弘法寺古墳
弘法寺古墳(ぐほうじこふん) | |
---|---|
墳丘(前に後円部、奥に前方部) | |
所属 | 国府台古墳群 |
所在地 | 千葉県市川市真間(真間山弘法寺境内にある) |
位置 | 北緯35度44分22秒 東経139度54分22秒 / 北緯35.73950度 東経139.90624度座標: 北緯35度44分22秒 東経139度54分22秒 / 北緯35.73950度 東経139.90624度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 全長43メートル、高さ3メートル |
築造時期 | 6世紀後半〜7世紀前半 |
地図 |
弘法寺古墳(ぐほうじこふん)は千葉県市川市真間山弘法寺にある古墳。形状は前方後円墳[1]。古墳時代後期の6世紀後半〜7世紀前半ごろ築造された。法皇塚古墳・明戸古墳などとともに国府台古墳群(こうのだいこふんぐん)を形成している[2]。
概要
[編集]1971年(昭和46年)刊行された『市川市史』第1巻編纂に際して、1970年(昭和45年)春に市史編纂副委員長の杉原荘介明治大学教授指揮のもと、明治大学考古学専攻生の測量実習が行われた。その結果、墳丘は原形をとどめる箇所が少なく、後円部には溝状の土取り跡もあり、墳形を損ねていた[3]。
前回の測量から半世紀を経過した2014年(平成26年)に、『市川市史』第3巻編纂に伴い、編纂委員の吉村武彦の指示・立ち合いのもと、再測量が行われた[4]。
法皇塚古墳で出土している埴輪が見られないことから、国府台古墳群で最も新しい前方後円墳であるとみられている[5]
発掘経緯
[編集]・1970年(昭和45年)、明治大学による測量調査実習[6]。
・2014年(平成26年)、測量調査[7]。
・2015年(平成27年)、レーダー調査[7]。
・2021年(令和3年)-2022年(令和4年)、発掘調査予定[8]。
構造
[編集]弘法寺境内の遍覧亭(徳川光圀によって号を贈られた茶室)西側の崖際にある前方後円墳で、1970年の測量調査では、全長43m、前方部幅15m、高さ3m。 後円部径8(20)m、高さ3m[1]。 主軸の方位は N-65°-W とされていた[9]。
2014年の測量調査では、全長44.3m、前方部幅25.6m、高さ3.33m、後円部径22.6m、高さ3.19m。主軸の方位は N-72°-W と変更された[10]。
台地の南端にあり、がけ崩れで一部崩壊している。埴輪が採集されていないことから、6世紀末~7世紀初めの終末期の前方後円墳との説もある[1]。
交通アクセス
[編集]鉄道
JR市川駅下車 徒歩15分
京成国府台駅下車 徒歩10分
京成市川真間駅下車 徒歩10分[11]
バス
JR市川駅北口より松戸駅行きバス「真間山下」下車 徒歩5分
JR松戸駅北口より市川駅行きバス「真間山下」下車 徒歩5分[11]
脚注
[編集]- ^ a b c 山路直充『市川市の古墳』株式会社 弘文社、2004年9月1日、4頁。
- ^ “法皇塚古墳|市川市公式Webサイト”. 市川市公式Webサイト. 2022年5月14日閲覧。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市役所 文化スポーツ部 文化振興課、2017年3月24日、50頁。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市役所 文化スポーツ部 文化振興課、2017年3月24日、45頁。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市、2017年3月24日、54-55頁。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市、2017年3月24日、50頁。
- ^ a b 市川市史 歴史編Ⅲ-まつりごとの展開-(通巻3)『市川市史歴史編Ⅲ編集委員会』市川市、2019年1月31日、46-47頁。
- ^ “弘法寺古墳発掘調査支援業務委託の一般競争入札について”. 市川市 (2021年7月28日). 2022年5月14日閲覧。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市、2017年3月24日、51頁。
- ^ 市史研究いちかわ編集委員会『市史研究いちかわ 第8号』市川市、2017年3月24日、54頁。
- ^ a b “交通案内”. mamasan.or.jp. 2022年5月14日閲覧。