樅 (樅型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1917年度[1] |
起工 | 1918年12月23日[1] |
進水 | 1919年6月10日[1] |
就役 | 1919年12月27日[1] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
その後 | 1932年4月1日廃駆逐艦第2号(二代)と仮称、呉で保管[1][2] 1936年4月7日標的艦に改造、横須賀で使用され、後に解体[2] |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:公表値 770トン 常備:850.00トン |
全長 | 全長:290 ft 0 in (88.39 m) 水線長:280 ft 0 in (85.34 m) 垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m) |
全幅 | 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m |
吃水 | 8 ft 0 in (2.44 m) |
深さ | 16 ft 3 in (4.95 m) |
推進 | 2軸 x 400rpm 直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m または直径2.565m、ピッチ3.353m |
機関 | 主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[3] 出力:21,500shp ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基 |
速力 | 36ノット |
燃料 | 重油250トン |
航続距離 | 3,000カイリ / 14ノット |
乗員 | 計画乗員 107名[4] 竣工時定員 110名[5] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 単装3門 三年式機砲 2挺 53cm連装発射管 2基4門 魚雷8本 |
搭載艇 | 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻 |
備考 | ※トンは英トン |
樅(もみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の1番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「樅」があるため、こちらは「樅 (初代)」や「樅I」などと表記される。
艦歴
[編集]1918年(大正7年)12月23日、横須賀海軍工廠で起工[6]。1919年(大正8年)6月10日午後3時15分進水[7]。同年12月27日竣工[8]。
1932年(昭和7年)4月1日、主機の不調により樅型駆逐艦の中では最初に除籍され、廃駆逐艦第2号(二代)と仮称されて呉で保管。1936年(昭和11年)4月7日標的艦に改造し、横須賀で使用され、後に解体された。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 駆逐艦長
- 大久保義雄 少佐:1919年10月3日[10] - 1920年12月1日[11]
- 南雲忠一 少佐:1920年12月1日 - 1921年11月1日
- (心得)後藤英次 大尉:1921年11月1日 - 1921年12月1日
- 後藤英次 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
- 中円尾義三 少佐:1922年12月1日 - 1924年6月10日
- (心得)内藤淳 大尉:1924年7月1日[12] - 不詳
- 内藤淳 少佐:不詳 - 1925年12月1日[13]
- (兼)柴田力 少佐:1925年12月1日 - 1926年4月20日
- (兼)井原美岐雄 少佐:1926年4月20日[14] - 12月1日[15]
- 西岡茂泰 少佐:1926年12月1日 - 1928年9月27日
- 津田源助 少佐:1928年9月27日[16] - 1929年2月1日[17]
- 江戸兵太郎 少佐:1929年2月1日 - 1929年11月30日
- (兼)西村義治 少佐:1929年11月30日[18] - 1930年3月3日[19]
- 上田光治 大尉:1930年3月3日[19] - 1930年11月1日[20]
- 山本岩多 大尉:1930年11月1日 - 1931年4月15日
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 『日本海軍史』第7巻、300頁。
- ^ a b #日本海軍全艦艇史 資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
- ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
- ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
- ^ #T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)画像22『大正七年十二月二十三日 横須賀海軍工廠長山中柴吉 海軍大臣加藤友三郎殿 驅逐艦二隻起工ノ件 驅逐艦樅及榧本日午前十時龍骨据付ヲ了ス(終)』
- ^ #T8公文備考20艦船3/進水画像3『大正八年六月十日(中略)驅逐艦樅本日午後三時十五分、榧同三時三十四分無事進水セリ(了)』、#T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)画像34も同一内容。
- ^ #T9公文備考21艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(2)画像9『大正八年十二月二十七日 横須賀工廠長 艦政局長 樅竣成ニ付本日仝艦長ヘ引渡ヲ了セリ(了)』
- ^ 『官報』第2031号、大正8年5月14日。
- ^ a b c 『官報』第2151号、大正8年10月4日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第3557号、大正13年7月2日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第529号、昭和3年9月28日。
- ^ 『官報』第627号、昭和4年2月2日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ a b 『官報』第951号、昭和5年3月4日。
- ^ 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
参考文献
[編集]- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正8年 公文備考 巻18 艦船1/駆逐艦竹梨製造一件』。Ref.C08021311300。
- 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/進水』。Ref.C08021315200。
- 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(1)』。Ref.C08021556400。
- 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/駆逐艦樅、榧、楡、栗製造一件(2)』。Ref.C08021556500。