コンテンツにスキップ

石橋信夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石橋 信夫(いしばし のぶお、1921年9月9日 - 2003年2月21日)は、日本実業家大和ハウス工業の創業者で、元社長・会長。奈良県吉野郡川上村出身。

略歴

[編集]
  • 1921年(大正10年) - 奈良県吉野郡川上村に生まれる。
  • 1939年(昭和14年) - 奈良県立吉野林業学校 (後の奈良県立吉野林業高等学校) 卒業後、満州営林庁敦化営林署勤務。
  • 1942年(昭和17年) - 前橋陸軍予備士官学校卒業。
  • 1943年(昭和18年) - 陸軍少尉、速射砲中隊小隊長[1][2]
  • 1945年(昭和20年) - 陸軍中尉。シベリア抑留
  • 1948年(昭和23年) - 復員。
  • 1949年(昭和24年) - 吉野中央木材取締役就任。
  • 1955年(昭和30年) - 大和ハウス工業を設立。常務取締役就任。
  • 1963年(昭和38年) - 大和ハウス工業代表取締役社長就任。
  • 1971年(昭和46年) - 社団法人経済団体連合会理事就任。
  • 1978年(昭和53年) - 社団法人プレハブ建築協会会長就任。
  • 1979年(昭和54年) - 藍綬褒章受章。
  • 1980年(昭和55年) - 大和ハウス工業株式会社代表取締役会長就任。
  • 1992年(平成4年) - 大和ハウス工業株式会社代表取締役相談役就任。
  • 2003年(平成15年) - 81歳で逝去。従三位勲一等瑞宝章受章。
    • その他には住宅建設業団体協議会会長、社団法人住宅生産団体連合会会長も務めた。

逸話

[編集]

1959年猪名川で鮎釣りをしていた際、日暮れが迫っているのに子供が帰宅しないのを見かけた。早く帰宅するように声を掛けると、子供達は帰っても勉強部屋も子供部屋も無いと答えた。石橋は戦後の人口増に見合った住宅が普及していないと考え、社員に技術の研究と開発を命じた。そのときに開発されたのが「ミゼットハウス」である[3][4]

主な著作

[編集]

家族

[編集]

出典

[編集]

関連人物

[編集]

関連書籍

[編集]
  • 樋口武男『先の先を読め 複眼経営者「石橋信夫」という生き方』(文春新書
  • 野口均『逆境のリーダー・石橋信夫 大和ハウス工業創業者の壮絶人生と先見の経営』(ダイヤモンド社

外部リンク

[編集]