コンテンツにスキップ

川俣雄人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川俣 雄人(かわまた たけと、1895年明治28年)7月28日[1][2] - 1974年昭和49年)6月24日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

鹿児島県出身[1][2][3]陸軍中央幼年学校予科中央幼年学校本科を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第2連隊付となる[1][4]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した[1][2][3]

1925年12月、近衛歩兵第2連隊中隊長に就任。以後、参謀本部付勤務(ロシア班)、関東軍司令部付(満州里特務機関長)、参謀本部員(ロシア班)、ラトビア公使館付武官、参謀本部員(ロシア班)、ソビエト連邦大使館付武官、参謀本部課長などを務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵大佐に昇進した[1][3]。1939年(昭和14年)3月、歩兵第6連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]襄東会戦宜昌作戦などに参戦した[2]。1940年(昭和15年)8月、第23師団参謀長に転じ、1941年(昭和16年)8月、陸軍少将に進級した[1][3]

1941年10月、参謀本部付(陸軍中野学校長)に就任[1][2][3]。1945年(昭和20年)3月1日、陸軍中将に進み、同月9日、第58師団長に親補され、広西省で警備等に従事し終戦を迎えた[1][2][3]。1946年(昭和21年)7月に復員した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸海軍総合事典』第2版、17-18頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』68-69頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』390頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』388、390頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」53頁。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。