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永島卓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
永島 卓
ながしま たく
生年月日 1934年7月20日
出生地 愛知県碧南市
没年月日 (2016-07-27) 2016年7月27日(82歳没)
出身校 愛知県立碧南高等学校
所属政党 無所属
称号 旭日小綬章

当選回数 3回
在任期間 1996年4月29日 - 2008年4月28日
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永島 卓(ながしま たく、1934年昭和9年)7月20日[1] - 2016年平成28年)7月27日)は、日本政治家詩人愛知県碧南市長(3期)。

来歴

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愛知県碧南市生まれ。愛知県立碧南高等学校卒業後、結核に侵され、療養中に詩作を始めた。病気が治ったときに「楽に入れるところ」と碧南市役所の試験を受け、合格[2]。1958年(昭和33年)に入庁[3]。市役所勤務の傍ら、『現代詩手帖』『あんかるわ』『菊屋』などに詩を発表した。また、詩誌『碧南詩人』『反碧南文化』を編集[4]

経済環境部長や建設部長などを歴任し、中部電力碧南火力発電所(現・JERA碧南火力発電所)の誘致に関わった[3]。1995年(平成7年)3月、市役所を総務部長で定年退職。同年12月20日、任期満了に伴う碧南市長選挙に立候補する意向を表明[5]。表明時に「文化人グループや友達などから推され、断り切れなくて」と明かした[2]

1996年(平成8年)4月21日に行われた碧南市長選挙に立候補したのは永島、前市助役の久田昭一、会社社長の鈴木正徳の3人。永島には自民系などの現職市議7人、自民党碧南支部長の小林秀央県議、建設業団体、漁業協同組合などがつき、久田には自民系、公明党新進党の市議18人、自民党碧南支部幹部などが応援に入ったため、保守分裂選挙となった。4月21日午後9時10分頃、開票所の支援者から「当選確実」の一報が入ると、同市栄町の永島の選挙事務所に集まった200人の間から歓声が起こった[6]。4月29日、市長に就任。

2000年(平成12年)、無投票により再選。

2004年(平成16年)、自民党・公明党の推薦を受けて市長選に立候補。元市職員の祢宜田知司を破り3選[7]

2008年(平成20年)の市長選に際しては、版画家で元市議の鍔本達朗を後継指名し、任期満了で退任した[8]。なお、この年の市長選は激戦の末、元市議の禰冝田政信が鍔本、元市議の生田哲也を破り初当選した[9]。同年、旭日小綬章受章[10]

2016年7月27日、死去[3]。82歳没。

市政・人物

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碧南市藤井達吉現代美術館(2008年4月オープン)
碧南市藤井達吉現代美術館

碧南市は長い間、公立の美術館がなく、碧南市文化会館がその機能を担っていた[11]。永島は市長1期目から2期目にかけて美術館建設を強く推進。多くの反対を受けながらも碧南市藤井達吉現代美術館の開館にこぎつけた。以下はその経緯である。

2001年(平成13年)、市は、移転新築することになった碧南商工会議所(地上3階、地下1階、延べ約2,150平方メートル)の旧建物を、郷土資料を展示する市民ギャラリー的な「ふるさと館」に整備する計画を立てた。見込まれる事業費は約4億円とされた[12]

2003年(平成15年)3月6日、市は、ふるさと館を「美術館的な施設」として整備する考えを示した[13]。同年5月、碧南文化協会は美術館建設基金として100万円を市に寄付。寄付金を受け取った永島は「美術館をつくりたい気持ちは十分にある」と語った[11]

2004年(平成16年)3月、碧南文化協会はさらに建設の要望書を永島に提出した[14]。同年4月、国土交通省が「まちづくり交付金」制度を導入。先の「ふるさと館」整備計画が同制度の事業対象となり、事業費の約4割の交付金が受けられることとなった。永島は「美術館的」から「的」をとり、「美術館」単独の施設にすることに急遽、方向転換。「2006年度に改修工事着手、2007年度にオープン」とする計画を立てた。市議会(定数26)の最大会派「新政クラブ」(14人)は支持したが、他会派は「唐突な変更」と反発した。また、市がパチンコ店の空き店舗を使って同市中町に「大浜まちかどサロン」を開設した際には、耐震補強などに手がかかり「新築した方が結果的に安上がり」との批判が出ていたことから、永島の手腕に注目が集まった[14]

同年6月3日、8,832人の署名を添えた「美樹館建設計画の撤回を求める請願」が市議会議長宛てに提出される。6月16日、市議会定例会の一般質問で永島は「碧南市文化振興プラン推進懇話会、大浜地区歩いて暮らせる街づくり推進委員会との合同会議で意見をいただき、計画を作成した。請願は伝統と文化を実感できる『ふるさと館』でよい、と提唱しているが、美術館も同じ機能を持ち、請願の趣旨に反しない」と答弁した[15]。6月29日、市議会定例会で、同請願は議長を除く反対13、賛成12で不採択となった[16]。9月20日、第44回衆議院議員総選挙にからみ、大村秀章陣営にいた「新政クラブ」所属の村田峰治が公選法違反の疑いで逮捕された[17]。村田は10月12日付で辞職。これにより市議会の建設賛成派と反対派の構成は、議長を除くと12対12の同数となった[18]。12月15日、市議会まちづくり事業特別委員会で、市は美術館の基本設計を説明し、外観イメージのイラストを公表した。採決は可否同数となり、磯貝幸雄委員長が加わってかろうじて市の報告が了承された[19]

2006年(平成18年)2月21日、永島は市議会に、美術館整備事業費9,900万円を含む新年度一般会計当初予算案を提出。3月16日、市議会本会議で同予算案の採決が行われる。12対12の可否同数の結果、倉内成幸議長が加わって原案どおり可決。美術館は総事業費7億円で整備されることが決まった[20]

2008年(平成20年)4月5日、碧南市藤井達吉現代美術館がオープン。記念展「藤井達吉のいた大正」が開催された[21]

その他

著書

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  • 『爆徒甘受 永島卓詩集』構造社、1970年12月。 
  • 『永島卓詩集1 碧南偏執的複合的私言』国文社、1973年1月。 
  • 『わが驟雨 永島卓詩集』永井出版、1975年。 
  • 『なによりも水が欲しいと叫べば 永島卓詩集』砂子屋書房、1984年。 
  • 『湯島通れば 永島卓詩集』れんが書房新社、1992年4月。 
  • 『永島卓全詩集 1955-1995』砂子屋書房、1995年。 
  • 『現代詩人文庫 6 永島卓詩集』砂子屋書房、2006年9月。 
  • 『水に囲まれたまちへの反歌』思潮社、2011年4月。ISBN 978-4783732327 

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、252頁。
  2. ^ a b 『中日新聞』1996年4月17日付朝刊、西三河版、西三河、「碧南市長選 候補の横顔 永島卓候補(61)無新 詩の世界では有名人」。
  3. ^ a b c d 『中日新聞』2016年7月29日付朝刊、西三河版、16面、「市長3期 市政発展に功績 碧南 名誉市民故永島さん」。
  4. ^ 『日外アソシエーツ whoplus』 「永島 卓(ナガシマ タク)」の項。
  5. ^ 『中日新聞』1995年12月21日付朝刊、県内版、16面、「永島氏が出馬表明 碧南市長選」。
  6. ^ 今枝利一「碧南市長選 『市の発展に全力』 初当選の永島氏が抱負」 『中日新聞』1996年4月22日付朝刊、西三河版西三河A、12面。
  7. ^ “碧南市長選(2004年4月25日)”. 中日新聞. (2004年4月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/8137 2021年12月24日閲覧。 
  8. ^ 『中日新聞』2008年4月19日付朝刊、県内版、20面、「碧南市長選 あす投開票 新人3候補激戦」。
  9. ^ “碧南市長選(2008年4月20日)”. 中日新聞. (2008年4月20日). https://www.chunichi.co.jp/article/4744 2021年12月24日閲覧。 
  10. ^ 碧南市名誉市民・元碧南市長 故永島 卓氏をしのぶ
  11. ^ a b 『中日新聞』2003年5月5日付朝刊、三河総合、23面、「『碧南市に美術館を』 文化協が市に寄付」。
  12. ^ 神谷正之「いま三河で ニュース検証 予断許さぬ碧南の美術館計画 問われる市民の判断 『文化と教養』 運営費が壁に」 『中日新聞』2005年8月14日付朝刊、西三河版、18面。
  13. ^ 碧南市議会 平成15年第1回定例会(第3日)本文 2003-03-06”. 碧南市議会 会議録の閲覧と検索. 2021年12月25日閲覧。
  14. ^ a b 『中日新聞』2004年4月15日付朝刊、西三河版、18面、「波高し碧南丸 市長・市長選の課題(下) まちに文化を 美樹館は中古ビル利用」。
  15. ^ 『中日新聞』2005年6月17日付朝刊、西三河版、20面、「美術館設置で議論 碧南市議会 2市議が撤回迫る」。
  16. ^ 碧南市議会 平成17年第4回定例会(第4日)本文 2005-06-29”. 碧南市議会 会議録の閲覧と検索. 2021年12月25日閲覧。
  17. ^ 『中日新聞』2005年9月21日付朝刊、社会、31面、「愛知13区 自民・大村氏派 碧南市議を逮捕 支持者らを焼き肉店接待」。
  18. ^ 『中日新聞』2005年10月13日付朝刊、西三河版、16面、「選挙違反で市議辞職 議会、与野党伯仲に 碧南、市政運営に支障も」。
  19. ^ 『中日新聞』2005年12月16日付朝刊、西三河総合、19面、「碧南市の美術館計画 外観イメージを公表 市議会特別委 きん差で了承 21日から設計への意見募集」。
  20. ^ 神谷正之「新年度予算案 議長裁決で可決 碧南市議会本会議 美術館建設着工へ」 『中日新聞』2006年3月17日付朝刊、西三河版、20面。
  21. ^ 『中日新聞』2008年4月5日付朝刊、県内版、20面、「藤井達吉美術館 碧南きょう開館 記念展に117点」。
  22. ^ “へきなん広報大使第1号に永島聖羅さん”. CHUNICHI Web (中日新聞). (2017年3月31日). オリジナルの2017年4月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170403012106/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20170331/CK2017033102000056.html 2017年4月2日閲覧。