杉山善太郎
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杉山 善太郎(すぎやま ぜんたろう、1903年(明治36年)2月25日[1][2] - 1988年(昭和63年)2月21日[1][2][3])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。
経歴
[編集]愛知県幡豆郡、のちの吉良町(現西尾市)で生まれる[1][2][注 1]。1924年(大正13年)日本大学工学科を卒業した[1][2][3]。
日本海員組合組織部員を経て、1945年(昭和20年)全日本海員組合の結成に加わり中央執行委員に就任[3]。1946年(昭和21年)日本社会党に入党[3]。1953年(昭和28年)新潟県労働組合協議会が結成されると議長に就任し9期在任した[1][2][3]。
1962年(昭和37年)の参院選に新潟県地方区から社会党公認で出馬して初当選[1][2][3][4]。任期満了に伴う1968年(昭和43年)の参院選には出馬を見送り、2年後の新潟県知事選に立候補するが現職の亘四郎に敗れる。翌1971年(昭和46年)の参院選で国政復帰を果たし[4]、参院議員に通算2期在任した[1][2][3]。この間、社会党新潟県本部委員長、同顧問、参議院逓信委員長などを務めた[1][2][3]。
1983年(昭和58年)秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章[5][6]。
1988年(昭和63年)2月21日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される[7]。
著作
[編集]- 『船内細胞組織重視論』昭和毎夕新聞社、1937年。
- 『杉山善太郎 / 澪と跡』杉山智恵子、1986年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』332頁では本籍新潟県。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『現代物故者事典 1988~1990』日外アソシエーツ、1993年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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