中に建造した War 型戦時標準中型タンカー「ウォー・ワージャー[18]」(War Wazir) を建造中に買収して「野間」と命名した。

艦型

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船型は日本のタンカーには珍しい中央機関のトランクド・デッキ型である[20]。日本での同様の形式のタンカーとしては「瑞洋丸」(日東鉱業汽船、7,386トン)と「第三小倉丸」(小倉石油、7,350トン)などの輸入船、太平洋戦争中に平時標準船A型・B型・C型・K型や戦前建造船等各種貨物船を改造した応急油槽船があるほか[21]、「野間」と全く同じ War 型戦標タンカーも1937年(昭和12年)に輸入された「御津丸」(大平汽船、5,682総トン、旧イギリス艦War Gaekwar[注釈 10]、1938年(昭和13年)に輸入された「北喜丸」(北川産業、5,599総トン、旧イギリス艦「ウォー・ビーガム」War Begum[注釈 11]、1940年(昭和15年)に輸入された「大神丸」(大岩汽船部、5,574総トン、旧イギリス艦「ウォー・カーン」War Khan[注釈 12]の中古船3隻が輸入され[注釈 13]、太平洋戦争中にも「鳳南丸」(飯野海運運航、5,542総トン、旧イギリス艦「ウォー・サーダー」War Sirdar[注釈 14]の1隻が鹵獲されている。「野間」は、対潜偽装のために艦橋と煙突の間にマストを立てていた[22]

上述の通り船体中央に機関室があり、石炭庫はその上方左右1カ所ずつ、また前方に1カ所の計3カ所、石炭庫の前に燃料タンクを設けた[12]。その前後には前部に3カ所、後部に2カ所の重油タンクがあり、タンクには7,290トン搭載の計画だった[12]。また艦首、艦尾部には船艙が各1個あり、倉庫もあった[12]

搭載量は、計画で載貨重量8,450トン、重油は満載8,080トン(燃料タンクを含む、以下同様)、石炭は石炭庫848トン、予備石炭庫198トン、庫外498トンの計1,346トンだった[12](実際に載せられるのは貨物の合計が載貨重量トン以下、以下同様)。実際の満載量として竣工翌年の1920年(大正9年)の文書に重油8,080トン、石炭庫1,290トンの記載がある[23]。また1924年(大正13年)調べでは重油満載7,720トン、石炭庫1,290トン、庫外240トンの計1,530トンとなっていた[24]

艦歴

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1919年5月24日「野間」と命名[25]、同月28日にイギリスのロバート・ダンカン社グラスゴー造船所[7]で竣工した。回航途中の同年7月15日にシンガポールに立ち寄り同日出港[26]、同月24日バリクパパンで重油7,379トンを搭載し同日呉に向け出港した[27]。8月5日附で呉鎮守府籍となり、在役船と定められる[5]。8月6日呉港に到着[6]、公的にはこの日が竣工日となっている[8][注釈 1]

呉までの回航は中国人の乗員が当たっていてその片付けや、艤装などに問題があることから修理改造が必要だった[28]。呉海軍工廠で9月下旬から約1カ月間工事が行われ[29]、10月16日に公試運転[30]、25日に横須賀へ向け出港した[31]。日本海軍は1921年3月までにサンフランシスコから重油8万トンを輸入する契約を結び、本船がこれに当たることになっており[32]、11月13日横須賀を出港した[33]。ホノルル経由でサンフランシスコ着、帰路もホノルル経由で[34]翌1920年(大正9年)1月16日呉に帰港した[35]。この時にサンフランシスコで検疫のため艦内消毒を行ったのが問題になった[36]。アメリカでは軍、民間の区別無く運送船には検疫を行っており、一方の日本側は運送船でも日本海軍籍にあり国際法上の軍艦であるという考えだった[36]。交渉の結果、本船の検疫は今後免除となっている[37]

前年の呉での工事は必要最小限だったため、横須賀海軍工廠で残工事を行い[38]、その間1920年2月18日から3月8日まで第4ドックに入り、舵取付部の調査や艦底塗り替えなどが行われている[39]。また4月1日に特務艦艇類別標準で特務艦と特務艇が新たに定められ[40]、本艦は特務艦中の運送艦に登録された[41]。同日横須賀を出港、サンフランシスコへ向かい6月9日に呉に帰港した[35]。この時は無線発信能力に問題が有り、発電機の増備を上申している[42]。その後はボルネオからの重油輸送に当たる事になり[43]、6月21日に呉を出港しタラカンから重油輸送を行い7月22日横須賀に帰港した[35]。9月15日呉を出港し北米からの重油輸送を行い11月15日呉に帰港[35]、次いで12月9日呉を出港してタラカンに向かい、翌1921年(大正10年)1月5日呉に帰港した[35]

1921年はタラカンを7往復し、呉に1回、馬公に1回、徳山に5回重油を輸送した[44]

1922年(大正11年)からはタラカンへ5回、バリクパパンへ1回行き、全て徳山に重油を降ろした[45]。同年最後の航海は12月13日呉を出港、タラカンから翌1923年(大正12年)1月13日に呉に帰港した[9]

同年1月18日、ボイラーの水圧試験中に2号缶の炉筒と管板の取付部に亀裂を生じた[46][18]。応急修理中の27日に3号缶にも同様の亀裂を生じ、修理完成の見込みが立たなったため[47]、本艦での輸送計画も立たなくなってしまった[48]。その他、戦時急造艦のため低速力なことや知床型給油艦の就役に伴って、以後は予備艦となってに係留されることとなった[49]

1928年(昭和3年)4月1日除籍[9]、11月28日廃船認許[50]、翌1929年(昭和4年)3月25日に飯野商事(後の飯野海運)に18万円で売却される[49]。飯野商事は1902年(明治35年)に舞鶴鎮守府への出入り業者となって以来、海軍御用達として緊密な関係を築いていた[51]。これまで鎮守府間輸送用の小型タンカーしか所有していなかったが、外航タンカーに手を広げるにあたり、目をつけたのが除籍された「野間」であった[52]播磨造船所にて大改装の後「日本丸」と命名されて、引き続き北アメリカからの海軍向け[49]の重油輸送に使用された。1933年(昭和8年)5月28日、ロサンゼルス北西アルグエロ岬[49]沖にて荒天により座礁して浸水し、排水作業の甲斐なく沈没した。同船に掛けられていた保険金50万円は、代船として建造されたタンカー「極東丸」(飯野商事、10,051トン)の建造費260万円の一部に充当された[53]

公試成績

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実施日 種類 排水量 回転数 出力 速力 場所 備考 出典
1919年10月16日 公試運転 11,380トン 84rpm 3,194馬力 12.6ノット 広島湾 [30]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。

指揮官
  • (心得)安東昌喬 中佐:1919年8月5日[54] - 1919年12月1日
  • 安東昌喬 大佐:1919年12月1日[55] - 1920年1月17日[56]
  • (心得)黒田瀧二郎 中佐:1920年1月17日[56] -
特務艦長
  • 黒田瀧二郎 大佐:1920年12月1日[57] - 1921年4月14日[58]
  • 島祐吉 大佐:1921年4月14日 - 1921年11月20日
  • 矢野馬吉 大佐:1921年11月20日 - 1922年4月15日
  • 吉富新八 大佐:1922年4月15日[59] - 1922年12月1日[60]
  • 本宿直次郎 大佐:1922年12月1日 - 1923年2月15日
  • 本多数馬 大佐:1923年2月15日[61] - 1923年7月20日[62]
  • (心得)村松定矩 中佐:1923年7月20日[62] - 1923年11月10日[63]
  • (心得)本内達蔵 中佐:1923年11月10日[63] - 1924年2月13日[64]
  • (兼)本宿直次郎 大佐:1924年2月13日 - 1924年7月1日
  • (心得)水野熊雄 中佐:1924年7月1日[65] - 1924年7月21日[66]
  • (兼・心得)三矢四郎 中佐:1924年7月21日[66] - 1924年9月9日[67]
  • (兼・心得)鈴木秀次 中佐:1924年9月9日[67] - 1924年11月20日[68]
  • 土田数雄 中佐:1924年11月20日[68] - 1925年4月20日[69]
  • (兼)今川真金 大佐:1925年4月20日[69] - 1925年8月1日[70]
  • 加藤完 中佐:1925年8月1日[70] - 1926年2月20日[71]

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ a b 日本海軍は引渡(受領)の日を竣工日としており、5月28日は造船所での竣工日、回航は中国人船員が行っており、8月6日は呉で日本海軍が受領した日と思われる。
  2. ^ 『日本海軍艦船名考』p.220では排水量10,609噸としている。
  3. ^ #日本特設艦船物語pp.360-361によると満載排水量は約12,500メートル・トン
  4. ^ #日本特設艦船物語pp.360-361によると全長410ft(124.97m)
  5. ^ #日本特設艦船物語pp.360-361によると幅52ft(15.85m)
  6. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1084-1085、昭和3年の艦船要目公表範囲では円缶6基になっている。
  7. ^ 戦史叢書31附表2-3、大正9年艦艇要目表3では10ノット、#日本特設艦船物語pp.360-361によると11.5ノットになっている。
  8. ^ 『日本海軍特務艦船史』では石炭838トンとなっている。#戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三、大正9年艦艇要目表3の燃料欄には『同』とだけ書かれ、艦型の違う「室戸」と同量(838トン)になっている。
  9. ^ 『日本海軍特務艦船史』によると8,000トン
  10. ^ 同船は1945年(昭和20年)7月12日、明石海峡で触雷沈没した。
  11. ^ 同船はミマ11船団に加わって航行中、米潜水艦の雷撃により沈没。
  12. ^ 同船は1943年(昭和18年)9月23日、米潜水艦の雷撃により沈没。
  13. ^ そのほか、1937年(昭和12年)に英船「Cepolis」(Hadley Shipping Co Ltd、5,578総トン、旧イギリス艦「ウォー・ジャンドリ」War Jandoli)が解体のため横浜に回航されている。
  14. ^ 同船はヒ88J船団に加わって航行中、米潜水艦の雷撃により放棄、その後海岸に漂流して擱座。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e 『日本海軍特務艦船史』16ページ
  2. ^ a b c d e f g h i #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  3. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム (別表略)』
  4. ^ a b c d e f g h i j 『特務艦要目表』C08051419000, pp.5,6
  5. ^ a b #T8公文備考27/野間輸送、行動画像34-35、官房第3607号『運送船野間ノ輸送ニ関スル件』添付の内令。『内令第二百四十五號 運送船野間 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル 大正八年八月五日 海軍大臣 加藤友三郎 | 内令第二百四十六號 呉鎮守府在籍 運送船野間 右在役船ト定ム 大正八年八月五日 海軍大臣 加藤友三郎』
  6. ^ a b c d e 作成=中川努「主要艦艇艦歴表」、#日本海軍全艦艇史資料篇p.31
  7. ^ a b c 『日本海軍艦船名考』、p.220。
  8. ^ a b 『日本海軍艦船名考』p.220。#海軍制度沿革11-2(1972)pp.1084-1085、昭和3年2月14日内令第43号、艦船要目公表範囲
  9. ^ a b c #S9恩給叙勲年加算調査(下)/除籍艦艇/特務艦画像10
  10. ^ a b #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1084-1085、昭和3年2月14日内令第43号、艦船要目公表範囲。
  11. ^ 『戦史叢書31』、『日本海軍特務艦船史』、松井, 14ページ
  12. ^ a b c d e f g #T9公文備考33/運送船野間(1)画像50-53、CAPACITY PLAN "NOMA"
  13. ^ a b c 『特務艦要目表』C08051419000, pp.7,8
  14. ^ a b c d e 『特務艦要目表』C08051419000, pp.9
  15. ^ 大正8年8月5日付 海軍内令 第247号制定、海軍定員令「第67表 運送艦定員表 其3」。この数字は特修兵を含まない。
  16. ^ 『特務艦要目表』C08051419000, pp.11
  17. ^ a b 『特務艦要目表』C08051419000, pp.15
  18. ^ a b c 『日本海軍特務艦船史』16ページ
  19. ^ a b c #T8公文備考20/注文、購入画像9-10、大正8年官房第1060号(大正8年4月1日附決裁済)
  20. ^ 福井, 222ページ。
  21. ^ 松井, 10、11、25、30、31、102、103ページ。
  22. ^ 福井, 222ページ
  23. ^ #T9公文備考72/重油画像11-112、特務艦野間重油輸送量実況
  24. ^ 『特務艦要目表』C08051419000, pp.7,11
  25. ^ 大正8年5月24日付 達第95号。インターネットではアジア歴史資料センター レファレンスコード C12070075500 で閲覧可能。
  26. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像3、『野間十五日入港即日「タラカン」ニ向ケ出港 七月十六日 軍務局長宛 在新嘉坡 倉賀野少佐』
  27. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像6
  28. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像9-10、呉鎮機密第705号の3
  29. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像23
  30. ^ a b #T8公文備考20/試験(2)画像56
  31. ^ #T8海軍公報(下)/大正8年10月(3)画像3
  32. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像24-25
  33. ^ #T8海軍公報(下)/大正8年11月(1)画像47
  34. ^ #T8公文備考27/野間輸送、行動画像45、大正8年11月13日電報
  35. ^ a b c d e #S9恩給叙勲年加算調査(下)/除籍艦艇/特務艦画像8
  36. ^ a b #T9公文備考33/運送船野間(1)画像33-34、12月25日附官房機密第342番電報
  37. ^ #T9公文備考33/運送船野間(1)画像12、大正9年2月21日附電報
  38. ^ #T9公文備考33/運送船野間(2)画像5-6
  39. ^ #横須賀工廠史(3)1983p.172
  40. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.57『大正九年四月一日(達三九) 特務艦艇類別標準別表ノ通定メラル(以下省略)』
  41. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(以下省略)』
  42. ^ #T9公文備考33/運送船野間(2)画像64-65、大正9年4月27日附電報、野間機密第39号の2
  43. ^ #T9公文備考33/運送船野間(2)画像63、大正9年6月1日附電報
  44. ^ #S9恩給叙勲年加算調査(下)/除籍艦艇/特務艦画像9
  45. ^ #S9恩給叙勲年加算調査(下)/除籍艦艇/特務艦画像9-10
  46. ^ #T12公文備考35/野間画像6
  47. ^ #T12公文備考35/野間画像12
  48. ^ #T12公文備考35/野間画像14-15
  49. ^ a b c d 福井, 223ページ
  50. ^ #S3公文備考83/除籍特務艦野間廃舩処分の件画像1
  51. ^ 松井, 35ページ
  52. ^ 松井, 36ページ
  53. ^ 松井, 42ページ
  54. ^ 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
  55. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  56. ^ a b 『官報』第2235号、大正9年1月19日。
  57. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  58. ^ 『官報』第2609号、大正10年4月15日。
  59. ^ 『官報』第2909号、大正11年4月17日。
  60. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  61. ^ 『官報』第3162号、大正12年2月16日。
  62. ^ a b 『官報』第3293号、大正12年7月21日。
  63. ^ a b 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
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  65. ^ 『官報』第3557号、大正13年7月2日。
  66. ^ a b 『官報』第3575号、大正13年7月23日。
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  68. ^ a b 『官報』第3675号、大正13年11月21日。
  69. ^ a b 『官報』第3796号、大正14年4月21日。
  70. ^ a b 『官報』第3883号、大正14年8月3日。
  71. ^ 『官報』第4046号、大正15年2月22日。

参考文献

[編集]
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  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
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  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
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  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
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    • 『大正9年 公文備考 巻33 艦船13/運送船野間(1)』。Ref.C08021581200。 
    • 『大正9年 公文備考 巻33 艦船13/運送船野間(2)』。Ref.C08021581300。 
    • 『大正9年 公文備考 巻72 物件3/重油』。Ref.C08021643800。 
    • 『大正12年 公文備考 巻35 艦船/野間』。Ref.C08050746400。 
    • 軍務局第二課『特務艦要目表』(特務艦要目)レファレンスコード:C08051419000
    • 『大正8年 海軍公報 下巻 附 海軍辞令公報/大正8年10月(3)』。Ref.C12070266400。 
    • 『大正8年 海軍公報 下巻 附 海軍辞令公報/大正8年11月(1)』。Ref.C12070266500。 
    • 『(昭和3年)公文備考 艦船20止 巻83/除籍特務艦野間廃舩処分の件』。Ref.C04016255100。 
    • 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/特務艦』。Ref.C14010006800。 

関連項目

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