朝ノ海正清
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基礎情報 | ||||
四股名 | 朝ノ海 正清 | |||
本名 | 崎谷 正清 | |||
生年月日 | 1936年11月22日 | |||
出身 | 鹿児島県大島郡宇検村 | |||
身長 | 172cm | |||
体重 | 94kg | |||
BMI | 31.77 | |||
所属部屋 | 高砂部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り、出し投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭9枚目 | |||
生涯戦歴 | 317勝319敗7休(57場所) | |||
幕内戦歴 | 23勝37敗(4場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1953年1月場所 | |||
入幕 | 1962年7月場所 | |||
引退 | 1964年1月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月14日現在 |
朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど[1]。
来歴・人物
[編集]16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ[1]。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。
同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。
当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
取的時代より朝潮の付け人を務め、関取になった後も、彼の身の回りの世話をしていた。
体格には恵まれていなかったが、猛稽古でそれを補い、1958年11月場所で新十両に昇進。その後、1960年3月場所で幕下に陥落したが、同年11月場所にて十両に復帰した。
以降は十両の座を守り続け、1962年7月場所で48場所を要して新入幕。入幕時の年齢は、25歳であった[1]。
右四つからの寄りを得意としたが、腕力が強く、それを生かした出し投げや櫓投げもよく見せた。しかし、幕内では体が小さいため苦戦し、上位への進出は成らなかった[1]。
1963年3月場所で十両に陥落してからは幕内に復帰できず、最後は幕下5枚目まで番付を落として、1964年1月場所を以って27歳で廃業[1]。 廃業後は東京都豊島区巣鴨で相撲料理店「奄美」、千葉県木更津市で相撲料理店「朝ノ海」を営んだ[2]。
エピソード
[編集]- 現役時代の主だった趣味は、石原裕次郎主演の映画を見る事であった。
- 現在、鹿児島県鹿児島市樋之口町と同県奄美市でちゃんこ料理店「朝の海」を経営している富岡守(とみおか まもる・1948年4月生まれ)は高砂部屋に所属した元力士・朝の海(入門当初は本名の富岡を四股名としていた。最高位は東三段目6枚目。)で、同じ鹿児島県大島郡の出身である。因みに富岡が角界入りしたのは、朝ノ海が廃業して間もない時期であり、その現役時代の四股名も郷里の先輩でもある朝ノ海に由来した。
主な戦績
[編集]- 通算成績:317勝319敗7休 勝率.498
- 幕内成績:23勝37敗 勝率.383
- 現役在位:57場所
- 幕内在位:4場所
- 連続出場:636番(序二段以来、1953年3月場所-1963年11月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1953年 (昭和28年) |
新序 2–1 |
東序二段36枚目 5–3 |
東序二段13枚目 5–3 |
x | 東三段目61枚目 3–5 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西序二段2枚目 6–2 |
東三段目44枚目 5–3 |
東三段目31枚目 5–3 |
x | 西三段目16枚目 3–5 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西三段目21枚目 7–1 |
西幕下50枚目 4–4 |
東幕下49枚目 3–5 |
x | 東幕下52枚目 4–4 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東幕下50枚目 4–4 |
西幕下49枚目 4–4 |
東幕下47枚目 6–2 |
x | 東幕下39枚目 3–5 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西幕下43枚目 5–3 |
西幕下31枚目 6–2 |
東幕下18枚目 3–5 |
x | 西幕下22枚目 4–4 |
東幕下22枚目 4–4 |
1958年 (昭和33年) |
東幕下21枚目 4–4 |
東幕下18枚目 4–4 |
西幕下17枚目 5–3 |
東幕下8枚目 5–3 |
東幕下3枚目 6–2 |
東十両23枚目 8–7 |
1959年 (昭和34年) |
西十両20枚目 8–7 |
東十両20枚目 7–8 |
西十両21枚目 8–7 |
東十両19枚目 9–6 |
東十両14枚目 7–8 |
東十両16枚目 7–8 |
1960年 (昭和35年) |
西十両18枚目 5–10 |
西幕下3枚目 3–5 |
東幕下6枚目 4–5 |
東幕下5枚目 4–3 |
西幕下2枚目 5–2 |
東十両19枚目 9–6 |
1961年 (昭和36年) |
東十両14枚目 7–8 |
西十両14枚目 8–7 |
西十両12枚目 7–8 |
東十両13枚目 8–7 |
東十両8枚目 7–8 |
東十両9枚目 8–7 |
1962年 (昭和37年) |
西十両4枚目 6–9 |
東十両7枚目 10–5 |
西十両筆頭 9–6 |
東前頭12枚目 7–8 |
西前頭13枚目 9–6 |
東前頭9枚目 4–11 |
1963年 (昭和38年) |
東前頭15枚目 3–12 |
西十両5枚目 5–10 |
西十両9枚目 5–10 |
西十両14枚目 8–7 |
東十両12枚目 5–10 |
東十両18枚目 4–11 |
1964年 (昭和39年) |
東幕下5枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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青ノ里 | 0 | 3 | 天津風 | 1 | 0 | 一乃矢 | 1 | 0 | 宇多川 | 2 | 0 |
追手山 | 1 | 3 | 扇山 | 1 | 2 | 大晃 | 0 | 2 | 岡ノ山 | 1 | 1 |
海乃山 | 0 | 1 | 金乃花 | 1 | 2 | 君錦 | 2 | 2 | 清勢川 | 2 | 0 |
玉嵐 | 1 | 2 | 鶴ヶ嶺 | 0 | 1 | 出羽錦 | 0 | 1 | 栃王山 | 1 | 0 |
豊國 | 0 | 2 | 羽黒花 | 0 | 1 | 羽黒山 | 1 | 0 | 廣川 | 1 | 1 |
星甲 | 1 | 2 | 宮ノ花 | 1 | 0 | 宮柱 | 1 | 0 | 明武谷 | 1 | 2 |
芳野嶺 | 2 | 0 | 若秩父 | 0 | 3 | 若鳴門 | 0 | 1 | 若ノ海 | 1 | 1 |
若ノ國 | 0 | 1 | 若羽黒 | 0 | 2 |
改名歴
[編集]- 崎谷 正清(さきや まさきよ)1953年1月場所(※番付外、新序)
- 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ)1953年3月場所 - 1964年1月場所
参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第2巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年、p486-p490)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 朝ノ海 正清 - 相撲レファレンス