川崎河岸駅
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川崎河岸駅 | |
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かわさきがし Kawasakigashi | |
◄ 矢向 (1.7km) | |
所在地 | 神奈川県川崎市幸区 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 南武線(貨物支線) |
キロ程 | 1.7 km(矢向起点) |
電報略号 | カキ |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)3月9日 |
廃止年月日 | 1972年(昭和47年)5月25日 |
備考 | 貨物駅 |
川崎河岸駅(かわさきがしえき)は、かつて神奈川県川崎市幸区にあった日本国有鉄道の貨物駅である。矢向駅を起点とする1.7kmの南武線の貨物支線の終点であった[1]。
歴史
[編集]1927年3月9日に南武鉄道が開通するに当たり、川崎市に設置された2つのターミナルの一方がこの駅である。即ち、川崎駅が旅客ターミナル、川崎河岸駅が貨物ターミナルである。川崎河岸駅は多摩川の畔にあり、鉄道と水運の結束点となっていた。本来はこのようにターミナルを分けず、貨物駅も川崎駅に隣接していた方が便利だったはずだが、南武鉄道は川崎駅から多摩川に至る土地を確保出来なかった[2]。
川崎河岸駅は主に砂利を取扱っていた。この砂利は多摩川上流域の河床から採掘された物で、鉄道で輸送され、ここで艀に移し替えられ、東京湾岸の需要者へと運び出された。そのため川崎河岸駅には船溜が設置され、漏斗を使って砂利を艀に落とせるようになっていた[3]。しかし他業者がより上流で盛んに採掘した結果、上流からの砂利の供給が不十分となって、1934年には当局による砂利採掘制限が始まり、上流の青梅電気鉄道沿線での採掘に中心が移って行き、南武鉄道としての砂利採取事業の重要性は低下して行った[4]。
この他、東京製綱川崎工場が近くにあり、東京製綱もこの駅を使用していた。また、第二次世界大戦中には軍需もあった[3]。
1969年の東京製綱川崎工場閉鎖と、東京湾岸地域の鉄道・道路網整備による需要減少により、川崎河岸駅は1972年5月25日に廃止された[1][5]。一部の史料では駅廃止を1970年としていることから、駅自体はその頃には既に休止状態であったのかもしれない[5]。
現状
[編集]現在、駅と貨物支線の敷地は1976年の整備以来、さいわい緑道となっている[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 原田勝正『南武線いまむかし』多摩川新聞社、川崎、1999年。ISBN 4-924882-28-3。
- 野田正穂・原田勝正・青木栄一・老川慶喜 編『神奈川の鉄道』日本経済評論社、1996年9月10日。ISBN 4-8188-0830-X。
外部リンク
[編集]- Japan City Plans: Omori (テキサス大学図書館)1946年の米陸軍による地図。図版左下に川崎河岸駅と船溜が描かれている。