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木川貴一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 木川貴一 六段
名前 木川貴一
生年月日 (1920-01-14) 1920年1月14日
没年月日 (1994-08-30) 1994年8月30日(74歳没)
プロ入り年月日 1948年4月1日(28歳)
引退年月日 1968年(48歳)
棋士番号 49
出身地 東京都新宿区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 加藤治郎名誉九段
段位 六段
棋士DB 木川貴一
順位戦最高クラス C級1組(12期)
2023年8月22日現在
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木川 貴一(きがわ きいち、1920年1月14日 - 1994年8月30日)は、東京都新宿区出身の将棋棋士加藤治郎名誉九段門下、棋士番号49。

経歴

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1942年に加藤治郎門下に2級で入門。1948年に四段に昇段し、専門棋士となった。順位戦には第3期より参加。当期は順位戦のルール改革が行われ、B級以下に予選が設けられ、木川はC級2組の予選に参加したが1勝2敗で予選落ちに終わった。

プロ入り5年目の第7期順位戦で9勝3敗・13人中2位の成績を修めC級1組昇級、これに伴い五段に昇段した。

第14期順位戦ではC級1組で7勝2敗の好成績を修めた。6勝2敗で4人が並んだ状態で最終局を迎え、順位上位2名(角田三男岡崎史明)が直接対決し、3番手に五十嵐豊一・4番手に木川だったため、五十嵐が敗れ木川が勝った場合繰り上げで昇級できたが、五十嵐が勝ったためB級2組昇級には至らなかった。

以降は順位戦における成績が低迷し、第17期第19期で降級点を喫しC級2組へ降級。C級2組でも第20期第21期第22期と3期連続で降級点を喫し、順位戦への出場資格を喪失。当期限り、48歳で五段のまま引退した。

引退から5年後の1973年11月3日に六段に昇段。1994年8月30日、享年74歳で死去。

弟子は取らなかったと見られる。

昇段履歴

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  • 1942年 2級
  • 1948年 四段
  • 1953年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1968年 引退
  • 1973年11月3日 六段(贈六段・将棋の日表彰)

主な戦績

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[1]
(出典)竜王戦
出典[2]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1948 3 C2予選敗退
1949 4 C2
1950 5 C2
1951 6 C210
1952 7 C205
1953 8 C112
1954 9 C108
1955 10 C105
1956 11 C111
1957 12 C107
1958 13 C110
1959 14 C109
1960 15 C101
1961 16 C108
1962 17 C106
1963 18 C112
1964 19 C109
1965 20 C201
1966 21 C216
1967 22 C217
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

参考文献

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  • 令和4年版 将棋年鑑 2022 643ページ (日本将棋連盟出版・ISBN:978-4-8399-8025-2)

関連項目

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外部リンク

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  1. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  2. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。