荘司市太郎
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荘司 市太郎(しょうじ いちたろう、1874年(明治7年)1月30日[1] - 1950年(昭和25年)2月25日[2])は、日本の技師、工学博士[1][3][4][5]、工業試験所技師、大阪工業試験所長[5][6][7]。工業化学会会長。専門は応用化学[1]。
経歴
[編集]福井県敦賀郡敦賀町に生まれる[1]。東京府・荘司孝治郎の長男[3][6][7][8]。1900年、家督を相続する[3][4][6]。
1899年、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業[4][5][6]。更に大学院に学ぶ[4][5][6]。農商務省に入り、技師に任ぜられる[4]。
日本蝋燭製造所顧問、農商務技師、工業試験所技師、特許局技師兼同審査官兼工場監督官、臨時産業調査局技師等に歴任[7][8]。1918年、工業試験所技師に任じ大阪工業試験所長となり1938年2月、退官する[5]。
人物
[編集]族籍は東京平民であった[3]。宗教は仏教[5][6]。趣味はスポーツ[5][6]。本籍は東京市赤坂区伝馬町3丁目[1](現・元赤坂)。住所は大阪市西淀川区大仁西町2丁目[1]、東淀川区中津本町[6]、中津浜通5丁目[7][8]、兵庫県武庫郡精道村芦屋字南ノ口[5]。
家族・親族
[編集]- 荘司家
- 父・孝治郎[3][6]
- 妻・初音(1882年 - ?、東京士族、山脇玄の二女、山脇春樹の養妹[6])
- 養子・信守(1897年 - ?、長女愛の夫[3]、三菱化成工業取締役[9]、東洋カーボン専務[10])
- 長女[3]
- 二女[5]
- 三女[5]
- 五女(大阪、祭原源治郎の長男健太郎の妻)[5][6]
- 孫[7]
- 親戚
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『大日本博士録 VOLUME V』工学225頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月8日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、555頁。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』し31 - 32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f 『帝国大学出身名鑑』シ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第12版 上』シ107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第11版 上』シ144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』シ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月9日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』シ90 - 91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月9日閲覧。
- ^ 『東京工業試験所五十年史』228頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『東京紳士録 昭和39年版』し27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月9日閲覧。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 『大日本博士録 VOLUME V』発展社、1921 - 1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 東京工業試験所編『東京工業試験所五十年史』東京工業試験所、1951年。
- 東京探偵社編『東京紳士録 昭和39年版』東京探偵社、1964年。