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第10SS装甲師団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第10SS装甲師団 フルンツベルク
10. SS-Panzer-Division "Frundsberg"
創設 1943年2月1日
再編成 1943年10月26日
(装甲師団へ再編)
廃止 1945年5月8日
所属政体 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
所属組織 武装親衛隊
部隊編制単位 師団
兵種/任務 装甲
編成地 ベルリンリヒターフェルデ英語版
愛称 フルンツベルク
戦歴

第二次世界大戦

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第10SS装甲師団『フルンツベルク』(だい10SSそうこうしだん フルンツベルク、ドイツ語: 10. SS-Panzer-Division Frundsberg)とは、武装親衛隊の師団の一つ。1943年初頭、予想される連合国軍の侵攻に対応するための予備兵力として設立された。しかし初陣を1944年4月のウクライナにて経験し、その後西部戦線へと移り西側連合国と戦闘を交えるが敗走。ベルリン南西部のラウジッツで終戦を迎えた。名称は15世紀のドイツ人の英雄ゲオルク・フォン・フルンツベルクランツクネヒトの父)に由来する。

ノーベル賞受賞作家のギュンター・グラスは当師団に1945年2月に配属され、同年4月20日に負傷するまで戦車の装填手として務めていた[1]

第10SS装甲擲弾兵師団

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東部戦線などにおける武装SS師団の活躍により、1943年1月8日、SS長官ハインリヒ・ヒムラーは2個武装SS師団の新設を命じた。1943年2月1日にベルリンのリヒターフェルデで「第10SS装甲擲弾兵師団(10. SS-Panzergrenadier-Division)」として編成が開始され、その後、師団は北フランスボルドー地域に配置された。3月1日、師団に『カール・デア・グロッセ(Karl der Große)』という名誉ある名称を与えられたが、装甲連隊の編成は遅れていた。そのため、当初の装甲連隊は2個大隊編成となっていた。

第1大隊は1944年末においても車輛が不足しており、大隊には独自に突撃砲中隊が設けられ、赤軍の鹵獲品までもが使用されていた。

1943年7月、師団はビアリッツ東部へ移動した後、今度はマルセイユ以北の地域に移された。ここで師団の訓練が続けられた。10月、OKWは師団にイタリア軍の車両を補充するよう命じた。

1943年10月26日、装甲師団への再編と共に師団名も「第10SS装甲師団『フルンツベルク』(10. SS Panzer-Division "Frundsberg")」と改称された。

他の武装SS師団と同様、歴史上の傑出した人物の名の採用(第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」、第7SS義勇山岳師団「プリンツオイゲン」など)は、武装SSの軍人的理想像を反映していた。しかし、こうした英雄像のモデルは、第一次世界大戦後に作家エルンスト・ユンガーによって創作されたランツクネヒト像に基づいている[2]

第10SS装甲師団

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1943年10月26日、第10SS装甲師団への再編後、師団はディヴとセーヌの間に移動した。第17SS装甲擲弾兵師団と共に北フランスの守りにつき、12月31日の時点で、19,313名の兵力を有していたが、一部が同師団に譲渡され戦力は低下した。

第9SS装甲師団と共に国防軍の総予備となったが、1944年3月のカメネツ=ポドリスキー包囲戦における第ⅠSS装甲軍団の危機に対して投入された。タルノポリで包囲された同軍団の救出に成功すると、回復のために北ウクライナで補充を受けていたが、1944年3月にプロスクロフ、タルノポール方面での赤軍の攻勢が始まると、師団は3月26日に警戒態勢に入り、東部戦線に移動した。

1944年4月4日、最初の輸送船がポダイス(Podhajce)に到着し、直ちにブチャチ(Buchach)方面へ攻撃を開始した。激しい戦闘の後、第ⅠSS装甲軍団の救援に成功したが、この2週間の戦闘で、戦死者577人、負傷者1,432人、行方不明者67人という損害をうけ、4月25日から師団は陸軍集団予備として、ロハティン=ハリッチ地区に移動した。1944年5月1日、師団はポモルザニ地区へ移動し、対パルチザン戦に投入された。

1944年6月6日、連合軍のノルマンディー上陸作戦が始まると、急遽、輸送列車でフランスへ移送され、1944年6月20日、師団はメッツの南西にあるナンシー=バー・ル・デュック地区に到着した。

6月29日からカーン地区でのドイツ軍の反攻作戦に参加したが、ファレーズでの防衛戦(ファレーズ・ポケット)に巻き込まれて大損害を受け撤退し、第9SS装甲師団と共にオランダアーネム近郊で休養・再編成を行っていた。しかし、マーケット・ガーデン作戦による連合軍空挺部隊との遭遇により戦闘が発生、兵員・装備共に不足した状態でありながら、第9SS装甲師団と共に第IISS装甲軍団を形成し[3]、英第1空挺旅団に大損害を与えた。1945年1月まではライン中流のアルザス周辺での攻防戦に参加していたが、1945年2月には東部戦線に移動された。ポラメニア防衛線を経てベルリン南方でベルリン防衛の一翼を担った。ハルベの戦いにより赤軍に包囲された師団は、モーリッツブルクを経由してチェコスロバキアテプリツェ近郊に撤退し、そこで米軍に降伏した[4]

本師団は第二次世界大戦を通じて、姉妹部隊の第9SS装甲師団と共に第1第2第3、及び第5SS装甲師団同様の精鋭部隊として編成されていた。

歴代師団長

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階級は師団長在任時のもの。

戦闘序列[5]

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第10SS装甲擲弾兵師団『カール・デア・グロッセ』(1943年3月1日)
  • 第1SS装甲擲弾兵連隊 「フルンツベルク」 (SS-Panzer-Grenadier-Regiment 1 "Frundsberg")
  • 第2SS装甲擲弾兵連隊 「フルンツベルク」 (SS-Panzer-Grenadier-Regiment 2 "Frundsberg")
  • 第10SSオートバイ兵連隊 (SS-Kradschützen-Regiment 10)
  • 第10SS対戦車猟兵大隊 (SS-Panzerjäger-Abteilung 10)
  • 第10SS突撃砲大隊 (SS-Sturmgeschütz-Abteilung 10)
  • 第10SS砲兵連隊 (SS-Artillerie-Regiment 10)
  • 第10SS高射砲大隊 (SS-Flak-Abteilung 10)
  • 第10SS工兵大隊 (SS-Pionier-Bataillon 10)
  • 第10SS通信大隊 (SS-Nachrichten-Abteilung 10)
  • 第10SS医療大隊 (SS-Sanitäts-Abteilung 10)
  • 第10SS設営大隊 (SS-Wirtschafts-Bataillon 10)
  • 第10SS補給小隊 (SS-Nachschubtruppen 10)
  • 第10SS整備大隊 (SS-Instandsetzungs-Abteilung 10)
第10SS装甲師団『フルンツベルク』(1943年10月26日)
  • 第10SS装甲連隊 「ランゲマルク」 (SS Panzer-Regiment 10 "Langemark")
  • 第21SS装甲擲弾兵連隊 (SS Panzer-Grenadier-Regiment 21)
  • 第22SS装甲擲弾兵連隊 (SS Panzer-Grenadier-Regiment 22)
  • 第10SS装甲砲兵連隊 (SS Panzer-Artillerie-Regiment 10)
  • 第10SS高射砲大隊 (SS-Flak-Abteilung 10)
  • 第10SS突撃砲大隊 (SS-Sturmgeschütz-Abteilung 10)
  • 第10SSオートバイ兵連隊 (SS-Kradschützen-Regiment 10)
  • 第10SS対戦車猟兵大隊 (SS-Panzerjäger-Abteilung 10)
  • 第10SS装甲工兵大隊 (SS Panzer-Pionier-Bataillon 10)
  • 第10SS装甲通信大隊 (SS Panzer-Nachrichten-Abteilung 10)
  • 第10SS供給部隊 (SS Versorgungseinheiten 10)

作戦地域

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第10SS装甲擲弾兵師団
月日 軍団
(Armee-Korps)

(Armee)
軍集団
(Heeresgruppe)
師団本部
1943年 1月8日 編成中 D軍集団
(Heeresgruppe D)
フランス南部
5月 第1軍
(1. Armee)
フランス南西部
第10SS装甲師団
月日 軍団
(Armee-Korps)

(Armee)
軍集団
(Heeresgruppe)
師団本部
1943年 10月26日 自由運用
(z. Vfg.)
第15軍
(15. Armee)
D軍集団
(Heeresgruppe D)
フランス北部
12月
1944年 1月
4月 第ⅡSS装甲軍団
(Ⅱ.SS-Panzerkorps)
第1装甲軍
(1. Panzerarmee)
北ウクライナ軍集団
(Heeresgruppe Nordukraine)
テルノピリ
5月 自由運用
(z. Vfg.)
リヴィウ
7月 第ⅡSS装甲軍団
(Ⅱ.SS-Panzerkorps)
西方装甲集団
(Panzergruppe West)
B軍集団
(Heeresgruppe B)
ノルマンディー
8月 再編中 オランダ
10月
戦闘団として編成)
第ⅡSS装甲軍団
(Ⅱ.SS-Panzerkorps)
第1降下猟兵軍
(1. Fallschirmarmee)
アルンヘム
11月 第LXXXVIII軍団英語版
(LXXXVIII.Armeekorps)
第15軍
(15. Armee)
デューレン
12月 自由運用
(z. Vfg.)
第5装甲軍
(5. Panzerarmee)
アイフェル
1945年 1月 第15軍
(15. Armee)
2月 第XXXIX軍団英語版
(XXXIX.Armeekorps)
第11軍
(11. Armee)
ヴァイクセル軍集団
(Heeresgruppe Weichsel)
ポンメルン
3月 自由運用
(z. Vfg.)
第9軍
(9. Armee)
フランクフルト (オーダー)
4月 中央軍集団
(Heeresgruppe Mitte)
ラウジッツ
5月 第4装甲軍
(4. Panzerarmee)
ザクセン

主な配備車両

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栄典

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騎士鉄十字章
画像 氏名 階級 所管 受章年月日
オットー・ペッシュ SS中佐 第10SS装甲連隊長 1944年9月23日
ハンス・ライター SS少尉 第21SS装甲擲弾兵連隊参謀長 1944年8月23日
カール・ケック SS大尉 第15中隊/第21SS装甲擲弾兵連隊指揮官 1944年8月23日
カール・バスティアン SS大尉 第Ⅱ大隊/第21SS装甲擲弾兵連隊指揮官 1944年8月23日
エーリッヒ・レヒ SS曹長 第2中隊/第10SS装甲偵察大隊小隊長 1944年8月23日
カール・ハインツ・オイリング SS少佐 第Ⅳ大隊/第22SS装甲擲弾兵連隊指揮官 1944年10月15日
レオ・ヘルマン・ラインホルト SS大尉 第Ⅱ大隊/第10SS装甲連隊指揮官 1944年10月16日
エルヴィン・バッハマン SS中尉 第Ⅰ大隊/第10SS装甲連隊副官 1945年2月10日
フランツ・リーデル SS中尉 第7中隊/第10SS装甲連隊指揮官 1945年3月28日
フランツ・シェルツァー SS中尉 第Ⅰ大隊/第10SS装甲連隊指揮官 1945年3月28日
エルンスト・ヨハンテック SS少佐 第Ⅰ大隊/第10SS装甲連隊指揮官 1945年3月28日
エルヴィン・フランツ・エステル SS中佐 第10SS戦車猟兵大隊指揮官 1945年5月3日
フリードリヒ・ヴィルヘルム・リヒター SS少佐 第Ⅲ大隊/第21SS装甲擲弾兵連隊指揮官 1945年5月11日
柏葉付騎士鉄十字章
画像 氏名 階級 所管 受章年月日
オットー・ペッシュ SS中佐 第10SS装甲連隊長 1945年4月5日
柏葉・剣付騎士鉄十字章
画像 氏名 階級 所管 受章年月日
ハインツ・ハルメル SS少将 第10SS装甲師団長 1944年12月15日

脚注

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  1. ^ Irving, John (19 August 2006). “Günter Grass is my hero, as a writer and a moral compass”. London: The Guardian. オリジナルの20 August 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060820101933/http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0%2C%2C1853745%2C00.html 19 August 2006閲覧。 
  2. ^ Vgl. Knut, Stang: Ritter, Landsknecht, Legionär, Militärmythische Leitbilder in der Ideologie der SS, Peter Lang, Frankfurt 2008.
  3. ^ Archived copy”. 24 April 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。22 March 2018閲覧。
  4. ^ Georg Tessin, Verbände und Truppen der deutschen Wehrmacht und Waffen-SS, Vol. III, p. 188, Osnabrück: Biblio Verlag, 1974
  5. ^ GORDON WILLIAMSON: "The SS Hitler's Instrument of the power"; published by KAISER; appendix, page 244, "Schlachtordnung der Waffen-SS / Waffen-SS order of battle"; copyright 1994 by Brown Packaging Books Ltd., London.

関連項目

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