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松村文次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松村 文次郎(まつむら ぶんじろう、1839年4月15日天保10年3月2日[1][2]) - 1913年大正2年)9月23日[2][3][注 1])は、明治時代の政治家実業家自由民権運動家衆議院議員(2期)。

経歴

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越後国刈羽郡柏崎村(現新潟県柏崎市[4]の町年寄の家に生まれた[5]。原修斎に学び[2]漢学を修めた[6]。町年寄を務め、その後、柏崎県に出仕し[2]学区取締に就任[5]1879年(明治12年)新潟県会議員に当選し、初代議長となった[1][7]。ほか自由民権を唱え、北辰自由党に加わった[1]。実業家としては柏崎活版印刷社長[注 2]などを歴任した[1]。1889年(明治22年)鈴木昌司西潟為蔵山際七司らと越佐同盟会を結成し評議員に就任[6]1890年(明治23年)6月に県会議員を辞職し[7]、同年7月の第1回衆議院議員総選挙では新潟県第6区から出馬し当選[3]。つづく第2回総選挙でも当選した[3]第3回第4回総選挙では落選し政界の第一線を退いた[6]

政治活動のため家産が傾き、1898年(明治31年)夏に財産を整理して東京市神田区神田に移り印刷業を始めたが、その後、経営不振のため廃業した[2]

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「松村文治郎」『越佐人物誌 中巻』907頁では明治44年9月23日没、『新潟県大百科事典 下巻』595頁では1911年没。
  2. ^ 1882年就任。『新潟県大百科事典 下巻』595頁。

出典

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  1. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1786頁.
  2. ^ a b c d e 『柏崎の先人たち』88-89頁。
  3. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1962, 471頁.
  4. ^ 篠田 1891, 47頁.
  5. ^ a b 『新潟県大百科事典 下巻』595頁。
  6. ^ a b c 『朝日日本歴史人物事典』1588頁。
  7. ^ a b 「松村文治郎」『越佐人物誌 中巻』907頁。
  8. ^ 人事興信所 1915, さ20頁.

参考文献

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  • 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778813 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 牧田利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年。
  • 新潟日報事業社編『新潟県大百科事典 下巻』新潟日報事業社、1977年。
  • 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496 
  • 柏崎市編『柏崎の先人たち:柏崎・刈羽人物誌』柏崎市、2002年。