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遠藤ミチロウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
遠藤 ミチロウ
出生名 遠藤 道郎
別名 ミチロウ
生誕 (1950-11-15) 1950年11月15日
出身地 日本の旗 日本 福島県二本松市
死没 (2019-04-25) 2019年4月25日(68歳没)
日本の旗 日本 東京都
学歴 山形大学人文学部卒業
ジャンル パンク・ロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1972年 - 2018年
レーベル 北極バクテリア
公式サイト apia-net.com/michiro/
イギー・ポップ
セックス・ピストルズ
ジャックス
早川義夫
ドアーズ

遠藤 ミチロウ(えんどう ミチロウ、1950年11月15日 - 2019年4月25日[1])は、日本ロックミュージシャン。本名は遠藤 道郎(読み同じ)。

福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンドザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えても精力的にライブ活動を行っていた。

略歴

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1950年
  • 11月15日 - 福島県安達郡(現:二本松市)に生まれる。少年時代を福島県で過ごし福島県立福島高等学校卒業後、山形大学人文学部へ進学。「東北地方のさらに奥である『北』へ行ってみたかった」というのが山形県へと向かった理由の1つであるらしい。高校2年までは全く勉強が出来ず,3年時に猛勉強して合格した。大学時代はイベンターとしてフォークシンガーのライブを企画したり、山形市の花小路という飲食店街でロック喫茶『ジェスロタル』を経営したりしていた。また旅行も好きだった模様で、ヒッチハイクで山形から九州まで行ったという逸話もある。
1973年
1980年
  • 6月6日 - ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後【バラシ】、【自閉体】を経てザ・スターリンを結成。演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市 BURST CITY』にも【マッドスターリン】という役名でバンドとして出演している。映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。また石井聰亙ザ・スターリンPV、ラストライブビデオの監督も務めた。
1982年
1983年
1984年
1985年
  • 2月 - ザ・スターリン解散。その後、ソロプロジェクトを始動。【Michiro,Get the Help!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマにミニ・アルバム三部作を発表。
1986年
  • 5月21日 - THE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。
1987年
  • 【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。
  • 7月5日 - 【パラノイア・スター】として制作したアルバム『TERMINAL』を発表する。
1989年
1990年
1993年
  • 【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map 150」で紹介している。
1994年
1995年
  • 8月15日 - 戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストにザ・スターリンを復活させ(名義は【THE STALIN15】)、ON AIR EASTにて一夜限りのライブを行う。ザ・スターリンはその後、1996年元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライブにて、2001年スターリンのトリビュートアルバム発売記念ライブにて復活している。
2001年
  • 正月に奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元ザ・スターリンのドラマーでもあった中村達也と邂逅し、奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤であったが、中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。
2002年
  • 石塚俊明とのユニット【NOTALIN'S】の活動がスタート。
2003年
  • 上記のユニットにチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活動。
2004年
2005年
  • 東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン>とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。
2005年
  • 自身の55歳になる11月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。その模様はDVD『Just Like a Boy』に収められている。
2008年
  • ハードコアバンドGAUZEのドラム・HIKOとのユニット【道HIKO】結成、【COMMENT ALLEZ-VOUS?】一夜限りの復活ライブを行う。
2011年
2018年
2019年

人物

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  • ザ・スターリン時代、ライブなどで下半身を露出するなど過激で暴力的、破滅的なパフォーマンスを繰り返していたが、実際の遠藤は朴訥な東北訛りで気さくに話す、知的で温厚な人物であった。
  • デーモン閣下曰く「実際に会ったら、腰が低くてニコニコした良い人」。[9]
  • スターリン時代のポップなパンク・ロックとハードコアの要素を交えた音楽性、暴力的かつセンセーショナルなパフォーマンスはザ・ジャームス英語版の影響を受けていると思われるが、本人は公式に否定しており、スターリンの音楽性の構築は初期のギタリストである金子あつしに負うところが多かったと述懐している[10]
  • スターリン時代に映画「爆裂都市」に陣内孝則率いる「バトルロッカーズ」のライバルバンド「マッドスターリン」のボーカル役として出演し、拡声器でのアジテーションや放尿、豚の生首を客席に投入する等のバンドのギグと同じように過激なパフォーマンスを繰り広げた。しかし、本人はこの時の自分の演技力の無さに愕然として、役者は二度とやらないようにしようと決めたという。
  • ザ・スターリン時代、同時期に活動していた忌野清志郎とメイクが似ていると言う事でよく間違われることを嫌がっていた。
  • 明石家さんまに似ていると評判になり、本人と対談したり、ライブに花を贈った事もあった。
  • 坂本龍一とは犬猿の仲で、お互い名指しで批判し合っている。その理由は、ラジオ番組でゲスト出演したデヴィッド・ボウイに対してザ・スターリンを中傷する発言をしたことや、対談で村上龍に対して「なぜ吉本隆明は遠藤を評価するのか」などと発言したことによる[11]。しかし、2011年8月15日に開催された「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」において共演を果たしている。
  • 大槻ケンヂの著作の中で、2人で遠藤賢司のライブにゲスト出演した際に舞台裏で「大槻君、舞台に出たら、俺・遠藤、俺・ケンヂって言おうよ、これがホントの遠藤ケンジ」と嬉しそうに言われたという、駄洒落好きな面もある。
  • 思想家の吉本隆明、元パンクロッカーで現在は小説家の町田康、コピーライターの糸井重里グループ魂宮藤官九郎らと交流がある。吉本隆明には強い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。アコースティック・ギターを抱えて吉本宅を訪れ、対談はおろか、生演奏を行ったこともある。
  • ラーメンが大好物で、(インスタントは含まない)1日には必ず1杯ラーメンを食べることを心がけている。ツアーなどで各地を回る時は、必ず現地で有名なラーメンを食べてからライブに行く。そのためコンサート前後のブログやtwitterには必ずと言ってもいいほどラーメンの事も併記される。

トリビア

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  • グループ魂のメンバー港カヲルの母に、打ち上げで「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を生演奏してあげたら、カヲルの母がになってしまったということがあった。
  • タレントの千秋もスターリンのファンで、雑誌で遠藤の特集が組まれた際に、「結婚して私も遠藤になりました」というメッセージを送ったこともある。なお千秋はお笑いコンビココリコ」の遠藤章造と結婚していたが、離婚を経てのちに一般男性と再婚している。
  • FLATBACKERLOUDNESSに所属していた山田雅樹は、FLATBACKER時代の過激な歌詞に関して、遠藤の影響を受けている事を公言している[12]
  • 男闘呼組高橋和也は、1994年前後に遠藤ミチロウとユニット「一本道」を組み、ライブ活動を行っていたことがある。遠藤ミチロウの「Just Like a Boy」は高橋がアメリカのアリゾナにあるホピ族の村から送った絵葉書をもとに生まれた歌である。

作品

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シングル

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  • Ki-Ga Ki-Ga Ki-Kyo(1984年、Lucky Strike Records)※片面ソノシート、「ソノシートマガジン ING,O! NO.5」附録、平沢進、北田コレチカ、イヌイジュンとの共演作
  • 仰げば尊し(1984年、B.Q.RECORDS)
  • 仰げば尊し(1985年、東芝EMI)
  • オデッセイ・1985・SEX(1985年)※Michiro,Get the Help!名義
  • LUCKY BOY(1987年)

アルバム

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  • ベトナム伝説(1984年)※カセットブックで発売、後にLP/CD化
  • THE END(1985年)※ミニ・アルバム
  • オデッセイ・1985・SEX ※ミニ・アルバム3連作、Michiro,Get the Help!名義
    • オデッセイ・1985・SEX(1985年)
    • アメユジュトテチテケンジャ(1985年)
    • GET THE HELP!(1985年)
  • 破産(1986年)
  • TERMINAL(1987年)
  • 死目祟目(1993年)
  • 空は銀鼠(1994年)
  • 50 (HALF)(1995年)
  • 愛するためにはウソがいる(1995年)※コマンタレブ名義
  • 愛と死をみつめて(1996年)※コマンタレブ名義
  • 道郎(1997年)
  • OFF(2000年)
  • AIPA(2000年)
  • NOTALIN'S(2004年)※NOTALIN'S名義
  • I,My,Me/AMAMI(2005年)
  • unplugged punk(2006年)※M.J.Q名義
  • 飢餓々々帰郷(2007年)
  • 天罰なんかクソ喰らえっ!!!(2011年)※M.J.Q名義
  • FUKUSHIMA(2015年)
  • 0(ゼロ)(2015年)※THE END名義

トリビュート・アルバム

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映像作品

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出演

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映画

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テレビドラマ

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書籍

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著書

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  • 嫌ダッと言っても愛してやるさ!(1982年、KKダイナミックセラーズ)
  • バターになりたい(1984年、ロッキングオンISBN 4-947599-10-3
  • ビデオスターリンのチャンネル大戦争(1987年、JICC出版社ISBN 4-88063-333-X
  • 真っ赤な死臭(1994年、思潮社ISBN 4-7837-0512-7
  • お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました(2001年、ソフトマジックISBN 4-921181-21-7
  • 嫌ダッと言っても愛してやるさ! 2003リミックス版(2003年、マガジン・ファイブ)ISBN 4-434-03041-8
  • お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。 2007年完全版(2007年、マガジン・ファイブ)ISBN 978-4-434-10216-5
  • 嫌ダッと言っても愛してやるさ! リミックス新装版(2007年、マガジン・ファイブ)ISBN 978-4-434-10782-5
  • クロニクルFUKUSHIMA(2011年、青土社ISBN 978-4-7917-6627-7 - 大友良英坂本龍一等との共著。
  • 膠原病院 - KO GEN BYO IN(2015年、アイノア)ISBN 978-4-88169-188-5

写真集

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  • 吐き気がするほどロマンチックだぜ(2003年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4-434-03396-4
  • 我自由丸(2003年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4-434-03509-6

関連人物

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出典・脚注

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注釈

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  1. ^ 追悼番組の出演者は、5月22日が乾純、金子アツシ、ツージーQ山崎春美、いぬん堂、JOJO広重吉田豪掟ポルシェ、菅野邦明、加藤正文、地引雄一、丸尾末広、三ヶ田ケイゾウ、ロリータ18号マサヨ、山本久土宇川直宏。5月27日が友川カズキ高橋和也タテタカコ、伊東玲育、山本久土、西村雄介伊藤多喜雄大友良英和合亮一宮藤官九郎、森彰一郎、山岸清之進、田中誠一、宇川直宏、高橋和也浜田真理子古川日出男伊藤多喜雄タテタカコ、五所純子[8]

出典

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  1. ^ a b “遠藤ミチロウさん死去 68歳 膵臓がん手術から半年”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2019年5月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/05/01/kiji/20190501s00041000079000c.html 2019年5月1日閲覧。 
  2. ^ “「ザ・スターリン」遠藤ミチロウが膵臓がんを公表 8月に体調不良訴え判明”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2018年11月15日). https://www.daily.co.jp/gossip/2018/11/15/0011821974.shtml 2018年11月15日閲覧。 
  3. ^ 遠藤ミチロウさん「歌いまくりたかった さようなら」 一周忌に遺言公開”. 毎日新聞(2020年4月25日). 2020年4月27日閲覧。
  4. ^ 遺言書”. 遠藤ミチロウ. 2021年3月30日閲覧。
  5. ^ エンドウ ミチロウ [@michiro60] (2019年5月1日). "【遠藤ミチロウオフィスより】 遠藤ミチロウは、昨年より膵臓癌を患い闘病を続けてまいりましたが、2019年4月25日に都内の病院にて永眠いたしました。 葬儀は本人の意向により近親者のみで執り行いました。後日、音楽葬を行う予定です。 生前のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。". X(旧Twitter)より2019年5月1日閲覧
  6. ^ カリスマに追悼の声続々 遠藤ミチロウさん逝去…「唯一無二の偉大なパンク歌手でした」” (日本語). Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2019年5月1日). 2019年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月20日閲覧。
  7. ^ 遠藤ミチロウさん死去 その人柄に 「存在が誇り」と哀悼相次ぐ” (日本語). 女性自身. 光文社 (2019年5月1日). 2019年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月20日閲覧。
  8. ^ a b “遠藤ミチロウ緊急追悼番組「THE END 0」”. DOMMUNE. (2019年5月22日). https://www.dommune.com/reserve/2019/0522/ 2021年6月8日閲覧。 
  9. ^ 今夜は最高1988年11月26日放送分より
  10. ^ “ザ・スターリン 特集・インタビュー”. 音楽ナタリー (ナターシャ). (2012年3月14日). https://natalie.mu/music/pp/stalin 2019年5月1日閲覧。 
  11. ^ 『ザ・スターリン伝説』マガジン・ファイブ、2004年、157頁。ISBN 4434047906 
  12. ^ ヘドバン Vol.2(シンコーミュージック・エンタテイメント) 101p

外部リンク

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