泊瀬部皇女
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泊瀬部皇女 | |
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
生誕 | 不詳[1] |
薨去 | 天平13年3月28日(741年4月18日) |
位階 | 三品 |
父母 | 父:天武天皇、母:宍人大麻呂娘のカジ媛娘 |
兄弟 | 忍壁皇子、磯城皇子、泊瀬部皇女、託基皇女、他 |
夫 | 川島皇子 |
泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)は、天武天皇の皇女で、母は宍人大麻呂の娘のカジ媛娘(「カジ」は木偏に穀)。同母弟妹に忍壁皇子・磯城皇子・託基皇女がいる。夫は川島皇子。
生涯
[編集]大宝律令施行後は泊瀬部・長谷部内親王[2]とも記述される。持統天皇5年(691年)、川島皇子が薨去した時、万葉集巻2 194 - 195に柿本人麻呂が献じた歌がある。夫の死後再婚せず、天平9年(737年)2月14日三品に昇進、4年後の天平13年(741年)3月28日に薨去。
血縁
[編集]- 夫:川島皇子