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野埼 (給糧艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野埼
1941年3月、下関沖で公試中と推定される南海(後の野埼)[1]
1941年3月、下関沖で公試中と推定される南海(後の野埼)[1]
基本情報
建造所 三菱重工業下関造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[2](給糧艦)
母港 佐世保[3]
艦歴
計画 昭和14年度(1939年)[4]
起工 1939年10月18日[5]
進水 1940年7月22日[5]
竣工 1941年3月18日[5]
最期 1944年12月28日沈没[2]
除籍 1945年3月10日[2]
改名 南海 → 野埼
要目(竣工時[6]
基準排水量 計画:640英トン[7]
公試排水量 計画:660トン[8]
竣工時:666.23トン[9]
または666.30トン[6][10]
満載排水量 竣工時:688.05トン[9]
または688.10トン[6][10]
軽荷排水量 竣工時:527.67トン[9]
または527.70トン[10]
全長 53.80m[6][8]
水線長 49.030m[6][8]
垂線間長 48.37m[6][8]
最大幅 8.200m[6][8]
水線幅 8.200m[6]
深さ 3.920m[6][8]
吃水 軽荷平均:2.398m[10]
公試平均:2.873m[6]
または2.88m[8]
満載平均:2.941m[6]
主機 艦本式23号乙6型ディーゼル(単動4サイクル[11]) 2基[2][5][注釈 1]
推進 2軸[5] x 338rpm[11]
出力 1,200hp[6][8]
速力 計画:13.0ノット[7]
竣工時:12.84ノット[6]
燃料 計画:重油33トン[8]
竣工時:重油39.60トン[6]
航続距離 2,000カイリ / 12ノット[6][8]
乗員 要目簿定員:35名[12][5]
1942年定員:37名[13]
搭載能力 補給物件
計画:生糧品43.1トン[8](3,000人10日分[14])
竣工時:冷凍品47.57トン[9]
真水
計画:40トン[8]
竣工時:46.07トン[9]
兵装 8cm単装高角砲1門[8]
7.7mm機銃2挺[8]
搭載艇 8m内火通船 1隻、折り畳み式通船 1隻[15]
その他 3トンデリック1基、1トン1基[15]
テンプレートを表示

野埼(のさき[16])は、日本海軍特務艦。雑役船南海として竣工[1]、後に運送艦(給糧艦)に類別された[17]。片桐大自の研究によれば、艦名は大分県佐伯湾野埼鼻にちなむとされる[17]

計画、建造

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軍需部の要望として、冷凍品や生糧品の補給と、漁場で直接買い付けた魚をその場で冷凍し供給する艦があった[4]。 そこで昭和14年度(1939年)に小型と中型の冷凍船をそれぞれ1隻建造し、比較検討することとなった[4]。 小型船の方はトロール船の建造経験が深い三菱重工業下関造船所で雑役船として建造され、「冷凍船」に類別された[4]

艦型

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船体は3島型とし[18]、船艙には肉、魚、野菜など合計235立方メートルの冷凍庫を設置、3,000人10日分の生糧品が冷凍庫で約2カ月間保存できた[14]。 生糧品の揚収のために前部マストにデリックを1トン1本、3トン1本の計2本を装備した[19]。 後部には小さい雑品倉庫があり[8]、 後部マストにもデリックを2本装備した[20]。 兵装は艦首に砲台を設け[2] 8cm単装高角砲1門を装備、その他7.7mm機銃2挺も装備した[8]。 全体として民間のトロール船や冷凍船と大きな違いはないが、海軍の補給船として兵器、補給用真水を搭載し、民間船より速力があり、乗員が多いなどの違いが出た[18]

中型冷凍船(後の杵崎)との比較の結果、艦型が小型すぎるとして同型艦は建造されなかった[4]

運用

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1941年(昭和16年)3月の完成当時には冷凍運搬船として使われる予定であったが艦隊への食料補給などを行っていたため艦種変更を受け艦名を野埼とされた。大戦中は高雄から香港、海南島方面への補給に従事、1944年後半には護衛艦としての役割も担うようになり12月28日に沈没した[2]

艦歴

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特務艦長

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  1. 坂野正己 予備大尉:1942年4月1日[26] - 1942年11月20日[27]
  2. 石井留吉 予備大尉/大尉:1942年11月20日[27] - 1943年7月20日[28]
  3. 磯村留男 大尉:1943年7月20日[28] - 1944年12月28日 戦死、同日付任海軍少佐[29]

脚注

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注釈

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  1. ^ #海軍造船技術概要p.915では「艦本式23号甲6型ディーゼル2基」となっている。

出典

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  1. ^ a b #日本海軍全艦艇史p.868
  2. ^ a b c d e f g #日本海軍特務艦船史p.30
  3. ^ #昭和17年内令2巻/4月(2)画像10-11。昭和17年4月1日内令第558号。
  4. ^ a b c d e #海軍造船技術概要p.913。
  5. ^ a b c d e f g h i #昭和造船史第1巻pp.794-795。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #一般計画要領書(特務艇)p.2、重要寸法等。「註.上記ノモノハ宇品造船所ニテ計画セシモニニテ完成要目簿ヲ抜粋セルモノナリ」
  7. ^ a b #海軍造船技術概要p.937。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #海軍造船技術概要p.915。
  9. ^ a b c d e #一般計画要領書(特務艇)p.23、重量比較表。「註.上記現状ハ昭和16年3月完成要目簿ニヨル」
  10. ^ a b c d #一般計画要領書(特務艇)p.30、復原性能
  11. ^ a b #一般計画要領書(特務艇)p.14、機関
  12. ^ #一般計画要領書(特務艇)p.16、乗員表
  13. ^ 昭和17年4月1日付 内令第560号別表」 アジア歴史資料センター Ref.C12070162200 
  14. ^ a b 『海軍造船技術概要』916頁。
  15. ^ a b #一般計画要領書(特務艇)p.18、主要ナル艤装品
  16. ^ a b 昭和17年4月1日付 海軍大臣達 第93号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070114600 で閲覧可能。のざきではない。
  17. ^ a b c #聯合艦隊軍艦銘銘伝pp.595-596。
  18. ^ a b #海軍造船技術概要p.914。
  19. ^ #海軍造船技術概要pp.914-915。
  20. ^ #日本海軍特務艦船史p.30の写真、及び艦型図による。
  21. ^ 昭和15年7月1日付 海軍大臣官房 官房第305号ノ6」 アジア歴史資料センター Ref.C12070389000 
  22. ^ 昭和15年10月25日付 海軍大臣官房 官房第433号ノ10。
  23. ^ 昭和17年4月1日付 海軍内令 第550号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070162200 で閲覧可能。
  24. ^ #日本海軍全艦艇史艦歴表30頁。
  25. ^ 昭和20年3月10日付 海軍内令 第228号。
  26. ^ 昭和17年4月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第837号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072085000 で閲覧可能。
  27. ^ a b 昭和17年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第992号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072088200 で閲覧可能。
  28. ^ a b 昭和18年7月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1174号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072092200 で閲覧可能。
  29. ^ 昭和20年8月29日付 秘海軍辞令公報 甲 第1899号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072107000 で閲覧可能。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年4月~6月 内令 2巻/昭和17年4月(2)』。Ref.C12070162200。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、2014年(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『日本海軍特務艦船史』 第522集(増刊第47集)、海人社〈世界の艦船〉、1997年3月。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』(第3版)原書房〈明治百年史叢書〉、1981年(原著1977年)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年。ISBN 4-87565-205-4 
  • 「特務艇 一般計画要領書 附現状調査」。