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桜 (桜型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1907年度[1]
起工 1911年3月31日[1]
進水 1911年12月20日[1]
就役 1912年5月21日[1]
その後 1912年8月28日二等駆逐艦[1]
除籍 1932年4月1日[1]
性能諸元
排水量 基準:公表値 530トン
常備:計画 600トン[注釈 1]
全長 全長:83.51m
水線長:82.29m[注釈 2]
垂線間長:260 ftin (79.25 m)
全幅 24 ft 0+38 in (7.32 m)
吃水 7 ft 3 in (2.21 m)
深さ 4.65m
機関 推進:3軸 x 390rpm
主機:直立4気筒3段レシプロ 3基
出力:計画 9,500実馬力[注釈 3]
ボイラー:イ号艦本式缶(混焼) 5基[注釈 4]
最大速力 計画:30ノット
1931年時 31ノット
燃料 重油30トン、石炭128トン
航続距離 2,400カイリ / 15ノット
乗員 竣工時定員:92名[2]
1928年公表値 96名
兵装 40口径四一式4.7インチ(12cm)砲 1門
40口径四一式3インチ(8cm)砲 4門
四二式5号18インチ(45cm)連装発射管 2基4門
搭載艇 4隻
備考 ※トンは英トン

(櫻、さくら)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、桜型駆逐艦のネームシップである。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「桜 (初代)」や「桜I」などと表記される。

艦歴

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1911年明治44年)3月31日、舞鶴海軍工廠で起工[3][4]、同年12月20日、進水し[3][5]1912年(明治45年)5月21日、竣工[3][6]

1919年大正8年)から1925年大正14年)まで華南華北の沿岸警備に従事した[1]

1932年昭和7年)4月1日除籍。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • 青木董平 少佐:1912年2月26日 - 12月1日
*兼舞鶴海軍工廠艤装員(1912年2月26日 - 1912年5月22日)
  • 秋吉照一 少佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 柴田菊枝 少佐:1913年12月1日 - 1914年8月1日
  • 田辺金次郎 少佐:1914年8月1日 - 不詳
  • 竹内正 少佐:不詳 - 1915年6月30日[7]
  • 荷村信夫 少佐:1915年6月30日[7] - 1915年12月13日
  • 岩村兼言 少佐:1915年12月13日 - 1917年12月1日
  • 佐藤六平 少佐:1917年12月1日[8] - 1918年12月1日[9]
  • 中島直熊 少佐:1918年12月1日[9] - 1919年12月1日[10]
  • (心得)角田貞雄 大尉:1919年12月1日[10] - 1920年7月15日[11]
  • (心得)松岡弘人 大尉:1920年7月15日[11] - 1920年12月1日[12]
  • 広岡正治 少佐:1920年12月1日[12] - 1922年5月25日[13]
  • 中田操 少佐:1922年5月25日[13] - 1925年12月1日[14]
  • 樋口通達 少佐:1925年12月1日[14] - 1926年8月1日[15]
  • (兼)池田久雄 少佐:1926年8月1日[15] - 12月1日[16]
  • 中里隆治 少佐:1926年12月1日[16] - 1927年12月1日[17]
  • 板倉得止 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
  • 加瀬三郎 少佐:1929年11月30日 - 1931年4月1日

脚注

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注釈

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  1. ^ #軍艦基本計画資料Sheet57によると桜の常備排水量は678トン。
  2. ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
  3. ^ #帝国海軍機関史(別冊)第13表『列国製艦一覧表 其ノ六』によると、桜の実数値は10,975馬力、29.13ノット。
  4. ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年艦船要目公表範囲では「艦本式4」、『駆逐艦』の本文中の表(p105)では缶数4基となっている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、295頁。
  2. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.508『明治四十四年十二月二十日(内令二四〇) 海軍定員令別表中ヘ附表ノ通驅逐艦定員表其五ヲ追加セラル |艦第二十一表ノ三 | 驅逐艦定員表 其五 | 驅逐艦名 | 櫻 |(以下略)』將校相當官4人、兵曹長同相當官、准士官4人、下士22人、卒62人。『明治四十五年一月二十七日(内令二二) 海軍定員令別表驅逐艦定員表其五中「櫻」ノ次ニ「橘」ヲ追加セラル』
  3. ^ a b c #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年2月14日(内令43)、艦船要目公表範囲。
  4. ^ #M45-T1公文備考29艦船3/駆逐艦桜橘製造の件画像24『明治四十四年三月三十一日(中略)第三十三號駆逐艦本日起工 右報告ス(終)』
  5. ^ #M45-T1公文備考29艦船3/駆逐艦桜橘製造の件画像33『十二月??日(中略)駆逐艦櫻本日午後二時五分無事進水結了』
  6. ^ #M45-T1公文備考29艦船3/駆逐艦桜橘製造の件画像41『明治四十五年五月廿一日(中略)駆逐艦櫻 右本日舞鶴海軍工廠長茶山豊也ト櫻駆逐艦長青木董平トノ間ニ授受結了ス 右報告ス』
  7. ^ a b 海軍辞令公報 大正4年6月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071300 
  8. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  9. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  10. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  11. ^ a b 『官報』第2388号、大正9年7月17日。
  12. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  13. ^ a b 『官報』第2943号、大正11年5月26日。
  14. ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  15. ^ a b 『官報』第4182号、大正15年8月2日。
  16. ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  17. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。

参考文献

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  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『日本駆逐艦物語』 福井静夫著作集第5巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 
  • 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X 
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。

関連項目

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