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諏訪忠誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
諏訪 忠誠
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 文政4年5月8日1821年6月7日
死没 明治31年(1898年2月19日
改名 鍈太郎(幼名)→忠誠
墓所 東京都文京区本駒込吉祥寺
官位 従五位下、因幡守、従四位下、侍従兼因幡守、従三位子爵
幕府 江戸幕府若年寄寺社奉行老中
主君 徳川家慶家定家茂慶喜
信濃諏訪藩
氏族 諏訪氏
父母 父:諏訪忠恕
母:烈(清昌院、松平定信の娘)
兄弟 忠誠頼図頼威
正室:(貞鏡院、松平乗寛の娘)
継室:松平康任の娘)
継々室:(瓊芳院、朽木綱条の娘)
直子(諏訪忠礼正室)、娘(鳥居成善室)、晴子(諏訪忠元正室)
養子:忠礼忠元
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諏訪 忠誠(すわ ただまさ)は、江戸時代末期の譜代大名老中信濃諏訪藩第9代藩主[1]

生涯

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文政4年(1821年)、諏訪忠恕の長男に生まれる。天保11年(1840年)、父の隠居に伴い家督を相続した。外祖父の松平定信は忠誠の人となりを見て、将来有望であると太鼓判を押した。その予想通り万延元年(1860年)に若年寄文久2年(1862年)に寺社奉行元治元年(1864年)には老中に就任する。

同年、武田耕雲斎率いる水戸天狗党(総勢1000人の浪士)はを目指し、10月20日には諏訪藩領内の和田峠を越えようとさしかかった。幕府は諏訪藩と隣の松本藩に出兵を命じ、諏訪・松本両藩2000人は和田峠で迎撃をしたが、藩兵は6名の犠牲者を出し、突破されている。

老中在任中の慶応元年(1865年)、将軍・徳川家茂長州征討のため出陣するのに強く反対し、同じ立場だった長岡藩主の牧野忠恭とともに老中職を罷免された。

慶応4年(1868年)5月24日に隠居し、養嗣子とした甥の忠礼に家督を譲った。同年の戊辰戦争では諏訪高島藩は新政府方に加わり、幕府方と交戦している。

明治4年(1871年)4月、東京に移住した。明治11年(1878年)10月、忠礼の死去により家督を再び相続した。明治17年(1884年7月子爵の爵位を授かった。

明治31年(1898年)に死去した。家督は娘婿の忠元溝口直溥の十四男)が継いだ。その後、忠元の娘千賀子の婿に仙石政固の五男(庶子)を迎えて諏訪忠久として襲爵し、娘広子は商人植村伝助植村秀の父)の妻となった[2]

諏訪忠誠

年譜

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※日付=旧暦。但し、明治6年以降は新暦。

  • 1821年文政4年)、誕生。
  • 1835年天保6年)12月15日、従五位下因幡守に叙任。
  • 1840年(天保11年)11月5日、家督相続し、高島藩主継承。
  • 1860年万延年)6月1日、若年寄就任。
  • 1861年文久元年)8月11日、若年寄辞職。
  • 1862年(文久2年)10月9日、寺社奉行就任(時に奏者番廃止により兼務無し)。 11月11日、若年寄に異動再任。 12月18日、勝手掛及び外国御用取扱兼務。
  • 1864年元治元年)6月18日、若年寄御役御免。 6月29日、老中格に異動。 7月23日、老中に異動。 9月1日、従四位下に昇叙。因幡守如元。 10月13日、外国御用取扱兼務。 11月10日、侍従兼任。
  • 1865年慶応元年)4月19日、老中免職。
  • 1868年(慶応4年)5月、隠居。
  • 1874年明治7年)、東京都港区芝公園鎮座の芝東照宮祠官就任。
  • 1878年明治11年)7月、東京都港区芝大門鎮座の芝大神宮祠官就任。
  • 1879年(明治12年)6月、芝大神宮祠官辞任。
  • 1882年(明治15年)4月、芝大神宮祠官再任。
  • 1884年(明治17年)7月8日、子爵授爵。
  • 1889年(明治22年)11月、芝大神宮祠官辞任。
  • 1891年(明治24年)2月、長野県諏訪市鎮座の諏訪神社(現今の諏訪大社)宮司就任。
  • 1893年(明治26年)12月、諏訪神社宮司辞任。
  • 1895年(明治28年)8月、芝大神宮社司就任。
  • 1897年(明治30年)5月、芝大神宮社司辞任。
  • 1898年(明治31年)、死去、享年77。

家族

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父母

  • 侃、貞鏡院 ー 三河国西尾藩主松平乗寛の娘(1番目の妻)
  • 達 ー 石見国浜田藩主松平康任の娘(2番目の妻)
  • 雄、瓊芳院 ー 丹波国福知山藩主朽木綱条の娘(3番目の妻)

子女

養子

栄典

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脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『諏訪忠誠』 - コトバンク
  2. ^ 『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929, p345
  3. ^ 鳥居耀蔵の子?
  4. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
高島諏訪家初代
1884年 - 1898年
次代
諏訪忠元