笹井幸一郎
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笹井 幸一郎(ささい こういちろう、1885年(明治18年)10月28日[1] - 1938年(昭和13年)10月15日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、長崎市長。
経歴
[編集]新潟県中頸城郡斐太村(現在の新潟県妙高市)出身[1]。笹井喜三郎の長男として生まれた[3]。高田中学校を経て第四高等学校を卒業[1]。1910年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1911年、内務省に入省し岐阜県属となる[3][4]。
以後、岐阜県警視、熊本県玉名郡長、山口県理事官、和歌山県理事官、佐賀県警察部長、警視庁保安部長、復興局経理部長などを歴任[1][3]。警視庁保安部長時代に関東大震災を経験した[1]。1927年から約1年間、欧米を外遊し、帰国後は復興局史編纂事務の嘱託するなど、公職から外れていた[1]。
1929年8月、奈良県知事に就任。不況下における民生の安定に尽力[5]。1930年8月、愛媛県知事に転任。1931年12月18日に知事を休職[3][6]。1932年1月29日、依願免本官となり退官した[7]。
その後、1934年5月から1938年5月まで長崎市長を務めた。
栄典
[編集]- 1930年(昭和5年)10月15日 - 従四位[8]
- 1930年(昭和5年)11月6日 - 勲三等瑞宝章[9]
- 1930年(昭和5年)12月5日 - 帝都復興記念章[10]
- 1938年(昭和13年)10月18日 - 正四位[1]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『中頸城郡誌 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1938年10月16日朝刊、11面の訃報より。
- ^ a b c d 『新編日本の歴代知事』924頁。
- ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』198頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』720頁。
- ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
- ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
- ^ 『官報』第1183号1930年12月6日。
- ^ 『官報』第1158号1930年11月7日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『人事興信録』第7版、さ114頁。
参考文献
[編集]公職 | ||
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先代 草間秀雄 |
長崎市長 12代:1934-1938 |
次代 青木善祐 |