本田弘敏
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本田 弘敏(ほんだ ひろとし、1898年9月22日 - 1981年10月18日)は、日本の実業家。東京ガスの社長や会長、日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭や日本社会人野球協会会長、日本バドミントン協会会長等を務めた。勲二等旭日重光章受章。
人物
[編集]1921年東京高等商業学校(のちの一橋大学)を卒業し、東京ガス入社。取締役供給部長、副社長等を経て、1953年社長就任。戦後の首都圏の都市ガス整備を行った[1]
日本ガス協会会長、東京商工会議所副会頭や日本社会人野球協会会長、日本バドミントン協会会長、社団法人如水会理事長等も務め、1968年に勲二等旭日重光章受章[2]。
1981年10月18日、肝不全のため東京女子医科大学病院で死去、享年83。築地本願寺で社葬が行われた[2]。
略歴
[編集]- 1921年 東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業、東京瓦斯入社
- 1946年 東京瓦斯取締役供給部長
- 1951年 東京瓦斯副社長
- 1953年 東京瓦斯社長
- 1955年 日本ガス協会会長(第4代)
- 1963年 東京商工会議所副会頭
- 1964年 東京ターミナル(のちの世界貿易センタービル)社長 兼任
- 1965年 東京モノレール取締役 兼任
- 1967年 東京瓦斯会長 兼 日立運輸東京モノレール 取締役
- 1968年 勲二等旭日重光章受章
- 1971年 東京瓦斯取締役相談役
- 1974年 東京瓦斯相談役
- 1981年 死去
参考文献
[編集]脚注
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