派手〜ずナイト
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派手〜ずナイト | |
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ジャンル | 深夜バラエティ番組 |
出演者 |
高田純次 泉谷しげる 景山民夫 井筒和幸 栗田貫一 高田文夫 三遊亭小遊三 古村比呂 中村京子 ほか |
オープニング | ビートルズ「ア・ハード・デイズ・ナイト」 |
放送チャンネル | 北海道テレビ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1984年11月3日[1] - 1985年12月28日[2] |
放送時間 | 土曜 23:45 - 翌0:45 |
放送分 | 60分 |
派手〜ずナイト(はで~ずナイト)は、1984年11月3日[1]から1985年12月28日[2][3]まで、土曜日の23:45 - 翌日曜日の0:45(土曜日深夜)[4]に、北海道テレビ放送(HTB)で放送されていた、深夜バラエティ番組[5]。司会は高田純次。
概要
[編集]現在『水曜どうでしょう』など多くの深夜番組を制作しているHTBの初の深夜番組であった[6]。司会の高田純次を初め、泉谷しげる、景山民夫、井筒和幸、栗田貫一、高田文夫ら多くの著名人が出演しており[7][8]、北海道・HTBのスタジオから生放送していた。
「テレビの前でパンツ見せたら海外旅行をプレゼント」、「ラブホテルにアポなしで電話をかけ、客に様々なことを聞く」など、過激な内容もあり、視聴者からクレームが寄せられたという[9]。北海道にとんでもない番組があるという噂が、東京に伝わり、当時のスターたちもノーギャラにもかかわらずゲストで出演していた[10]。
アシスタントの古村比呂はこの番組で景山と知り合ったことをきっかけに上京し、女優として全国に知られるようになった[8]。チーフディレクターの林亮一はその後「週刊Nanだ!Canだ!」「ドラバラ鈴井の巣」「おにぎりあたためますか」などのプロデューサーを務め、HTBの編成局長や取締役を歴任した。
主な出演者
[編集]スタッフ
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)11月3日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1985年(昭和60年)12月28日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 最終回は放送時間を30分拡大して放送。
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1984年(昭和59年)11月 - 1985年(昭和60年)12月、テレビ欄。
- ^ ユメミル、チカラHTBの50年
- ^ “10時間テレビ”. www.htb.co.jp. 2020年10月2日閲覧。
- ^ “2008年も9月となりましたなぁ。藤村でございます。”. 水曜どうでしょうD陣日記アーカイブ (2008年9月1日). 2020年7月5日閲覧。
- ^ a b “古村比呂、「本当に信じられなかった」朝ドラヒロイン決定。直前にはショックな出来事「東京は恐ろしいところだ」”. テレ朝POST. 2022年4月26日閲覧。
- ^ a b HTB開局40周年記念「〜ありがとう40年〜全部たしたら10時間!ユメミル広場に大集合!!」より
- ^ a b c “源高志の源的こころ ああ地方局”. gensanyoro.blog107.fc2.com. 2020年7月5日閲覧。
- ^ 後のHTB取締役(現在は退任)。「ハナタレナックス」などで大泉洋がよく物真似を披露する。
北海道テレビ 土曜 23:45 - 翌0:45 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
映画枠
※23:45 - 終了時刻不定 |
派手~ずナイト
(1984年11月3日 - 1985年12月28日) |