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有野芳人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 有野芳人 七段
名前 有野芳人
生年月日 (1948-09-09) 1948年9月9日(76歳)
プロ入り年月日 1975年11月19日(27歳)
引退年月日 1991年3月31日(42歳)
棋士番号 122
出身地 東京都大田区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 下平幸男八段
段位 七段
棋士DB 有野芳人
戦績
一般棋戦優勝回数 1回
通算成績 142勝270敗(0.3447)
竜王戦最高クラス 5組
順位戦最高クラス C級2組
2016年9月11日現在
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有野 芳人(ありの よしと、1948年9月9日 - )は、将棋棋士。1991年、引退。下平幸男八段門下。棋士番号は122。東京都大田区出身。

棋歴

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1965年の入門から10年経った三段当時の1975年の10月 - 11月に、8連勝を記録して27歳でプロとなる。この間、第1回(1971年)奨励会若獅子戦で優勝している[1]

1977年度、第5回(1978年度)名将戦で、予選を突破。

順位戦では、第36期・1977年度よりC級2組に出場したものの、13期目までC級1組に昇級する成績を修められず、出場14期目(第49期・1990年度)で降級点を喫したのを機に、42歳で引退する。順位戦での通算勝率は、4割ちょうどである。

竜王戦では、発足時は5組からのスタートであったが、1度降級の危機を迎えるものの残留決定戦で勝ち、引退までの4年を降級することなく終えた。

棋風

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居飛車振り飛車ともに多様な戦形を指すが、矢倉の採用率が高い。

いわゆる‘足を止めてのパンチの応酬’の将棋が多い棋風である。

人物・エピソード

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  • 引退後に雀荘のオーナーになった[2]
  • 2009年に文化庁文化交流使として2ヶ月半ほど中国に派遣された[3][4]

昇段履歴

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主な成績

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通算成績

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142勝270敗

優勝(奨励会棋戦)

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  • 第1回(1971年)奨励会若獅子戦[1]

在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[6]
(出典)竜王戦
出典[7]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1977 36 C219
1978 37 C213
1979 38 C231
1980 39 C217
1981 40 C236
1982 41 C221
1983 42 C225
1984 43 C210
1985 44 C233
1986 45 C216
1987 46 C230 1 5組 --
1988 47 C239 2 5組 --
1989 48 C237 3 5組 --
1990 49 C242 4 5組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注

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  1. ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」
  2. ^ 先崎学『フフフの歩』講談社、2001年4月、12頁。ISBN 4-06-273122-3 
  3. ^ 有野 芳人”. 文化庁文化交流使. 2019年3月21日閲覧。
  4. ^ 「第7回文化庁文化交流使活動報告会」開催”. 文化庁. 2019年3月21日閲覧。
  5. ^ 2011年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  6. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  7. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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外部リンク

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