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郡司浩平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郡司 浩平
Kohei Gunji
基本情報
生年月日 (1990-09-04) 1990年9月4日(34歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長 167.0cm
体重 80.0kg
縁故選手 父:郡司盛夫(50期)
選手情報
登録番号 014741
所属 日本競輪選手会神奈川支部
ホーム 川崎競輪場
期別 99期
脚質 自在
登録地
2011- 神奈川
業績
S級S班 2020-2023
特別競輪勝利
GI 競輪祭 2020
GI 全日本選抜 2021 2024
GII 共同通信社杯競輪 2019 2022
GII ウィナーズカップ 2017
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2024年5月9日  テンプレートを表示

郡司 浩平(ぐんじ こうへい、1990年9月4日 - )は、神奈川県横浜市出身[1]競輪選手日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第99期生。日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は元競輪選手で父親の郡司盛夫(50期。 現在は川崎競輪場開催指導員[2][3])。

来歴

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3人兄妹の次男で年子の兄と妹がいる。小学生の時に全日本リトルリーグ野球選手権大会で優勝を経験。横浜市立横浜商業高等学校時代は野球部に所属し、3年時には外野手のレギュラーを獲得した[4]。しかし、甲子園大会には出場することができず、ベスト8に終わった3年夏の神奈川県大会終了直後には将来の目標を見失っていた。しばらくして、父親の盛夫が競輪選手であることから、それに倣いたいと盛夫に伝えたところ、普段は温厚な性格の盛夫が態度を一変し、誓約書を書かされて漸く(2018年上半期まで)師弟関係となった。

競輪学校における在校競走成績は第10位(20勝)。

2011年1月15日、ホームバンクの川崎競輪場でデビューし2着。初勝利は同年1月16日の同場。

2016年第67回高松宮記念杯競輪名古屋競輪場)の決勝に進出し2着。

2017年、第1回ウィナーズカップ高松競輪場)においてG2初優勝[1]

2019年、第35回共同通信社杯競輪松阪競輪場)において2度目のG2優勝[5]第61回朝日新聞社杯競輪祭では落車により途中棄権したものの、獲得賞金額で初めてKEIRINグランプリ出場権を獲得(郡司は最終枠で8位)[6]、年末のKEIRINグランプリ2019に出場(結果5着)、そして2020年は初のS班を確定させた。

2020年第62回朝日新聞社杯競輪祭決勝戦で番手捲りを決め、悲願のGIレース初優勝を果たした[7]。また同時に地元開催となるKEIRINグランプリ2020出場権獲得(結果9着)と2021年もS班を確定させた。

2021年、序盤は好調を維持し、当年のGI初戦である第36回全日本選抜競輪でも番手捲りを決めてGIを連覇、2つ目のタイトルを獲得[3]。5月の第75回日本選手権競輪でも決勝戦にコマを進めたがゴール前微差で敗れ2着。6月の第72回高松宮記念杯競輪では車体故障の不運もあり二次予選で敗退し、8月の第64回オールスター競輪は病気欠場した。

2022年、第38回共同通信社杯競輪名古屋競輪場)を制し、G3も3勝(うち川崎記念では1着同着)し、獲得賞金額(6位→4位)で4年連続となるKEIRINグランプリ出場を決めた。

2023年は思うような成績を上げられず、4年間守り続けたS級S班からの陥落が確定した[8]が、翌2024年は同年最初のGIである第39回読売新聞社杯全日本選抜競輪岐阜競輪場)で北井佑季マークからゴール前抜け出し同大会3年ぶり優勝、GIタイトルとしても3年ぶり3つ目の獲得となった[9]

競争スタイル

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安定した縦脚と機を逃さない積極的な競争スタイルが持ち味。自力だとペースが緩んだ一瞬の隙をつき捲りや逃げに構える臨機応変な戦い方が可能である。一方番手に回った際競りなどといった横の動きに対する弱さを露呈しており、特に自在戦法を特徴とする古性優作を天敵としている。

主な獲得タイトルと記録

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脚注

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  1. ^ a b “【ウィナーズC】郡司ビッグ初制覇!南関ムードに乗って初代王者”. スポニチアネックス. (2017年3月21日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/03/21/kiji/20170320s00052000477000c.html 2017年9月11日閲覧。 
  2. ^ “選手、関係者が抗原検査を行い、全員が陰性/川崎”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年1月31日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202101310000311.html 2021年1月31日閲覧。 
  3. ^ a b 【川崎競輪・GI全日本選抜】父・盛夫さんも涙 地元・郡司浩平が番手まくりでGI2勝目! - 東スポWeb、2021年2月23日
  4. ^ Y校野球部出身 郡司選手 競輪日本一へ 30日、最高峰レースに挑む” (2019年12月19日). 2022年7月25日閲覧。
  5. ^ “郡司浩平2度目G2制覇!病床の先輩に朗報/松阪”. 日刊スポーツ. (2019年9月16日). https://www.nikkansports.com/public_race/keirin/matsusaka/2019/news/201909160000496.html 2019年11月19日閲覧。 
  6. ^ KEIRINグランプリは2017年にも出場のチャンスがあったが、この時は次点(補欠)となり出場を逃した。
  7. ^ “郡司浩平 初タイトル手に地元GPへ進撃/小倉G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年11月24日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202011240000070.html 2020年11月25日閲覧。 
  8. ^ “【競輪】郡司浩平は準決敗退でS級S班から陥落決定 新田祐大と守沢太志もS班守れず/小倉G1”. 日刊スポーツ. (2023年11月25日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202311250001991.html 2023年11月26日閲覧。 
  9. ^ “【競輪】郡司浩平が21年川崎全日本選抜以来3度目のG1制覇/岐阜G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年2月12日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202402120000925.html 2024年2月13日閲覧。 

外部リンク

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