水野忠良
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保5年8月5日(1834年9月7日) |
死没 | 安政5年5月3日(1858年6月13日) |
改名 | 益之助・惣兵衛(幼名)、忠良 |
戒名 | 常徳院泰誉安然義道大居士 |
墓所 | 東京都文京区小石川の伝通院 |
官位 | 従五位下、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 駿河国沼津藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 |
父:水野忠義、母:よし 養父:水野忠武 |
兄弟 | 惣兵衛、忠武、忠良 |
子 | 養子:忠寛 |
水野 忠良(みずの ただなが)は、駿河沼津藩の第5代藩主。沼津藩水野家12代。
天保5年(1834年)8月5日、第3代藩主水野忠義の五男として江戸外桜田屋敷で生まれる。天保15年(1844年)に兄で先代藩主の忠武が死去したため、その養子として家督を継ぐ。嘉永2年(1849年)12月16日には従五位下、出羽守に叙任された。
幕末期の外国船出没による政情の中、戸田の警備や軍事力の強化を図ったが、これらの出費に加えて嘉永5年(1852年)、嘉永6年(1853年)の旱魃で1万石の甚大な被害を受けるなど、藩財政は逼迫した。
安政5年(1858年)5月3日に死去した。享年25。跡を従弟にあたる忠寛が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子