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神明山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神明山古墳

遠景
(丘陵上。右に後円部、左奥に前方部)
所在地 京都府京丹後市丹後町宮小字家ノ上
位置 北緯35度44分6.63秒 東経135度6分40.47秒 / 北緯35.7351750度 東経135.1112417度 / 35.7351750; 135.1112417座標: 北緯35度44分6.63秒 東経135度6分40.47秒 / 北緯35.7351750度 東経135.1112417度 / 35.7351750; 135.1112417
形状 前方後円墳
規模 墳丘長190m
埋葬施設 (推定)竪穴式石室
出土品 円筒埴輪形象埴輪
築造時期 4世紀末-5世紀初頭
史跡 国の史跡「神明山古墳」
特記事項 全国第36位の規模
(墳丘長200mとする場合)[1]
日本海三大古墳の1つ
地図
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神明山古墳(しんめいやまこふん)は、京都府京丹後市丹後町宮にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。

網野銚子山古墳(京丹後市網野町網野)・蛭子山1号墳与謝郡与謝野町加悦・明石)と合わせて「日本海三大古墳」と総称される。

概要

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京都府北部、丹後半島を流れる竹野川河口付近において、丘陵先端部を切断して築造された大型前方後円墳である[2][3]1964-1967年(昭和39-42年)に同志社大学考古学研究会による測量調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない[4]

墳形は前方後円形で、前方部を北東方向に向ける[5]。墳丘は3段築成[5][4]。墳丘長は190メートルを測り、網野銚子山古墳(201メートル)とともに日本海側では最大級の規模になる[3]。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪形象埴輪(家形・盾形・蓋形埴輪など)・石製模造品(詳細不明[6])・弥生土器(墳丘封土内より)などが検出されている[2][5]。埴輪のうちでは、丹後型円筒埴輪の破片がみられるほか[7][8]、舟を漕ぐ人物の線刻を有する破片もみられる[5][4]。埋葬施設は明らかでないが、後円部中央に板石が散乱していたことから、竪穴式石室の存在が推測される[2][5][4]。また墳丘周囲に湿地がみられることから、周濠の存在も推定される[2][6]

築造時期は、古墳時代中期の4世紀末-5世紀初頭頃と推定される[4][9]。日本海三大古墳のうちでは、蛭子山1号墳4世紀中葉、145メートル)・網野銚子山古墳(4世紀後半)に続く3番目の築造になる[9]。網野銚子山古墳・神明山古墳は、それぞれ浅茂川湖・竹野湖という古代の潟湖(ラグーン)に対して葺石で覆われた墳丘の横面を見せる形式をとっており、当時の丹後地方がこれら潟湖を港として日本海交易を展開した様子が示唆される[7][4]。なお、神明山古墳に続く首長墓は黒部銚子山古墳(京丹後市弥栄町黒部、5世紀前半、105メートル)になるが、同古墳をもって丹後地方での大型前方後円墳の築造は終焉し、5世紀中頃以降は中心地が丹後地方から丹波地方に移動することとなる(兵庫県丹波篠山市雲部車塚古墳、京都府亀岡市千歳車塚古墳[9]

竹野神社

古墳域は1923年大正12年)に国の史跡に指定されている[10]。なお、付近に延喜式内社の竹野神社が鎮座することから、同社の古代祭祀と本古墳との関連を指摘する説がある[2]。また、神明山古墳の後円部墳頂では後世に経塚が営まれており、そこからは経筒・銅鏡(いずれも京丹後市指定有形文化財)が出土している[2][4]

墳丘

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神明山古墳の空中写真
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
前方部から後円部(右奥)を望む

墳丘の規模は次の通り[5][4]

  • 墳丘長:190メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:129メートル
    • 高さ:26メートル
  • 前方部 - 3段築成。
    • 幅:78メートル
    • 高さ:15メートル

墳丘長については約200メートルとする説があり、その場合には全国第36位に位置づけられる[1]

なお、くびれ部には円形の造出を有する[2][3]

文化財

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国の史跡

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  • 神明山古墳 - 指定範囲は13,150平方メートル。1923年(大正12年)3月7日指定[10][8]

関連文化財

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  • 竹野神社神明山経塚出土銅鏡 2面
    京丹後市指定有形文化財(考古資料)。竹野神社所蔵、京都府立丹後郷土資料館寄託。
    平安時代後期の作。後世に神明山古墳上で営まれた経塚(神明山経塚)から出土した銅鏡2面(藤山吹双鳥鏡1面・網代垣山吹双鳥鏡1面)。1986年(昭和61年)5月19日指定[11][12]
  • 竹野神社神明山経塚出土経筒 4口
    京丹後市指定有形文化財(考古資料)。竹野神社所蔵、京都府立丹後郷土資料館寄託。
    平安時代後期の作。上の銅鏡2面同様、後世に営まれた神明山経塚から出土した経筒4口。1986年(昭和61年)5月19日指定[13][12]

現地情報

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所在地

交通アクセス

関連施設

  • 京丹後市立丹後古代の里資料館(京丹後市丹後町宮) - 神明山古墳の出土埴輪を保管・展示。

周辺

  • 竹野神社
  • 産土山古墳 - 国の史跡。
  • 大成古墳群 - 京丹後市指定史跡。
  • 片山古墳 - 京丹後市指定史跡。

脚注

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  1. ^ a b 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  2. ^ a b c d e f g 神明山古墳(平凡社) 1981.
  3. ^ a b c 神明山古墳(国指定史跡).
  4. ^ a b c d e f g h i 京丹後市の考古資料 2010, pp. 45–46.
  5. ^ a b c d e f 神明山古墳(古墳) 1989.
  6. ^ a b 京都府埋蔵文化財情報 第5号 1982, pp. 35–37.
  7. ^ a b 三浦到 2015, pp. 142–151.
  8. ^ a b 京丹後市内の国指定・登録文化財(京丹後市教育委員会「京丹後市デジタルミュージアム」)。
  9. ^ a b c 「丹後建国1300年記念事業 丹後王国の世界(丹後古代の里資料館企画展示説明資料)」 京丹後市立丹後古代の里資料館、2012年。
  10. ^ a b 神明山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. ^ 神明山経塚銅鏡(京丹後市教育委員会「京丹後市デジタルミュージアム」)。
  12. ^ a b 京丹後市内の市指定文化財(京丹後市教育委員会「京丹後市デジタルミュージアム」)。
  13. ^ 神明山経塚出土経筒(京丹後市教育委員会「京丹後市デジタルミュージアム」)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(京丹後市教育委員会、1975年設置)
  • 地方自治体発行
    • 「神明山古墳」『京都府埋蔵文化財情報 (PDF)』5号、京都府埋蔵文化財調査研究センター、1982年、35-37頁。  - リンクは京都府埋蔵文化財調査研究センター。
    • 「神明山古墳」『京丹後市の考古資料』京丹後市〈京丹後市史資料編〉、2010年、45-46頁。 
  • 事典類
    • 「神明山古墳」『京都府の地名』平凡社日本歴史地名大系26〉、1981年。ISBN 4-582-49026-3 
    • 佐藤晃一「神明山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
    • 神明山古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
  • その他
    • 三浦到 著「網野銚子山古墳 -丹後の政権-」、『歴史読本』編集部編 編『ここまでわかった! 古代王権と古墳の謎』KADOKAWA〈新人物文庫356〉、2015年。ISBN 978-4-04-601306-4 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 神明山古墳」『京都府史蹟勝地調査會報告』 第一冊、京都府、1919年。  - リンクは国立国会図書館デジタルコレクション。

関連項目

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外部リンク

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