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朝護孫子寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝護孫子寺
所在地 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1
位置 北緯34度36分34秒 東経135度40分16.6秒 / 北緯34.60944度 東経135.671278度 / 34.60944; 135.671278座標: 北緯34度36分34秒 東経135度40分16.6秒 / 北緯34.60944度 東経135.671278度 / 34.60944; 135.671278
山号 信貴山
院号 歡喜院
宗派 信貴山真言宗高野山真言宗高野山普門院末) ← 法相宗一乗院門跡末)
寺格 総本山
本尊 毘沙門天
創建年 伝・用明天皇2年(587年
開基 伝・聖徳太子
中興 命蓮
正式名 信貴山歡喜院朝護國孫子寺
別称 信貴山の毘沙門さん
志貴山寺
信貴山寺
札所等 真言宗十八本山第14番
聖徳太子霊跡第20番
役行者霊蹟札所
大和十三仏霊場第11番(玉蔵院)
大和北部八十八ヶ所霊場 第45 - 46番
大和七福八宝めぐり(毘沙門天)
神仏霊場巡拝の道 第30番(奈良第17番)
文化財 紙本著色信貴山縁起絵巻国宝
金銅鉢、武具類(重要文化財
公式サイト 信貴山 朝護孫子寺 公式ホームページ
法人番号 2150005003444 ウィキデータを編集
朝護孫子寺の位置(奈良県内)
朝護孫子寺
朝護孫子寺
朝護孫子寺 (奈良県)
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朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町信貴山にある信貴山真言宗総本山寺院山号は信貴山。本尊毘沙門天。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。初詣や「寅まつり」(2月下旬)は多くの参拝客でにぎわう。神仏習合の名残から、境内には鳥居も並んでいる[1]

歴史

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世界一福寅と本堂(左奥)

朝護孫子寺は、大和国(現・奈良県)と河内国(現・大阪府南東部)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。

当寺の創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)にの年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天聖徳太子が感得し[2]、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「ずべきぶべき信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子のが置かれているのは、その逸話に由来している。

延喜10年(910年)には中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備される。また、病であった醍醐天皇を命蓮が治癒したことから天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。

寺に伝わる国宝信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた聖(ひじり)の命蓮の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある)。

平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。なお、信貴山は大和国(奈良県)と河内国(大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。

以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山に毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。

戦国時代には木沢長政によって信貴山頂に信貴山城が築かれた。天正5年(1577年)に同城の城主・松永久秀織田信長の間で信貴山城の戦いが行われて久秀は滅亡し、当寺も堂塔六十余宇が全焼する。

慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が本堂を再建し、慶長15年(1610年)には伽藍の再興が完成した。

1951年昭和26年)、本堂が焼失するが、同年には高野山真言宗より独立して「信貴山真言宗」を創立している。1958年(昭和33年)には本堂が再建され、落慶法要が行われた。

戦いの神である毘沙門天を本尊とし、戦勝祈願の故事があることや、虎を守り神とすることから阪神タイガースの選手やファンが必勝祈願に訪れる。

境内

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塔頭

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文化財

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国宝

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  • 紙本著色信貴山縁起絵巻 - 平安時代中期に信貴山で修行した命蓮上人に関する説話を描く。「山崎長者の巻」「延喜加持の巻」「尼公の巻」の3巻からなる絵巻。作者は不明ながら、人物の表情や躍動感を軽妙な筆致で描いた絵巻の一大傑作である。原本は奈良国立博物館に寄託され、霊宝館では複製を展示している。国宝は年に一度、一巻を公開している。詳しい解説は信貴山縁起の項を参照。
信貴山縁起絵巻「山崎長者の巻」より、鉢に乗って空を飛んでいく倉、驚いて後を追う人々

重要文化財

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  • 金銅鉢 延長7年銘
  • 武器類 兜、袖、喉輪

奈良県指定有形文化財

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  • 銅造毘沙門天立像 - 平安時代後期、西域に起源を持ついわゆる兜跋毘沙門天の特徴を備える。
  • 舞楽面 二面(石川・退宿徳)
  • 銅作 信貴形(志貴形)水瓶

平群町指定有形文化財

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  • 菊水の旌旗
  • 石室十三仏 - 成福院所有。

平群町指定史跡

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前後の札所

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真言宗十八本山
13 宝山寺 - 14 朝護孫子寺 - 15 西大寺
聖徳太子霊跡
19 達磨寺 - 20 朝護孫子寺 - 21 平隆寺
役行者霊蹟札所
大和十三仏霊場
10 霊山寺 - 11 朝護孫子寺塔頭玉蔵院 - 12 円成寺
大和北部八十八ヶ所霊場
44 地蔵寺 - 45 朝護孫子寺多聞院 - 46 朝護孫子寺 - 47 持聖院
大和七福八宝めぐり毘沙門天
神仏霊場巡拝の道
29 宝山寺 - 30 朝護孫子寺 - 31 廣瀬大社

関連書籍

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『信貴山の昔話ー千手院代々記ー』 田中真啓解説 信貴山千手院
江戸時代から現代までの信貴山の歴史を詳説する。
『一目でわかる 毘沙門信仰の手引き』信貴山千手院国書刊行会発売
信貴山の毘沙門信仰や行事などをわかりやすく説明する入門書。

アクセス

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公共交通機関の場合

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自家用車の場合

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脚注・出典

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  1. ^ 【おもてなし魅せどころ】信貴山朝護孫子寺(奈良県平群町)幽玄の宿坊 アクセス良く『日経MJ』2019年2月11日(観光・インバウンド面)。
  2. ^ 寅のお寺 信貴山”. 毘沙門天王の総本山 信貴山朝護孫子寺. 15 Apr 2023閲覧。
  3. ^ 本堂信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺 公式サイト(2019年2月12日閲覧)。
  4. ^ “幸せの手紙、ここから届けられます 奈良の寺に虎柄ポスト”. 朝日新聞. (2022年1月1日). https://www.asahi.com/articles/ASPD05JRCPDWPOMB007.html 2022年10月24日閲覧。 
  5. ^ “幸せ運ぶ虎ポスト、寅年目前の「寅の寺」に 奈良・信貴山朝護孫子寺”. 毎日新聞. (2022年10月20日). https://mainichi.jp/articles/20211220/k00/00m/040/123000c 2022年10月20日閲覧。 

外部リンク

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