正田彬
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しょうだ あきら 正田 彬 | |
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生誕 |
1929年1月13日 日本・東京都 |
洗礼 | アロイジオ(Aloysio) |
死没 | 2009年6月1日(80歳没) |
墓地 | 多磨霊園 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
職業 | 教授 |
親 | 正田建次郎 |
正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日 - 2009年(平成21年)6月1日[1])は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)。慶應義塾大学名誉教授。カトリック信徒(洗礼名アロイジオ)。
家族・親族
[編集]正田彬は数学者・正田建次郎の長男としてベルリンで生まれる。父方の祖父は日清製粉グループ本社創業者の正田貞一郎、母方の祖父は天文学者の平山信[2]。元日清製粉(現・日清製粉グループ本社)社長の正田英三郎は父方の叔父で、建築家の平山嵩は母方の伯父。また父方の従弟に医師・政治家の水島裕と日清製粉グループ本社名誉会長相談役の正田修が、父方の従妹に上皇后美智子が、母方の従兄に物理化学者の坪井正道がおり、父方の義理の伯父に化学者の水島三一郎[3]が、母方の義理の伯父に地球科学者の坪井誠太郎[4]が、母方の義理の叔父に元東洋製作所社長の佐竹義利[5]がいる。妻は小池厚之助(小池国三(旧姓 浅川国三)二男)の三女 百合子。
略歴
[編集]- 1947年(昭和22年)3月:旧制武蔵高等学校卒業
- 1950年(昭和25年)9月:慶應義塾大学法学部法律学科卒業
- 1953年(昭和28年)4月:和歌山大学経済学部講師
- 1957年(昭和32年)7月:和歌山大学経済学部助教授
- 1959年(昭和34年)9月:慶應義塾大学産業研究所助教授
- 1967年(昭和42年)4月:慶應義塾大学産業研究所教授
- 1968年(昭和43年)3月:法学博士(慶應義塾大学・論文博士)
- 1987年(昭和62年):日本経済法学会理事長
- 1989年(平成元年)4月:上智大学法学部教授 慶應義塾大学名誉教授
- 1992年(平成4年)4月:学校法人上智学院理事
- 1995年(平成7年):公正取引委員会顧問
- 1997年(平成9年)3月:神奈川大学短期大学部教授
- 2009年(平成21年)6月1日:死去
著書
[編集]- 『経済法』(日本評論社、1963年)
- 『現在経済と市民の権利』(成文堂、1974年)
- 『全訂独占禁止法I・II』(日本評論社、1980年、1981年)
- 『独占禁止法研究I・II』(同文館、1986 年)
脚注・出典
[編集]- ^ “正田彬氏死去 慶応大名誉教授 - 47NEWS(よんななニュース)”. web.archive.org. Press Net Japan Co.,Ltd. (2009年6月14日). 2024年1月13日閲覧。
- ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 日本図書センター、1987年10月5日発行、ISBN 4-8205-0693-5、831頁 - 832頁
- ^ 三一郎の妻・勅子は彬の父・建次郎の妹である。
- ^ 誠太郎の妻・百合は彬の母・多美の姉である。
- ^ 義利の妻・厚は彬の母・多美の妹である。