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栗山聡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栗山 聡
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 新潟県新発田市
生年月日 (1974-06-15) 1974年6月15日(50歳)
身長
体重
186 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト5位
初出場 1998年6月21日
最終出場 2004年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

栗山 聡(くりやま さとし、1974年6月15日 - )は、新潟県新発田市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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小学4年の時に野球を始める[1]新発田中央高等学校3年の夏は県大会3回戦で敗退[1]

東京農業大学生物産業学部へ進むと3年春にチーム初の大学選手権出場を果たす。秋はMVP、最優秀投手。4年春も5連続完封で2年連続出場に貢献、リーグ通算15勝[2]1996年のドラフト5位でオリックス・ブルーウェーブに入団[1]。チームから初のプロ入りとなった[1]

1998年にプロ初先発で初勝利を挙げたが結果的にこれがプロでの唯一の勝利となる。

2000年には交流戦導入前としては珍しく、パ・リーグの投手である松坂大輔に2点適時打を打たれた[3]

翌年の2001年は一軍登板がなくオフに戦力外通告を受けた。

テストを経て2002年中日ドラゴンズへ移籍[1]2003年には1軍登板がなく自由契約となり、現役を引退しオリックスの打撃投手に転身した。

しかし、翌年に監督に就任した伊原春樹からチームに速球派の投手が少ないという理由で現役復帰の打診を受け、シーズン途中に改めて支配下契約を結び現役復帰。自己最多の28試合に登板するも、「ブルーウェーブ」最後の年となった同年オフに改めて自由契約となり、社会人野球松下電器に移籍した。2005年都市対抗野球NOMOベースボールクラブの補強選手となったが登板はなかった[4]

2006年限りで引退。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1998 オリックス 5 3 0 0 0 1 1 0 -- .500 67 16.1 12 3 9 0 0 11 0 0 7 7 3.86 1.29
1999 3 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 6.0 11 2 7 0 0 1 1 0 7 7 10.50 3.00
2000 16 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 108 20.2 37 6 11 1 0 13 5 0 22 21 9.15 2.32
2002 中日 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 29 5.1 7 0 6 1 0 4 0 0 5 4 6.75 2.44
2004 オリックス 28 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 142 32.1 26 2 21 1 0 25 3 0 18 17 4.73 1.45
通算:5年 56 6 0 0 0 1 4 0 -- .200 382 80.2 93 13 54 3 0 54 9 0 59 56 6.25 1.82

記録

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背番号

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  • 61 (1997年 - 2001年)
  • 0 (2002年 - 2003年)
  • 101 (2004年打撃投手時代)
  • 66 (2004年現役復帰後)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、204ページ
  2. ^ 97スポニチプロ野球手帳
  3. ^ https://web.archive.org/web/20080822085321/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_08august/KFullNormal20080802206.html
  4. ^ 都市対抗野球大会80年史 日本野球連盟

関連項目

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外部リンク

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