森田流
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森田流(もりたりゅう)は能楽笛方の流儀。かつては千野流(ちのりゅう)、玄笛流(げんてきりゅう)などとも称した。
解説
[編集]名人笛彦兵衛(檜垣本彦兵衛)を芸祖とし、千野与一左衛門、牛尾玄笛と相伝して流祖森田庄兵衛光吉(1597年~1632年)が一家を成し、徳川家康に抱えられた。江戸時代には観世流の座付として活動するが、明治39年に森田初太郎が没して後は宗家が絶えた。現在の宗家預かりはシテ方観世流宗家。
四座筆頭の観世流座付であるところから、江戸時代には幕府、紀州藩をはじめとして諸藩に森田流の役者が抱えられていた。このため芸系が早くに分かれ、家ごとに独自の譜や指遣いを持つなどしたことが、かえって維新後の多難な時期にあっては幸いした。宗家絶家後に活躍した役者としては、森本登喜、森田光風、杉市太郎、寺井政数などがいる。
一噌流や藤田流と比較すると息の吹き込みが柔らかく、丸い音色を持つのが特色。芸系は大きく江戸系と上方系に分類できるが、上方系では添え指による装飾音を多用する傾向がある。
参考文献
[編集]- 『能楽全書』(東京創元社)
- 『能・狂言事典』(平凡社)
- 『岩波講座 能・狂言』(岩波書店)
- 『国史大辞典』(吉川弘文館)
関連項目
[編集]- 森田流能楽師