石崎汽船
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石崎汽船本社のある松山観光港ターミナル | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | ISHIZAKI |
本社所在地 |
日本 〒791-8081 愛媛県松山市高浜町5丁目2259-1 松山観光港ターミナル |
設立 |
創業:1862年(文久2年)8月 設立:1918年(大正7年)7月 |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 6500001000538 |
代表者 | 代表取締役社長 清水 一郎 |
主要株主 | (株)伊予鉄グループ |
関係する人物 | 庄兵衛 |
外部リンク | http://www.ishizakikisen.co.jp |
石崎汽船株式会社(いしざききせん)は、愛媛県松山市に本社を置く海運会社である。 創業150年を超える老舗の旅客船事業者であり、伊予鉄グループの関連会社である。
沿革
[編集]- 1862年(文久 2年) - 新浜村(現:松山市高浜)の庄兵衛が廻船業を興す[1]。
- 1864年(元治元年) - 庄兵衛が死去するが、以後の後継ぎも「庄兵衛」を名乗る。
- 1869年(明治 2年) - 庄兵衛(創始者の孫にあたる)が「石﨑庄兵衛」を名乗り始める。
- 1873年(明治 6年)6月 - 外輪船「天貴丸」を輸入し、愛媛県内で旅客船営業を始める[2]。
- 1890年(明治23年)11月 - 三津浜〜広島間 定期航路開始。
- 1891年(明治24年)2月 - 徳山の船会社から「第一相生丸」を購入する。以後、購入・建造する船は「第○相生丸」と命名されるようになる。
- 1903年(明治36年)8月 - 三津浜 - 尾道航路を開設する。
- 1918年(大正 7年)
- 1924年(大正13年)12月 - 石崎汽船旧本社屋落成。
- 1943年(昭和18年)6月 - 戦時徴用中の第十相生丸がマニラ港外で座礁し、そのまま放棄[6]。
- 1944年(昭和19年)10月 - 松山 - 尾道航路休止(燃料不足のため)[7]。
- 1945年(昭和20年)4月 - 石炭輸送中の第十一相生丸が福岡県恒見沖で触雷沈没[6]。
- 1946年(昭和21年) - 第十二相生丸と第十六相生丸が占領軍に徴用される[8]。
- 1948年(昭和23年)7月 - 松山 - 尾道航路再開[9]。
- 1965年(昭和40年)5月 - 松山 - 広島航路にフェリーを導入する。
- 1966年(昭和41年)8月 - 松山 - 広島航路に水中翼船を導入する。
- 1969年(昭和44年)5月 - 松山 - 尾道航路に水中翼船を導入する。9月、伊予鉄道と近畿日本鉄道(いずれも当時の社名)が資本参加(2005年に近鉄グループを離脱[10])。
- 1971年(昭和46年)3月5日 - 松山 - 尾道航路に高速船を導入する(四国内と本州の鉄道との連絡航路として利用された)。
- 1975年(昭和50年)5月 - 松山 - 三原航路を開設する(瀬戸内海汽船・昭和海運との共同運航)。山陽新幹線との連絡航路として利用された。
- 1979年(昭和54年)11月27日 - 松山 - 尾道航路に就航していた高速船を水中翼船に置き換える。
- 1988年(昭和63年)6月15日 - 松山 - 三原航路が、瀬戸大橋開通による航路再編に伴い廃止される[11]。
- 1993年(平成 5年)12月25日 - 松山 - 広島航路に就航していた水中翼船を、高速船「スーパージェット」に置き換える。
- 1998年(平成10年)3月 - 松山 - 門司(北九州市)航路に「スーパージェット」の大型タイプである「シーマックス」を導入し就航させる。
- 1999年(平成11年) - 松山 - 尾道航路が、しまなみ海道開通による航路再編に伴い廃止されたほか、松山 - 広島航路を縮小する。
- 2001年(平成13年)4月24日 - 本社の建物が登録有形文化財に登録[12]。
- 2004年(平成16年)
- 2008年(平成20年)
- 1月15日 - 「シーマックス」(松山 - 門司)を廃止する。
- 3月10日 - 松山 - 呉 - 広島の「スーパージェット」が、1日15往復から14往復に減便する(フェリー便は現状維持)。
- 2009年(平成21年)10月31日 - 瀬戸内海汽船とともにICい〜カードとPASPYを導入し供用を開始する。また、ICOCAの共通利用も開始する。
- 2013年(平成25年)
- 1月 - 松山・小倉フェリー株式会社を設立。
- 4月1日 - フェリーさんふらわあから松山 - 小倉航路を承継する[14]。
- 7月 - 本社所在地が、松山市三津1丁目から同市高浜町5丁目松山観光港ターミナルに移転する。
- 2019年(令和元年)10月11日 - 3代目旭洋丸が就航する[15]。
- 2020年(令和2年)8月1日 - 2代目翔洋丸が就航する[16]。
歴代社長
[編集]- 初代社長 石崎兵太郎(1918年 - 1931年)[17]
- 2代社長 石崎仙太郎(1931年 - 1975年)
- 3代社長 石崎洋一郎(1975年 - 1989年)
- 4代社長 武井正(1989年 - 1995年)
- 5代社長 一色昭造(1995年 - 2015年)
- 6代社長 清水 一郎(2015年 - )[18]
航路
[編集]廃止航路
[編集]- 高速船「シーマックス」)
船舶
[編集]就航中の船舶
[編集]- フェリー
- 2019年(令和元年)7月5日進水、同年9月26日竣工、同年10月11日就航、内海造船瀬戸田工場建造
- 875総トン、全長62.2m、幅13.0m、深さ9.10m、ディーゼル×2基、出力2,600PS、航海速力14.8ノット、旅客定員300名、乗用車33台又は12mトラック6台、15mトラック2台
- 2020年3月26日進水、同年7月15日竣工、同年8月1日就航、内海造船瀬戸田工場建造
- 871総トン、全長62.6m、幅13.0m、深さ9.1m、ディーゼル×2基、出力2,400PS、航海速力14.8ノット、船客定員300名、乗用車33台又は12mトラック6台、15mトラック2台
- 高速船
- 瑞光(スーパージェット30)
- 祥光(スーパージェット30)
過去の船舶
[編集]- 客船
- 第三相生丸
- 95.75総トン、全長28.76m
- 第四相生丸
- 第五相生丸
- 99.99総トン、全長28.12m
- 第六相生丸
- 119.02総トン、全長31.27m
- 第七相生丸
- 112.26総トン、全長28.55m
- 第八相生丸
- 第十相生丸
- 第十一相生丸
- 第十二相生丸
- 第十五相生丸
- 1924年(大正13年)進水、三菱造船(長崎)建造
- 325総トン
- 第十六相生丸
- 第十七相生丸
- 第十八相生丸
- 春洋丸
- 1962年進水、波止浜造船建造
- 297総トン
- 錦洋丸
- 1964年進水、波止浜造船建造
- 251総トン
- フェリー
- 1968年進水、同年7月就航、神田造船所建造、1988年6月解体、旭洋丸(初代)の同型船
- 496.15総トン、全長44.6m、幅11.06m、深さ3.6m、ディーゼル2基、出力1,700PS、航海速力13.8ノット、旅客定員450名、トラック12台[19]
- 1973年6月竣工、同年7月就航、中村造船建造、1990年6月海外売船
- 652.88総トン、全長48.7m、幅11m、深さ3.8m、ディーゼル2基、出力2,000PS、航海速力13.99ノット、旅客定員305名、乗用車6台、トラック12台[19]
- 1983年9月竣工、就航、神田造船所建造、1999年海外売船
- 699総トン、全長48.3m、幅11.6m、深さ3.8m、ディーゼル2基、出力2,000PS、航海速力13.86ノット、旅客定員370名、乗用車6台、トラック12台[19]
-
フェリー「旭洋丸」(2代)(呉港)
-
フェリー「翔洋丸」(初代)(呉港)
- 水中翼船
- 金星(PT-20)
- 明星(PT-20)
- 隆星(PT-20)
- 1981年竣工、日立造船神奈川工場建造
- 56.75総トン、最大速力36.9ノット、旅客定員69名
- 歓星(PT-20)
- 61.67総トン、旅客定員69名[20]
- 彩星(PT-50)
- 129.80総トン、全長27.54m、幅5.84m、深さ3.56m、航海速力35.0ノット、旅客定員126名[20]
- 光星(PT-50)
- 131.86総トン、航海速力35.0ノット、旅客定員125名[20]
- 春星(PT-50)
- 129.36総トン、航海速力35.0ノット、旅客定員123名[20]
- 高速船
- シーマックス(スーパージェット40)
- 1998年2月27日竣工、同年3月就航、日立造船神奈川工場建造、2008年1月15日引退
- 284総トン、全長39.5m、幅11.4m、深さ3.7m、喫水1.85m、高速ディーゼル×4基、ウォータージェット×2基、最大速力45.18ノット、旅客定員200名
-
高速船「シーマックス」(松山観光港)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ データベース「えひめの記憶」 - 愛媛県生涯学習センター、2015年6月13日閲覧。
- ^ まつやま 人・彩時記 (PDF) [リンク切れ] - 松山市文化協会
- ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 127-128頁
- ^ 芳野勝正 『和気の昔語り』 1984年、116-117頁
- ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 125-126頁
- ^ a b 『海に生きる 石崎汽船史』 45頁
- ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 202-203頁
- ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 47頁、49頁
- ^ 『海に生きる 石崎汽船史』 215頁
- ^ 『近畿日本鉄道100年のあゆみ』763頁 近畿日本鉄道2010年
- ^ a b “三原-松山間 水中翼船 あす廃止 JR瀬戸大橋線に食われる”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1988年6月14日)
- ^ 石崎汽船本社 いしざききせんほんしゃ - 文化遺産オンライン、2021年7月16日閲覧。
- ^ 会社概要 - NAKAJIMA、2021年7月16日閲覧。
- ^ “松山-小倉フェリー航路存続へ”. 日本経済新聞. (2013年2月22日) 2013年2月27日閲覧。
- ^ “災害対応の新造フェリー 松山―広島の石崎汽船”. 日本経済新聞. (2019年10月10日) 2019年10月11日閲覧。
- ^ 最新型フェリー「
翔洋丸 」就航のお知らせ (PDF) - 石崎汽船株式会社 - ^ 海に生きる:石崎汽船史 - CiNii、2011年3月22日閲覧。
- ^ “石崎汽船社長に伊予鉄道・清水氏 20年ぶり交代”. 日本経済新聞. (2015年9月4日) 2015年9月6日閲覧。
- ^ a b c d 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.244 海人社 2009
- ^ a b c d 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 PP.189,532,535 日刊海事通信社 1986
参考文献
[編集]- 石崎汽船株式会社 『海に生きる 石崎汽船史』 1995年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 石崎汽船【公式】 (@ishizakikisen) - X(旧Twitter)
- 石崎汽船 (ishizakikisen) - Facebook
座標: 北緯33度51分54.9秒 東経132度42分41.17秒 / 北緯33.865250度 東経132.7114361度